友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

どうなるのか、いやどうすべきか

2012年01月21日 18時31分44秒 | Weblog

 昨日に続いて今日も雨が降っている。それでも今日の雨は少し暖かいように思う。天気予報では来週からまた一段と寒さが厳しくなるそうだ。今日の大寒から2月19日の雨水までが一番寒い。インフルエンザも流行っているという。先日、大和塾の講座を開いた14日は3人の塾生がインフルエンザで欠席だった。年寄りは免疫力が落ちているそうだから、肉や卵の高タンパクを摂取して負けないようにとしなくてはならない。

 

 オウム真理教の平田信と中川祥子のふたりは、こんな寒い時はどうしていたのだろう。ふたりの17年間の逃避行はきっと映画になるだろう。尊敬の目で見ていた男は世間から身を隠し、一歩も外に出ずにじっとして一日を送っている。女は男を支えるのが使命と思って働き、食事の用意などする。男の孤独を見るうちに次第に使命が愛情に変わっていくのは当然だろう。一番美しい時の女と一緒にいて、欲望を感じないことはあり得ない。男が女を抱きたい気持ちになるのも自然なことだ。

 

 ヨーロッパではどうだったか知らないが、日本では戦前も共産党が地下に潜った時、官憲の目から逃れるために党員は夫婦を装って暮らした。戦後の新左翼と呼ばれた人たちも官憲や対立するセクトから逃れるために、男女が夫婦を装って地下に潜った。浅間山荘事件を起こした連合赤軍の連中もそうだった。そこで恋が芽生えた者もいたし、嫉妬に狂う者も生まれた。「大義」と「性愛」が対立することになれば、人は「大義」を取るだろうが、「性愛」に未練を残すことになる。

 

 人は決して強くない。本当はそこが一番の問題なのかも知れない。お金がなければ友人から借りる。借りたお金だからきちんと返さなくてはならないが、いつも間にかずるずると延ばしてしまう。目先のことを優先しているうちに、本当にしなくてはならないことがおろそかになっていく。「借金」の前に「友情」は色褪せていく。「借金」を返さなければ「友情」は成り立たなくなる。しかし、借金をした方は友情など気に留めていないのだ。

 

 東京電力はこの春から企業の電気料金を値上げするという。そうしておいて、一般家庭の電気料金の値上げを迫るだろう。原発事故の補償を速やかに行うためには値上げが必要であると言うのだ。値上げを認めなければ電力不足に陥り、企業活動は停滞するかあるいは後退することになるとも言う。被害を与えた側が被害を受けた側に、速やかに補償を受けたければお金を出しなさいと言っているのだ。こんな企業は許せないと言う声が次第に高まれば、東京電力の国有化ということにもあり得る。

 

 今、世界は大恐慌へと向かいつつある。これを乗り切るために様々な政策を打ち出しているけれど、最終的には政治が解決に乗り出すだろう。その手段としては企業の国有化だと思う。すでに破綻しそうな企業に国は公的資金と称してテコ入れを行っているが、それでもうまくいかなければ国有化しかないだろう。財政破綻に陥った国はあるけれど、だからと言って国が無くなった例はない。「大義」が分かっても、実際にどうするかとなると、人の弱さが出てくる。どうなるのか、いやどうすべきか。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

民主党政権にできること

2012年01月20日 20時48分31秒 | Weblog

 今晩、ひとりで食事をしていると友だちのカミさんが「おからを煮たので、どうかなっと思って」と丼で持ってきてくれた。子どもの頃、母の実家で食べたおから料理は仰天するほどまずかった。でも、要らないとは言えなかったので目をつむって飲み込んだ。だからおからはまずいものだと思っていたけれど、豆腐料理の店で食べたおからは美味しかったので、少しずつ食べられるようになった。今晩のおからは温かかったから格別美味しかった。でも、ひとりで食べる食事はあっという間に終わってしまった。

 

