プロ野球の日本シリーズは巨人が4勝2敗で優勝した。日本ハムの逆転優勝を期待していたが、やはり無理だった。東京ドームでの優勝は予定通りだったのではとさえ思えてしまう。娘たちが居た頃は野球もよく見たけれど、高校生の孫娘が来なくなってからは、本当に見なくなった。巨人ファンの孫娘と話を合わせる為に日本シリーズを見たけれど、巨人の選手で知らない人もいた。
我が家でよく見ているテレビは、NHKの朝の連続テレビ小説と日曜の夜の大河ドラマだ。まるでおじいちゃんだと我ながら笑えてしまう。若い頃は、どうして年寄りはあんなにNHKを見るのだろうと幾分馬鹿にしていた。ところが歳を取ってくると、民放はやかましくて忙しい感じで、NHKのテンポが心地よくなって来る。これはどう見ても年寄り現象だと思う。
今年の大河ドラマ『平清盛』は最低の視聴率だという。まだ始まったばかりの頃だったけれど、兵庫県の知事が「画面が汚すぎる」と酷評していた。私は主人公の松山ケンイチのしゃべりが若っぽくてうるさく感じていたが、貴族に上り詰めるのだから次第に品もよくなるだろう、しばらくは我慢だと思っていた。結論から言えば、松山の清盛はミスキャストのように思う。
NHKは、昨年は「坂本竜馬」で武士の時代の終焉を描き、今年は「平清盛」で貴族の時代の終わりを描いている。そして、いずれも主人公に「新しき世をつくる」と言わせている。私には、自民党政権から民主党政権への移行を後押ししているかのように思えた。坂本竜馬は「百姓も町人も夢を追うことの出来る新しき国」とビジョンが明確だった。ところが清盛は重盛から「父上の描く新しき国が見えません」と言われていた。
それは今の民主党政権を言っているようだ。清盛の「新しき国をつくる」とは、単に貴族に代わって平家が天皇と姻戚関係を結んで政治を牛耳ることに過ぎない。藤原氏に代わって平家が貴族となっただけである。民主党も政権は取ったけれど、やっていることは自民党と変わらない、むしろ自民党もしなかった増税を行なった。貴族の番犬であったものが、貴族と同じことをしていて、「新しき世」とは茶番である。
それにそもそも脚本が悪いように思う。貴族の番犬同士の戦い、それは意味があったけれど、頼朝や義経までも描く必要があったのだろうか。いや、清盛をどのような人物として描きたかったのだろう。清盛が権謀術策の男だったとしても、その人物像が描ききれていないのは残念な気がする。ドラマが始まった頃は、清盛の出生に秘密があり、それがドラマの底辺にあって展開していく予感があった。きっと脚本ではそれを意識していたと思うけれど、「新しく世」と同様に不徹底だった。
予想通りの展開も面白くないけれど、今に面白くなるはずだと思っているのに、一向に期待通りに進まないドラマも飽きが来る。