明けましておめでとうございます。今年も元気にブログを続けていきます。昨年末は「胸の病」で、大げさに「もうダメ!」と書いたのか、そう思ってくれたのか、「もう少し、生きていて欲しい」とまで言われてしまった。まだ今のところ大丈夫です。住民検診で心電図が引っかかり、毎年のことなので放っておいたのに、長女が心配して検査の日程を決めてくれた。それを聞いた人が、「いよいよダメみたい」と思ってくれたのだ。私としては別に、どこそこが痛いとか苦しいとか、そういう自覚がないので、気楽な気持ちで検査に行ってこようと思っている。そんな理由だから、今年は楽しい文章を多く書くようにしたい。
さて昨日、卒業生から「初詣に行かない?」と誘われた。「どこへ行くの?」と聞き、地下鉄の本山駅で待ち合わせることになった。電話してきた家族と東京から帰郷した夫婦の5人が迎えてくれた。電話をくれた卒業生は学年が1つ下の子と結婚し、私はその仲人をさせてもらった。可愛くて仕方がない、ひとりっ子の女の子も一緒だ。私は初めて会ったけれど、両親を足して2で割ったようによく似ている。東京に行った卒業生のカミさんは結婚した時だったか、我が家にふたりで遊びに来てくれたから、20数年ぶりの再会だった。こんな風に卒業生から誘ってもらえるとは本当に教師冥利に尽きる。
「名古屋大仏を知ってる?」と言われて、「いや、残念ながら知らない」と答える。これからその寺に行くと言うのだ。愛知県には布袋と名和に大仏があるけれど、名古屋に大仏があるとは知らなかった。寺の名前は桃厳寺(とうげんじ)といい、四谷通り沿いにあった。信長の父、信秀の菩提寺で、「境内は約4千坪あり、四季折々に花をつけ、都会の中で静寂なやすらぎの場として親しまれている」と寺のパンフレットにある。しかし整備はされていないようで、古寺の朽ちていく様があちこちに見られた。最初に目にするのが不老門で、鐘楼を兼ねている。階段を上がり自由に鐘を付くこともできるが、一度に6人以上は上らないでという注意書きがある。
不老門をくぐり進むと、右手に大仏の顔が見える。確かに大きい、青い空にくっきりと見える顔からもその大きさが想像できる。右手に石階段があり、下りた左手が広くなっていて、大仏が鎮座している。大仏像の座高は10メートル、その下の基壇は5メートルあり、釈迦の弟子や鹿、孔雀のレリーフ像がある。さらにその周りには象が配置され、これらの像は見事な写実で表現されている。大仏は昨年、塗り替えが行われたというが、緑色が青空に合っている。名古屋にこの様な立派な大仏があるとは知らなかった。大仏像を見て、本堂へ戻る途中に犬の廟があった。ペットブームで亡くなった犬を供養する人が多いのだろう。
本堂に上がると4人の男衆が迎えてくれた。本堂には直径1メートルある日本一大きな木魚があり、「片手を触れるのみでも過去の悪業が消滅する」とある。早速、木魚に触れてみた。樹齢百年を越す楠のなんとも言えない安らぎが感じられる。この寺では、1月1日から5日まで、本堂の隣にある弁財殿が御開扉される。拝観料は1千円と普通の寺より高いが、「見ていく価値はある」と男衆は言う。ここには真っ白な裸体の弁財天が横たわっていて、写真撮影は禁止だがおさわりは自由だと。この続きは明日に。