 昨日の新聞に、関西電力の停止している原発のストレステストの結果が出ていた。経済産業省の原子力安全・保安院はストレステストの結果を「妥当で安全性が確認できた」と発表し、専門家会合に意見を聴いた。この意見聴取会は傍聴人の入室を禁止し、別室で中継モニターを見る形で行われたので、2人の専門家が退席したという。入室を拒否された傍聴人が会場に詰めかけ、押し問答をする激しいやり取りがテレビでも報道された。委員のひとりが「仕切り直すべきでは」と流会を投げかけたが、司会の東大教授は拒否し保安院側と傍聴者のにらみ合いが何時間も続いた(19日の中日新聞)。

 

 この間、枝野経産大臣は緊急記者会見を2回開き、「平穏に議論ができない状況では、広く意見を求めるという聴取会の目的が果たせない」「ルールを守ってもらいたい」と述べるとともに、「再稼動に反対との意見そのものは重く受け止めなければならないと思っている」とも話している。前の管直人首相は脱原発を鮮明にした。そのために首相の座を追われた。野田内閣は前内閣の閣僚を多く残しながら、原発の輸出には積極的で、したがって国内の原発に対しても容認していくような、よく分からないニュアンスである。大阪市の橋下市長でさえ、脱原発を主張しているので、ますます民主党のあいまいさが見て取れる。

 

 明治新政府に期待した人たちが落胆したように、民主党に期待した人々も当てが外れた思いを抱いている。こうなればもう、民主党が最後にできることは情報の公開しかないと私は思った。自民党政権は利権政権だったから情報を隠すのが常であったし、それが政権を維持する目的でもあった。民主党が政権を握っても一足飛びには何もできない。それはこの間でよく分かった。ならばできることは情報公開だろう。もちろん官僚は大反対するが、世論は絶対味方する。野党も反対できないだろうから、とにかく情報公開だけはどんどんやってしまう姿勢を貫いて欲しかった。

 

 事業仕分けがどれほどの効果があったのか、官僚たちにすぐに取り繕ってしまったではないか。政治を変えるには、あらゆる会議を公開し、あらゆる資料を公開し、できる限り裸にして進める。これが政治を一部の有力者から広く国民の側に置き換える有力な方法だと思う。会議のやり取りをテレビで見せてしまう。インターネットに載せてしまう。誰がどう発言したのか、分かるようにしてしまうことが大事だと思う。ひとりで食事をしていると、案外まともな考えが浮かんでくるが、しかしちょっと寂しい気もする。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

表舞台に立つ人、立てない人

2012年01月19日 19時04分29秒 | Weblog

 雨が降っている。何日間ぶりの雨なのだろう?冬の雨は重い。空が暗く、雨粒がいっそう冷たく見える。草木はこんな冷たい雨でもありがたいのだろうか。秋は人恋しくなるが、冬の雨は人肌が恋しくなる。

 

 『今日の書展』に一緒に行ってくれた友だちからメールが来た。「ブログで松山のこと、ふれていただきありがとうございます。ただし、秋山さんは西條市出身、大江健三郎さんは喜多郡内子町出身です」とあった。龍さんからもご指摘をいただいたけれど、実は私も書いていてもなんとなく不安だった。それでインターネットで松山出身の人を調べ、そのまま載せてしまった。でも、大江健三郎さんの文章を読むと、故郷はすごい山の中だとは知っていたので、松山の外れの山中なのだろうと勝手に解釈してしまった。

 

 西條は今治よりも東にあり、内子町は松山から八幡浜に向かう山の中だ。地図を見ていると、ここからこの人が出てきたのかと思う。戦国の末期を締めくくった織田、豊臣、徳川の3人が愛知県の出身であることも面白いと思うし、明治政府を担った人々に長州藩出身が多いのも、当たり前と言えばそうだけれど、でも考えてみれば不思議な気がする。

 

