友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

人々のためではなく、人々とともに

2012年01月23日 19時11分37秒 | Weblog

 フィリピンの子どもたちを支援する日本のNGOの女性から話を聞いた。話の始まりは、彼女が支援活動を行うようになった理由からだった。彼女は岐阜県の出身で、両親は公務員。海外旅行が好きで、いろんなところへ出かけた。マザー・テレサが活動しているインドのカルカッタへ行った時、路上でたくさんの人々が物乞いをしていた。はじめは嫌で避けて通っていたけれど、何日もいると当たり前の風景になったという。ある時、ひとりの路上生活者の老人に声をかけた。幸い老人は英語が話せたので、前を通る度に声をかけた。ところがある日、彼はその場で息絶えていた。多くの人が行き交うのに、誰も老人の死に関心を示さない。命の尊さは決して平等ではないと知らされた。

 

 同じ人間でありながら、全く見向きもされずに死んでいく人がいる。こんな悲しいことがあってもいいのだろうか。彼女はこの現状を変えたいと思った。そして、「INERNATIONAL CHILDRENS ACTION NETWORK」(ICAN=アイキャン)のメンバーとなった。現在は、フィリピンのマニラ郊外のゴミ捨て場の周りで暮らす人々の支援活動をしていると言う。写真を見せてもらったけれど、それはうずたかく積まれたゴミの山だった。そのゴミ山に入って、お金になるものを探すのである。素手・素足でゴミを漁るから、ガラスや金属で切ったり、有毒ガスを吸い込んだり、ゴミの山が崩れて下敷きになったり、それはとても危険な仕事である。

 

 なぜこんな危険な場所にいるのかといえば、他に行くところがないからだ。ゴミの山で食べられるものを探したり、売れるものを探せば、多少なりとも生きていける。じゃあなぜ、ここに来たのかといえば、ここに来た人々のほとんどは農民だった。ところが、農地は大型農業のために買い取られ、農場は少人数しか雇わないから、都会へ行くしかなかった。日本でフィリピンバナナが安いのは、こうした大型農業のおかげだが、その陰には農村から締め出された小作農の人々がいたのだ。農民は文字が読めない書けない、それに出生届を出すことも知らずにいたので、都会では働く場所がないのだ。

 

 NGOの彼女は、ここの女性たちを集めて、熊のぬいぐるみを作り、これを売ってお金にする支援を行ってきた。何とか自立する道を切り開こうとしているわけだが、そんなに簡単にはいかないだろう。大資本が来て農地を買い、大型農業を始めなければ、人々もささやかであっても幸せに暮らしていたはずだ。私たちが安いバナナに飛びつかなければよかったのだろうけれど、お金を儲けようとする人たちはそのために貧困になる人々が生まれることには気付かない。動き出したものを元に戻すことはできないだろうけれど、事実を知ることで現状を変える動きも生まれるのではないかと思う。

 

 彼女は言う。「私たち消費者がどう望むかで、生産のあり方も変わってくる」。消費者は大きな力を持っているのに、それに気付かず、ただ安いとか便利とか、そうしたことに踊らされてきた。貧しい時はどうしても知識が欠如する。情報を捕まえられなければ、より大きな力に振り回される。しかし今は、社会の現実を見ることもできるし、仕組みがどうなっているかに気付いてもいいだ。彼女の「人々のためではなく、人々とともに」の言葉が強く心に残った。

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