友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

市民参加とか市民協同とか

2012年11月05日 18時18分44秒 | Weblog

 11月に入って、寒さが増したことには関係ないが、気持ちが縮んでいる。市民とNPOとの共同で井戸掘りをしているが、市民であるお母さんたちの要望が、市と取り交わした井戸・花壇設計書を越えている。私はお母さんたちの要望に応えてもよいと思っていたが、メンバーの仲間は設計書にないことを行なうことは予算オーバーになるのだから、出来ないと断れと言う。

 当初の設計書では、井戸と3×1×0.5メートルの花壇を造るものだった。最初の井戸の位置では掘れなかったので、場所が花壇の中央辺りに変更になった。そこで、お母さんたちの要望を受け入れ、井戸を囲んで両脇に花壇が並ぶ設計とした。これによって花壇は1.8倍ほどに増えた。私たちの持ち出しが増えることになるけれど、これから管理運営をしていくお母さんたちが満足できることが大切だとメンバーの仲間に納得してもらった。

 ところが次の問題が起きた。公園には雑草防止のために薬剤が撒かれている。植栽されているサルスベリも2本のうちの1本が2度も枯れた。せっかく花壇を造っても花が枯れてしまうのでは困るので、表面の土を30センチ削り取って欲しいとお母さんたちは言う。花壇には新たに50センチも植栽用に土を入れるので薬剤の影響はないと説明するが、どうしても不安だと言う。じゃあ、土を取り除くことにしようと仲間に言うと、意味のない無駄なことをなぜするのかと大反発を受けた。

 結局、私に味方してくれたメンバーだけで花壇内の土を50センチほど削り取った。設計書にないことなので、取り出す作業はサービスとなってしまう。ここまでは仕方ないと味方してくれたメンバーも、取り出した土の処理費まで負担することには納得しない。みんな、それぞれに企業で働いてきた人たちだから、「ああ、いいよ」と安請け合いはしない。何かよい方法はないものかと悩んでいる。

 労働力を提供することはいいけれど、費用の負担まで被ることはない、もっとキチンと交渉せよという訳である。確かに設計変更なのだから、非は相手側にあるというものの、市民とNPOの共同作業とうたっているのだから、互いに協力し合って出来たという形にしたい。市の担当者もよく知っている人であり、市民協同のさきがけにしたいという気持ちにも応えてあげたい。

 行政は市民の要望に応えるものであって、行政が予算の削減のために市民やボランティアを使うことであってはならない。今、各地の自治体で市民参加とかボランティアの育成とかNPOとの協同とかを掲げている。市民が主体者なのだから当然であるけれど、長い間、行政にいると、予算を削減するためにはという発想に重点が置かれてしまう。新採用の職員の数は減ったけれど、パート職員は増えている、それは行政のあるべき方向なのか、そこをよく考えて欲しいと思う。

コメント
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