 明治政府の要職に就いたのは萩の松下村塾の人々だが、そんなに多くの優秀な人材をどうして育てることが出来たのだろうと思う。でも考えてみれば歴史のたまたまに過ぎないだろう。表舞台に立つ人々は、言ってみればそうしためぐり合わせに運命付けられていたのだ。どこにでも同じように優秀な人材はいるはずだけれど、歴史の舞台に踊り出る人は限られているということだろう。

 

 織田や豊臣や徳川が政治の実権を握っても、それはトップが変わるだけのことで普通の人々にとっては同じことだった。明治維新は下層武士が原動力となった政変だったから、人々の期待も大きかった。島崎藤村の『夜明け前』は新政府に対して期待しながら、何も変わらないことへの失望が描かれている。しかし明治政は藩閥政治に留まっていることはなかった。西洋からの外圧があり、人々の新しい政治への思いを押さえることは出来なかったからだ。

 

 明治初期には取り残された武士たちの反乱があったが、武力では新政府に勝てなかった彼らは「自由民権運動」へと形を変えていった。東北の福島などで民権運動が盛んになのもこうした背景があるだろう。殿様を頂点とする世襲のピラミッド型社会が崩壊すると、多くの人々が活躍の場を求めて自由に動き出した。それが明治という時代だったと思う。

 

 私の母は知多半島の田舎の農家に生まれたけれど、親は女学校へ行かせた。母の親は新しい時代を受け止めていたのだろう。私が中学を卒業する頃までは、優秀な生徒でも親の都合で就職させられたり、普通高校ではなく商業科や家庭科に行かさせられた。だから、高学歴を求めて子どもを大学へ行かせる親が多い。

 

 生きている時代、その流れ、表舞台に立つ人、優秀なのに表に出ることが出来ずに終わる人、様々な人生がそこにある。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美味かったスパゲティもどき

2012年01月18日 19時08分18秒 | Weblog

 笑うと免疫力が高まるという。免疫力がアップする食べ物はというと、肉や卵そして野菜だそうだ。肉や卵のような高たんぱく質はコレステロールを増やすことにならないかと心配する人もいるが、コレステロール値が高い人の方が免疫力は高く、助平で、頭の回転が速いと言われている。確かに肉食系の人の方が旺盛で頑張り屋が多いような気がする。菜食主義の人はストイックな人が多いように思うのは肉好きの私の偏見なのだろうか。

 

 私たちの年代に肉好きな人が多いのは、子どもの頃に食べられなかったからだ。私は子どもの頃、母屋で祖父母とともに食事をしていた。肉料理は滅多になかったし、すき焼きは鶏肉の時が多かった。たまには牛肉の時もあったが、そんな時はつい何度も手を出してしまった。すると祖父に「子どもは肉を食わんでもいい」と怒鳴られた。どうしてこんな理不尽なことがこの家ではまかり通っているのか、これが私の一番の関心だった。

 

 祖母が亡くなって、母屋は兄嫁がお勝手をするようになり、材木屋の奥の倉庫を住処にしていた我が家は、プロパンガスで母が料理をするようになった。焼肉やハムやソーセージが食事に出るようになった。ロースハムの厚切りを初めて食べた時は、アメリカ人になった気分だった。母は私や妹が祖父母のところでは充分に食べられなかったと思ったのか、肉料理を多く作ってくれたが、洋裁教室を開いていたから、煮物をする時間がなかったのかも知れないと今では思うこともある。

 

 大学生の時、担任の先生が「イタリア料理をご馳走してやる」と言うので、みんなで先生の家の庭で食べたことがある。イタリアで絵の勉強をしてきた先生だから、本場のイタリア料理が食べられるのだと思った。でも、スパゲティの麺はうどんだったか太めのそうめんだった。これにケチャップを混ぜて食べたように思う。それから喫茶店で鉄板に卵を敷いたナポリタンが出るようになり、自分はナポリタンのさきがけを食べた気になったが、あれは先生が貧しかった学生にイタリアの味を教えたかったのだと思う。

 

 大学4年の大半を東京で過ごしたのに、食べ物というと、即席ラーメンしか思い出せない。下宿で食べる時は電気釜がなかったので、パンか即席ラーメンですました。肉とか卵とか野菜をラーメンに入れて食べていた。「サッポロラーメン」が一番気に入っていた。初めてのデートの時、私はレストランでの洋食を思い描いていたが、「ラーメンが食べたい」と言われて面食らった。私は今でも、ラーメンが食べたいとは一度も思ったことがない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豪華客船の事故

2012年01月17日 19時32分14秒 | Weblog

 イタリア中部の西海岸のジリオ島付近で、地中海クルーズ中の豪華客船が座礁し、横倒しになる事故があった。全長290メートル、高さ50メートル、客室は1500あり、3千人の客と1千人の乗組員がいたという。豪華船は1週間ほどかけて地中海各地を周遊するもので、日本から飛行機料金も含めて安いものなら20万円台からあるという。最近は人気が高く、いろんな旅行会社がツアーを組んでいる。私の友人夫婦も豪華船での地中海クルーズはとてもよかったと言っていた。

 

 ところが今回、原因は分からないが、午後9時半ごろドーンという大きなものにぶつかったような衝撃があり、部屋の電気が消え、船が傾き始めた。新聞に載った船内の写真を見ると、客は皆救命具を身につけ、不安な顔つきだけれど整然としている。この写真では船内の蛍光灯は点いているが、電気が消えたりしたならパニックが起きても当然だろう。新聞記事によれば、日本語はもちろん英語の船内アナウンスがなかったとあったが、テレビニュースでは日本語のアナウンスが聞こえたような気がした。

 

 客室によっては部屋の扉が開かなくなってしまったところもあったようで、韓国からきた新婚旅行の客は、何時間後なのか分からないが救出され、「ふたりの愛が深まった。これから何があってもお互いを守っていける」というようなことを話していた。乗務員の避難誘導はお粗末だったと指摘する客は多い。事故が起きたのは午後9時半なのに、避難指示が出たのは午後10時半頃という。係員が救命ボートを下ろすのに手間取ったようで、イタリア人の元船乗りは「船員は救命ボートの下ろし方が分からず、私が説明し、ボートを操った」と話していた。

 

 日本人も43人いたそうだが、全員無事だという。私たち日本人は心優しい民族で、全員が無事であったので、「現場のスタッフは一生懸命に頑張ってくれた」と語っている。しかし今、この船の船長が全員を避難させる前に下船したことが問題になっている。この船には4千人が乗っていて、船長はその最高責任者である。命を預かっているのだ。何をさておいても乗っている人たちを守るのが使命である。全員の無事を確かめた後、自分のこととなるの役目である。リーダーは命を懸ける必要があるのだ。

 

 首相だってそうであるし、私が住むマンションの自治会長だって同じだと思う。皆さんの前で話すだけがリーダーの役目ではない。自分は暖かいところにいて、みなさんにあれをやれとかこれをやれと指示しても、日本人は優しいから黙ってやるけれど、だからと言ってリーダーが務まっていると思ったら大間違いである。自ら率先して動いて、みんなの理解を得る努力をしない人はリーダーと呼べない。

 

 船長がどんな行動をしたのか真実は分からないけれど、船長が下船した後で、船内に閉じ込められていた客が救出されたと聞くと、やはり船長は命を懸けて救助に当たったのかと思ってしまう。クルージングか、行ってみたいな。船から見る夕日はきれいだろうな。でも、どんな船長か見定めてから乗り込みたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

病院の待合室は人生劇場だ

2012年01月16日 19時25分38秒 | Weblog

 胸の痛みはやはり恋の病だった。それにしても、病院の待合室というのは人生劇場である。遅れてきた女性が声高に話していたのは、人身事故があって2時間も電車に閉じ込められたというものだった。いつも整列せずに割り込んでくるのは大概年寄りが多い。電車の中で弁当を食べる年寄りがいたが、市バスの乗ったら車内で弁当を食べている人がいたのには驚いた。お金上げるから、ここで降りてどこか公園で食べてと言いたかった。

 

 すると隣の女性が、年寄りに注意しても「自分の弁当を食べて何が悪い」と開き直られるのが落ちよと同調していた。若い人なら「すいません」と言うのに、年よりはダメね。こんな年寄りに育てられたのだから、自分勝手な親が多いのよと、学校のモンスターペアレントに話が及ぶ。そういえば、寒い季節だからか、階段に座り込むような高校生は見かけなくなった。車内で化粧する女性も見ない。電車に乗り込む時は整然とではないが列を作っている。

 

 あとはエスカレーターを歩く人がまだいるくらいかな。「駆けないで!歩かないで!」のポスターは貼ってあるが、なかなか守られない。あれも「エスカレーターは2人ずつ並んでご利用ください」と呼びかけた方がいいのにといつも思う。片側を空けるのは先を急ぐ人のためらしいけれど、それで逆に1列の長い列が出来てしまう。2人ずつ並べばもっとたくさんの人が短い時間で移動できる。さすがにエスカレーターを駆け登ったり降りたりする年寄りは少ないように思う。

 

 病院の待合室で、看護師さんを捕まえて、えらい剣幕で怒鳴っていた人がいた。予約の時間からもう1時間過ぎているのにまだ呼ばれないという苦情だ。看護師は「申し訳ありません。あと6人で順番が来ますから」と謝っていたけれど、「まだ6人もいる!30分以上かかるってことか!」とその年寄りは逆上していた。「あなたは病院通いの修行が足りない」と言ってやりたかったけれど、黙って見ていた。そのために多くの患者は本を持ってきて読んでいる。ここにはテレビがないのだから、待っている時間の過ごし方を考えなくてはダメだ。

 

 後からやって来た親子は、おじいさんが「まだ待たせるのか」と脹れて言うと、娘さんは「先生が丁寧だからなのよ」と答えていた。その通りで、確かにここの先生は丁寧だと私も思う。病院に入って診察を受けて出るまで、私は2時間20分かかった。混む病院はこんなものだろう。それが嫌なら混まない病院へ行けばいいが、混まないということは信頼されていないということだろう。

 

 そうは言っても、長い時間待たされると次第に腹が立ってくるのは事実だ。それが予約制であればムカッと来るのも止むを得ないだろう。怒鳴っていた年寄りも次第に感情が落ち着いてきたのか、「あんたに怒ってもしょうないけど、予約制を取ってるんだから何とかしないといかんな」と看護師に話していた。大病院に患者が集中してしまうのは、日本の医療の在り方にかかわるシステムの問題なのだ。恋の病を治してくれる医者はいないのかな。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『今日の書展』を観た後で

2012年01月15日 19時35分09秒 | Weblog

 県美術館ギャラリーで行われている『今日の書展』を観てきた。第25回を記念して、「人間味がにじみ出た豪放磊落な書で近年、注目されている“孤高の書人”三輪田米山の作品」が併設されていて、随分賑わっていた。三輪田米山は幕末から明治期に活躍した伊予松山の人。「酔うほどに気宇壮大な筆を振るったという伝説の書家である。松山出身の友だちと一緒に出掛けたけれど、偶然というものは恐ろしいもので、たまたま東京から展覧会を観に来たという80歳になる婦人と出会い、その方が友だちを捕まえて松山の話を始めた。

 

 その方はリックのように背負う袋からいろいろなものを取り出して友だちに見せていた。私は途中までしか同席しなかったけれど、東京で愛媛県人会の仕事をしているようで、同郷の人の活躍を応援していると話していた。友だちを捕まえて、「あなたに会えて本当に良かった」と何度も口にして頭を下げていた。友だちも世話好きの方だけれど、このお年寄りもそれ以上に世話好きのように見えた。長い立ち話が終わったので「どういう人なの?」と聞くと、友だちはあっけらかんとして「よく分からない」と言う。そうか、彼女は我慢強くお年寄りの話に合わせていたのだと分かった。

 

 松山には『坂の上の雲』に登場する秋山兄弟はじめ、文化面では正岡子規や高浜虚子がいるし、ノーベル賞作家の大江健三郎もいる。夏目漱石の『坊ちゃん』の舞台もこの町だ。私が高校生の時に手紙を出した東大総長の矢内原忠雄さんもここの出身であるし、イラストレイターの真鍋博さん、映画監督の伊丹十三さんもそうだ。私の姉が好きな秋川雅史さんも松山の人だ。松山には文化人が育つ豊かな土壌があるのだろう。一緒に行った友だちのお父さんも書家で俳人でもあるし、そのダンナも同じ松山の出身で大学教授であるし、彼女は文章も書けるし企画もできる有能な女性だ。

 

 今、彼女は大学に勤めているけれど、私たちが大学生の頃とは大きく違っていると言う。大学に入った学生の何人かはウツ病になり、登校できなくなるが、その数は半端ではないらしい。彼女の大学にもカウンセリングの先生が3人いるがとても手が回らないそうだ。相談は予約制で行っているのだが、それでもこなし切れない。大学院生も同じで、ゼミの先生が面倒見のいい先生でないと立ち直るのは困難だと言う。親も一緒になって大変だろうけれど、親が必死にならないと大学の方も動きようがないと話す。

 

 気ままに酒を飲み、酔うほどに気宇壮大な筆を振るうことが出来た時代とは大違いである。学校の先生の中にも、トップ企業と言われる会社にも、身分が保証されていていいわねと言われる公務員にも、ウツ病の人が数多くいる。真面目で正直で敏感な人はウツ病になりやすいと言われる。それなら私もウツ病になってもいい体質だと思うけれど、今のところ胃潰瘍止まりでいる。本人はそう思っているけれど、実は診断を受ければウツ病なのかも知れない。医学が発達して、新しい病気が生まれ過ぎた。病院に行けば必ず何の病気と診断されてしまうので、病院には行きたくない。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

言葉には心が必要とされる

2012年01月14日 21時54分46秒 | Weblog

 今日は大和塾の第24回市民講座『同行二人』。講師を務めてくれたのはカミさんの友人のダンナで、私とは同じ年だ。彼が四国八十八カ所の歩き遍路を行い、その体験に基づいて本を出した。その本『同行二人』を読んで、ぜひ、体験談を話して欲しいと頼んだ。本の書き出しに「『じゃ、行ってらっしゃい。気をつけてね』と妻が駆け寄って手を握って見送ってくれた」とある。ご夫婦を知っているだけに、思わず微笑んでしまった。講演の後で講師を交えて歓談した時も、そのことが話題になった。

 

 彼のカミさんは別に恥らう様子もなく、「あの時は本当にこれが最後というか、何かあったらというような切羽詰ったものがあったので、ごく自然だったの」とおっしゃる。「本当に仲のよいご夫婦で」と賛美の声を受けると、「家ではそうではないのよ。私が2と言えばあちらは1と言うの」とさらりと答えられる。このさらりとした感覚がいいのだろうなと思った。「夫婦なんてみんなそんなものよ。考え方も感覚も違っているからそこそこにやっていられるのよ」と言う人もいる。全く同じなら話し合うこともなくてつまらないだろうから、大きな違いでなければよしとした方がいいようだ。

 

 大きな違いではないけれど、友だちのブログに坂本冬美さんの『夜桜お七』の歌詞が載っていて、アレッと思った。【赤い鼻緒がぷつりと切れた すげてくれる手ありゃーしない 置いてけ堀をけとばして 駆け出す指に血がにじむ】とある。「置いてけ堀」は間違いだろうと思って、パソコンで歌詞を探すと、やはり「置いてけ堀」になっている。私は「置いてきぼり」とすべきではないのかと思ったのだが、パソコンで見る歌詞は全て「置いてけ堀」である。私の記憶では、置いてけぼりは落語で聞いたことがある。そこで「置いてけ堀」をパソコンで探すとその点は間違いなかった。

 

 江戸時代の本所七不思議の中のひとつにこんな話がある。錦糸町辺りの堀で魚釣りをしているとたくさんの魚が釣れた。そこで喜び勇んで帰ろうとすると、堀の中から「置いていけ、置いていけ」という声が聞こえ、びっくりして魚篭を置いて逃げ帰ったという。そこから、置き去りにすることを「おいてきぼり」と言うようになったらしい。今では、遅れた者をあとに残していく時に使うので、歌詞はひらがなで「おいてきぼり」の方が分かりやすいと思う。せめて「置いてけぼり」ならまだいいのではないだろうか。

 

 下駄の鼻緒が切れても、差し込んで直してくれる人がいなくて、困っているのに先に行ってしまい、置いてきぼりにされてしまう。急いで直そうとして指に血が滲んでしまった。そんな情景なのだが、歌詞のように「置いてけ堀」とあると、落語のことを知らない人は堀を蹴飛ばすことは出来ないぞと読めてしまいそうだ。これも笑い話だが、唱歌『ふるさと』の「うさぎ追いし」という歌詞を「うさぎ美味し」と思っていた人がいた。文字を見ないと分からないこともある。

 

 「好きだ」と言うだけでは、「愛している」とささやくだけでは、伝わらない場合がある。「消費税増税」と言われても、なんとなく分かるようで分からない。言葉に心が伴わなければ白々しくなるばかりだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

テレビドラマ『最後から二番目の恋』

2012年01月13日 17時35分47秒 | Weblog

 昨夜、小泉今日子と中井貴一が出演していたテレビドラマ『最後から二番目の恋』を観た。最後の恋ではなく二番目というのはどういう意味なのだろうと興味を持ったからだ。しっとりとした大人のドラマというよりは、ハチャメチャな喜劇に近い感じがした。まだ、1回目なのでこれからどんな展開になるのか分からないけれど、とりあえずは小泉今日子が引っ越してきた隣の家の主が鎌倉市役所に勤める中井貴一で、そこからふたりの出会いが始まるわけだが、今は惹かれ合う様子はなく、むしろののしり合うような状態である。

 

 ドラマの始まりで、「寂しくない大人なんているのだろうか?」という小泉のセリフがあり、「寂しくない大人なんていない」という中井のセリフがあるだけに、これからどうなってしまうのだろうと思った。最近のNHKテレビはキスシーンどころかセックスシーンもあり、ドラマの内容も中高年に受けるようなものが多い。私が特に面白いと思ったのは火曜日の10時からのドラマだったけれど、年末にはそのドラマ『カレ・夫・男友達』が終わった後で、もうひとつドラマ『ビター シュガー』が続いた。しかも同じようなテーマのものだったので、その10時55分からのドラマは後から観ようと録画した。

 

 たまたま昨夜は観るものがないからと録画しておいた『ビター シュガー』を観ることになった。ところがちょっとした勘違いから、それは10回連続の最終回のものだった。初めと終わりを観ればあとは何とか想像がつくので、「いいよ、そのままで」と観ることにした。『カレ・夫・男友達』は3姉妹の物語だが、この『ビター シュガー』は高校の同級生である3人の女性の物語で、年齢はアラホーという設定である。結婚はしたけれど離婚して娘と新しく出直す女性、見返りばかり求めずに愛する道を進もうとする女性、自分らしく焦らずに生きていこうという女性の3人が、ここに至までの紆余曲折を描いたものだ。最終回を観ると、それは当たり前というか普通のことで、特別どうこう言うようなことではないと思った。

 

 人は寂しいから一緒に暮らしたりセックスしたりする。結局はそういうことなのだと思う。『最後から二番目の恋』のドラマの背景で、「人生ってやつはもともと寂しいものよ」というセリフが流れるが、そこがドラマの可能性であり、人がドラマに引かれる所以だろう。長い間、何の連絡もなかった人からやっとメールが届いて、それだけで有頂天になっている人もいる。人は人とつながっているだけで充分に満足なのだ。私の中学からの友だちの中に、喉を切開しているために会話がしにくい者がいる。彼にパソコンをやれば会話ができると進めたけれど受け入れてくれなかったが、手紙でもいいからつながりが出来るといいのにと思う。

 

 明日は小泉今日子が、NHKの土曜ドラマ『とんび』に出てくる。こちらは原作者が重松清氏。ほろっと泣けるけれど、でもそんなにきれいな人生ばかりじゃーないのにと思ってしまう。女流作家のドロドロとした愛憎劇の方が現実味がある気がしてならない。これはもう好き嫌いの問題だろうが、表面的な家族愛が気に入らない私はいったい何者なのだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

我慢は秘書の最大の務め

2012年01月12日 19時18分06秒 | Weblog

 10日と11日に、小沢一郎さんに対する強制起訴の公判が開かれた。小沢さんは終始一貫、「収支報告書は見ていない」「収支報告書の作成は信頼できる秘書にすべて任せており、報告は受けていない」「秘書は家族同様、子どものような連中なので、心配はありません」と、関与を否定している。実際の公判を見ているわけではないが、やはり黒と言える展開に持ち込むには無理があるようだ。誰が見ても、闇で得た4億円で土地を購入したと推測されるのに、確たる証拠を引き出すことは難しい。

 

 私が不思議だなと思うことは、なぜ政治資金団体が土地を購入する必要があるのかという点だけれど、それは政治の倫理というか方法なので裁判では問題にならない。小沢さんはお金がなければ選挙は勝てない、選挙にはお金が必要で、しかも難しい選挙なれば多額のお金が要ると考えている。実際、師である田中角栄さんはそれで首相にまで上り詰めた。小沢さんは議員に「モチ代」と称するものを配るそうだが、配る額にはそれぞれに差があると週刊誌などには書かれている。お金を生かすための「策」なのだろうが、議員や議員になろうとする立派な志の人たちも現金には弱いようだ。

 

 政治は同志を集めて政策を実現する。そのためには選挙で勝たなくてはならない。だからお金が要る。この論法は分かるけれど、現実にはお金が要ることに重点が置かれていくから、お金を集めるための政策が行われることになる。目的であった大義は吹っ飛んでしまうが、次第に気に留めなくなってしまう。金権政治はこうしてますます腐敗していくことになる。右肩上がりの社会ではこっちに体育館を造るなら、あっちに文化会館を造れと、人々が喜ぶ政策を実行してきた。もちろんその過程で、政治家や役人がそのおこぼれを授かった。

 

 小沢さんは「私の関心事は天下国家のことで、それに全力で集中している」と答えている。それは小沢さんの本心だろう。ただ、そのためにお金が要ると考えているのだろうけれど、お金についてはまるで清廉潔白であるかのようだ。「収支報告書は見たことがない」とか、4億円の融資を受ける手形の署名についても「書類は見ていない」と言っている。掃除の仕方ひとつから厳しく秘書に教えてきた人が、政治家として致命傷になるようなお金の収支に無関心だったとはとても考えられない。

 

 ましてや収支報告書が世間で問題になっているのに、「見ていない」などということがあるはずがないし、もしそうなら無責任な政治家である。「秘書は家族のような存在。役所や企業の上下関係とは違って、ひたすら信頼関係で成り立つ。いったん任せたら、すべて任せる」とも答えているが、国会議員の秘書をした私の経験からはとてもそんな風には受け止められない。秘書は、おそらく共産党であっても、家族や同志というよりもどちらか言えば下働きの人だ。運転手であったり、マネジャーであったり、カバン持ちであったり、付き人である。そんな丁稚のような生活を送り、何年かして暖簾わけでどこかの議員にさせてもらう。我慢は秘書の最大の務めだと思った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする