友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

地震対策

2008年06月17日 23時58分32秒 | Weblog
 岩手・宮城内陸地震は規模が大きかった割には犠牲者は少なかったそうだ。何と比較してそんな風に言うのか、私にはわからないし、だから何なのかと問い返したくなる。もちろんこれだけの地震が大都会で起きれば、犠牲者の数はもっと多かったであろう。そんなことからなのか、地震の予測がもっと的確にすばやくできないものかと研究されているようだ。

 私はへそ曲がりなので、何でそんなに早い予測が必要なのかと思ってしまう。確かに地震が来そうだとわかれば対策も立てやすいだろう。それでも地震が来た時の対策は何があるのだろうと考えてしまう。家具の転倒防止のために器具を打ちつけることや、食料やその他の生活必需品を身の回りに備えておくことや、逃げ道の確保や家族がバラバラにならないように連絡の方法や場所を決めて置くことや、その他にもいろいろと考えたら切りがないくらいあるだろう。

 それで、命は助かるかもしれない。地震の後でも生きていけるかもしれない。地震対策とは地震が起きてから、いかに普段の生活を取り戻すかということにある。みんな、それを考えているし求めているわけだから、それでいいのではないかとも思う。結局のところ、地震を食い止めることは出来ずに己の立場の安泰ばかりに目が向いてしまう。

 地震が来るのを阻止することは、今の自分たちには全く何もできない。地殻がどうの、活断層がどうのと言うけれど、実際に被害に遭ったのは年寄りで、彼らは真面目に働きさえすれば必ず幸せがやってくると信じている。それで、地震の来襲から免れるかと言えば、そういうわけにはいかない。地震も歳月も容赦なく人に襲い掛かってくる。

 地震が来た時に、最小限の被害ですむように対策を考えることは大事なことだと思うけれど、地震そのものを阻止できないのだから、やれることはできるだけやっておいた上で、その結果については受け入れる以外にない。私は、地震対策のために人々が英知を結集して当たろうというけれど、来るべきものが来たならば、やむを得ないと思っている。何億というお金をかけて、備えたとしても、それを上回る事態となればどうしようもない。運を天にお任せする以外ない。
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父の日

2008年06月16日 20時59分36秒 | Weblog
 「父の日」にプレゼントを贈ってくれた娘たちが、ブログに何も書いていないと思ったであろう。何しろ私はイベント好きで、行事を大切にしてきたから、子どもたちもそのクセを受け継いで、イベントを大事にしているからだ。

 バンコクにいる次女は5月に帰国した時に、ジーンズなどの遊びの時にするちょっと派手なベルトを「誕生日と父の日のお祝い」とプレゼントしてくれた。そして昨日はメールの「カード」が送られてきた。メッセージには「いつもありがとう☆健康第一!!あまり無理をしないように。。。ぱぱらしい素敵な時間を過ごしてください!!」とあった。

 長女は「第3番目の娘となった」孫娘と連名で、でっかい箱を持ってきた。箱には「いつもありがとう♡テレビっ子には気をつけよう」とある。最新の薄型テレビを購入したのに、DVDプレイヤーを買わなかったから孫娘が「WOWOWが録画できない」と言っていたことを思い出した。カミさんも最近ゴルフ番組を録画して見直していることがある。二人が一番喜ぶのではないだろうか。

 私も映画は好きなので、テレビで見たかった映画が放映される時は見るし、ビデオの作品集も買ったことがある。ところがビデオ撮りしたものをいつか見るだろうと思っていたが、未だにそれらを見ようと言う気になれない。映画は映画館で観るというクセから抜け出せない世代なのだ。

 ひな祭りや七夕やお月見など昔から伝わってきた行事、お誕生日やそれぞれの記念日を祝うことなど、共有するものはたくさんあったほうが良いと思う。
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仕事に遊びに

2008年06月15日 21時56分32秒 | Weblog
 昨日そして今日は忙しかった。まず、昨日は朝早くから井戸掘りに出かけた。木曽川の近くなので、水が出ることは間違いないだろうと思ったが、玉石が多いと掘り下げることができないから、そのことの方が心配だった。井戸掘りはうまくいった。うまくいったことから振り返ってみると、先日、一日中かけて庭に2箇所も掘ったあの井戸掘りも、本当はうまく行っていたのではないかと思えた。井戸掘りや水の汲み上げのために使っているポンプとホースの接続部分に漏れがあったので、汲み上げる水量が少なかったのではないかと思う。

 例によって、まずスコップでの穴掘りから始める。これが実に大変で、何しろ年寄りばかりだからすぐに息が切れる。けれども、依頼主にそんなところを心配されるようなことがあってはならないから、いかにも順調にベテランの作業員の振りして、手際よく進めなくてはならない。ところが2メートル80センチほど掘り進んだところで、リーダーは4メートルのパイプで一気にやると言い出す。いつもなら、1メートルか2メートルずつ繋いでいくのになと思うが、何か思うところがあるのだろうと4メートルのパイプで試みるが、やはり無理がある。結局4メートルを半分に切断して、3メートル80センチほど掘り進んで、「よし、水脈に当たった!」と言う。

 水を汲み上げてみると、ものの見事に透き通ったキレイな水がドッドッと流れ出してきた。「バンザイ!」「やった!」である。もたもたした時間を取り除けば、作業を始めて水が出るまで、実質30分少々だ。そう考えてみると、リーダーが何やらもたもたと余分なことばかりやっていたのは時間稼ぎだったのだ。余りにも短時間にこのように大量の水が出てきたのでは、作業の重みがなくなってしまうとリーダーは判断したのだ。

 毎日新聞の記者が取材に来て「タイミングが良すぎますね」と言う。どういうことかと聞くと「今朝、宮城県で大規模な地震があったんですよ。あれ、知らないんですか?」と言う。私たちは朝早くから現地に来ていたので、ラジオも聞いていないしテレビも見ていない。やはり井戸の効果は大きい。しばらくすると防災ボランティアリーダーの人たちが20人ほどやってきた。井戸が防災上で果たす役割を確認するためだ。

 この日の午後は、夜に我が家で行なう「偲ぶ会」のための準備をした。一緒によく飲み、韓国旅行にも行った友だちを、仲間の私たちで思い出して、飲もうという会である。亡くなった彼は丁度私の兄と同年だったことや私の活動を本当によく支えてくれた人なので、私には実に思い出深い。13歳も年上でしかも会社の社長まで努めた人なのに、私の手足となって働いてくれたのだ。

 さて、今日の午前中は土いじりをし、午後からは友だち2人と「コミュニティ・ビジネスを知ろう」と題する地域おこしの講演会を聞きに出かけた。NPO「おたすけ」を立ち上げようとしている私たちとしては、何か役に立つ話ではないだろうかと考えたからだ。私にはちょっと退屈な話だったけれど、一緒に出かけた人は「おもしろかった」と言うから、ムダではなかったのだと思う。
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「シャガール展」を観る

2008年06月13日 18時53分49秒 | Weblog
 大和塾の皆さんと岡崎市美術博物館へ、「シャガール展」の鑑賞のために出かけた。「シャガール展」を観てもらいたいこともあったけれど、美術館の造りや周りの環境も味合って欲しいと思った。よい企画だと思ったが、いろんな都合もあり、全員参加とはならなかった。サークルではよくあることであり、仕方がないと思う。

 シャガールは日本では人気のある画家だからよく企画されるが、今回の作品はこれまでにないものが多かった。それに展示されている作品の数の多いのには脅かされた。驚いたことは他にもあった。作品に方眼紙のような線が引かれたものがあり、「アレは何か?」と尋ねられたので、おそらくこれは下絵で拡大するための線だと思うと、方眼紙の使い方を描いて説明していたら、係りの女性がやってきて「それはシャープペンですね」と念を押していく。なるほど、展覧会の会場ではボールペンやナイフやで作品を傷つける不心得者が時々いるから、その類と見られたのだ。

 作品の収集とともに展示の仕方もこの美術館はよく研究している。初めてここを訪れた人は美術館の外観やその周囲の庭園、そしてまた建物の構造などに大いに興味を示す。昼食は美術館内にあるレストランでランチをとった。食べながらいろんな話題が次々と展開していった。それが大和塾の皆さんの良いところで、関心の量も多く質も高い。西洋人が日本人の食生活を知ったなら、「うまい」と思い真似をすると、さらにいっそう食糧危機は進行するだろう。日本人が西洋人並みの質素な食生活を受け入れれば、食糧自給率も70から80%になるんじゃーないだろうか。

 そんなたわいのない話ばかりだが、「これだけ医学が進歩したのだから、あなたの寿命は後何年と診断できんものですかね」と言う人がいた。「そんなことができるようになれば、精神障害の人がどっーと増えますよ。いつ死ぬかわからないから、少しずつ死の準備ができて、死への恐怖が薄らいでいくのですから」。そうだろう。もし、自分の死期がわかるようなら、死にたくないと発狂する人や秋葉原の連続殺人のように他人を巻き込んで死んでやるという馬鹿な人がもっと生まれてくるだろう。

 「変な時代だね」と言う。「いつごろからこういう兆候が出てきたのか?」。「現在、40歳から35歳くらいの子どもたちからか?」。「えっ、それくらいの子どもの親は60歳代の私たちじゃーない」。「どうやって子どもたちを育てたの?」。「勉強しないとえらくはなれないわよ!と言ったのかしら」。「そう言う親が多かったんでしょうね」。「ウチなどは勉強しなくてもいいと言って育てたんだけど、その子は自分の子どもには勉強せよと言うのよね」。話は尽きない。

 美術館の周りの散歩道をそぞろ歩き、もう一つの東公園で花ショウブも見学し、無事帰還した。明日はまた、井戸掘りである。頑張らないといけない。
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風間杜夫の一人芝居

2008年06月13日 09時10分06秒 | Weblog
 今朝、ブログを見ると昨夜仕上げたはずが掲載できていなかった。どうしてなのか、覚えていない。今日、大和塾の皆さんと岡崎市美術博物館へ出かけるのに、出欠席があいまいな人が多く、そのことが気になっていて忘れてたようだ。一日送れだが許して欲しい。

 「暇?」とメールをくれる友だちが、朝早く「書道展に行かないか?」と電話をくれた。今日は午前中なら空いている。午前9時半前に車で迎えに来てくれ、二人で県立美術館へ行った。書道のよさは私にはわかりにくい。どれもこれも「うまい」のではと思ってしまう。確かに筆遣いや墨の濃淡などで心惹かれる作品があるが、他の作品と比べてどうなのかと問われたら答えようがない。

 筆の勢いや文字の形でこれは好きとか嫌いくらいでしか判断できない。だからどうしても文字よりも書かかれた文章の方に気がいってしまう。おもしろい作品が一つ目に入った。全部を書き留められなかったが、最初の3行ばかりは次のようだった。
  
  「お前はお前で丁度よい。
   顔も体も名も姓もそのままお前に丁度よい」。

 こんな文章がまだまだ続くのだが、展覧会の会場では写真を撮られないし、メモすることも気がかりで、ここまでしか覚えていない。後は、たとえば得たものと失ったものというようななかなかいい言葉が続いていた。

 書道をおもしろいなと思えたのは初めてではないか、そんなことを思いながら、今日のメインである名演の会場へと出かけた。今回の催しは、風間杜夫の一人芝居である。かつて芸文センターの地下小ホールで、岐阜の人が演じたひとり芝居を見たことがあるけれど、それはドストエフスキーの作品のような重い芝居だった。ひとりで90分も演じることはなかなかできることではないと思った。

 風間杜夫という役者がどんな風に演じるのか、脚本はどんな流れなのか興味深かった。見終わってみると、風間杜夫は映画やテレビで見るよりも演技の幅が広くいいなと思った。風間が演じる主人公は記憶喪失になった男で、旅回りの一座の仲間であった。それが座長の奥さんと駆け落ちすることになってしまい、挙句にその奥さんはすごい資産家の娘で、主人公を養子に迎えようという設定である。

 こんな願ってもないうまい話を主人公は蹴って、今度はホームレスと一緒に生活するようになる。ここではフォークソングも出てくるし、小林旭の演歌も出てくる。会場の観客と風間が一緒に歌うことになり、どういうわけか私は涙が止まらなかった。

 フォークソングから演歌まで、いやいや落語もこなす風間の演技力にはビックリした。芝居の中でも、名セリフだなと思ったものもいくつかあったのに、今は思い出せない。それでも風間がテーマとする(?)団塊世代の生き様がここかしこに見えておもしろかった。自分の思うように生きてみる、それから考えてみてもいいじゃないか、そんなことを考えさせる芝居だった。
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木村拓也総理大臣はいい

2008年06月11日 23時58分35秒 | Weblog
 月曜午後9時のドラマ「月9」を見ている。そもそも私は「月9」なる言葉を知らなかった。カミさんが「月9」を見るというので付き合ったことから始まった。カミさんの方はといえば、ドラマが始まるとまもなく大きく船を漕ぎ出す。要するに眠ってしまうのだ。「木村拓也が総理大臣になるのよ」と聞かされた時は、またしてもお笑いのくだらないドラマかと思っていた。

 ドラマが始まってみると結構おもしろいと思った。選挙運動をしたことがない人には、別にどうっていうことのないドラマかもしれないが、選挙の洗礼を受けた者には見ごたえのあるドラマだと思う。だからカミさんがウットリウットリとやっている時、私は目を爛々に輝かせてドラマを見ている。

 ドラマの木村拓也は実際、総理大臣にふさわしいかもしれないと思う。自治体の首長でもドラマの木村拓也に及ばないだろう。筋書きどおりのことはできても、筋書きとは違う場面に遭遇した時、どれほどの指針が出せるかが首長の力量だと思う。総理大臣になった初日に泉谷が扮するヘンなおじさんのとかかわりといい、今回のようなアメリカ政府要人に対する扱いにしても、出会いは誠に異常で余りにも視聴者を喜ばせようと意識してくれることをありがたいと思う。

 その木村拓也総理大臣が、「話し合えば分かり合えるから、もっと話し合って一致点を見つけることではなく、話し合ってお互いに違うことに気がつく。違いを認めた上でどうしたらよいか、考えることが大事だ」と言っていた。木村拓也が総理大臣になったなら、本当にこの国は変わるかもしれないなと思った。

 昨日はよく眠れなかったし、今朝も早くから目が覚めた。今、ワインのせいもあるだろうがとても眠い。眠りに陥ることは実に幸せなことだ。今日一日に感謝し、眠りにつくことにする。おやすみなさい。
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井戸掘り

2008年06月10日 20時03分49秒 | Weblog
 今日は井戸掘り。朝の8時過ぎから午後5時近くまで、よく働いたと思う。身体のあちらこちらが明日は相当に痛くなっているだろう。何しろ日ごろ使うことに無い筋肉を使ったから、私の体は参ったといった感じだ。「そんなに力の要るところはありませんから」と聞いていたが、やはりいざという時はかなりの力が要求される。それにグループの中では、私は若い方なのだから、サボったりしては先輩方に失礼になる。「代わりましょう」と言っては力仕事を引き受けたけれど、やってみると大変だった。

 中国四川省での大地震でもそうだが、災害が起こった後の生活で困るのは水だ。水道の普及で地下水を汲み上げる井戸はなくなってしまった。けれども井戸があれば、生活に必要な水くらいは確保できる。平常時には植物への水遣りに使える。水道水よりも井戸水の方が草花や野菜には適している。草木が活き活きと育つから、いわゆる優しい水であることは間違いないと思う。

 「簡単に井戸掘りができるからやってみないか」と誘われ、災害時には井戸の重要性が増すと主張していた私としては、願ってもないことだったのですぐに承知した。どんな風に井戸を掘るのか、説明は聞いていたもののはじめての体験だった。草木がよく茂ったお宅に伺い、その庭の一角で井戸を掘った。土は柔らかかったけれど、樹木の根が張っていて初めの穴掘りは大変だった。それでもどうにか70センチほどの深さまで掘ることができた。ここで上から水を流し込んでさらに穴を掘り進める。6メートルほどまで掘った。

 地下水は出てきたけれど、水量が少なめだ。ここは地下水の豊富なところだが、うまく水脈にあたらなったのかもしれない。悩んだ挙句、もう1本掘ってみようということになった。最初のところより北側の家屋に近いところでまず、穴を掘ってみた。滅茶苦茶に硬い。30センチほどのところから丸石がいくつも出てきた。これらを取り除いて、さらに掘っていくと今度は石ではないのに石のように硬い土の層にぶち当たった。ひょっとするとこの地層の下はいいかもしれないというので、とにかく掘り進めた。

 1メートルほどの深さになると柔らかな粘土混じりの地層に変わった。そこで再び上から水を流し込み、ヨイショヨイショと土を掘り下げていく。一気呵成に成し遂げなくてはならないから、この時は2人か3人が心を一つにして力を込める。この作業も誠に疲れたが、何とか水が出るところまでいった。こちらも6メートル50センチほどの深さだ。それにしてもやはり井戸掘りは簡単ではなかった。簡単でなかったことが逆に私たちには良い教訓となったと思う。

 今週の土曜日にはもう1件、井戸掘りがある。今日の作業がきっと生きると思う。とにかく口が渇いた。冷たいビールを一気に飲み干したい。
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中学の友だちとの再会

2008年06月09日 23時48分10秒 | Weblog
 JR鷲津駅に着いたのは、午前9時を8分ほど過ぎていた。何を勘違いしたのか、金山駅でJRに乗り換えた時、どうしてこんなに時間があるのだろうと思ったのに、列車が進むにつれて間に合わないことがハッキリしてきた。ケイタイがあれば連絡も出来たのに、それも無いから焦った。途中から乗り込んでくるはずの友だちも来ないし、おかしいな自分だけが置いてきぼりか、と思ったのだ。

 結局、男の中の3人が不参加とわかり、女3人と男2人で出かけることになった。浜名湖の南のバイパスを通り、浜松に入ってもうひとりの女友だちの家に迎いに行き、合計6人でまずは小国神社へ出かけた。私は初めて訪れた神社だが、伊勢神宮にも通ずる深遠な趣が漂っていた。ここにも花しょうぶ園があり、入場料は300円だった。

 「外から見えるから。それにたいしたことはないから」と、入場口の前で大きな声で女ともだちが言う。余りにも声が大きすぎたから、ちょっと気が引けて、みんなで入場することになった。確かに大高緑地や庄内緑地の花しょうぶ園よりも規模は小さく、300円は高い気はしたけれど、一種の迷惑料のつもりでこれは入場しないわけにはいかないと思ったのだ。

 次に、今日のメインである賀茂花しょうぶ園へと向かった。ここは以前、カミさんのお母さんを連れてきたことがあったが、当時よりも大きくなっていたばかりかよく整備もされていた。ここで庄屋弁当を買い求めて、花しょうぶを見ながらみんなで食べた。レストランで食べると2500円のランチだが、弁当ならば1050円ですむ。さすがにベテラン主婦の皆さんだけに即弁当に決まった。

 食事をしながら、今日来られなかった友だちからのメールが紹介された。「何を生き甲斐に生きていますか」という質問に答えなさいというのである。そこで12年間友だち以上恋人未満を続けている友だちがまず槍玉に上がり、「えっ、まだ続いているの?そろそろやめたら」とか「その女の人との付き合いが生き甲斐なの?」とか、質問攻めに遭っていた。

 彼は、私が初恋の人に会いに行ったのと同じだと言うので、「それは次元というか所在が違うだろう。私の彼女は昔の人だけれど、あなたは今、一番大切に思っているし、肉体の関係はないとしても、心を奪われているのだから、全く違う」と言うと、「まあその話はやめようよ」と嫌がる。みんなはおもしろがって、私は彼の気持ちが知りたくて、時々混ぜ返したりした。

 自然食品を指導している友だちが「ところで、あなたは何をしているの?」と私に聞いてくる。矛先が自分に向けられたのだ。彼女は「せっかくやってきたのに、ガーデニングしかしないと言うのでは、あなたがやってきたことは何だったのか、否定することになる。やはり、あなたの思いを伝えることが大事じゃないの」と言う。すっかり今日は、彼女に説教されてしまった。

 「自我実現は単なる自我つまり欲望の実現に過ぎないけれど、大切なことは自己実現なのよ。人は何のために生まれたのか。自己実現のために生まれたの。自分が何をしなくてはいけないのか、自分の役割を見極めることが大事よね」。彼女がこんなにも雄弁に語るから拝聴する以外になかった。
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ろうけつ草木染展を観る

2008年06月08日 22時33分25秒 | Weblog
 中学時代の友だちから、私の初恋の人が「展覧会をやるわよ」とメールが来ました。「冗談に《花束持って来るかも・・》と言いましたら、絶対それだけはやめて欲しいと言っていました」。ここまで言われて行かないわけにはいきません。それに本心を言えば、少し彼女のことが気になっていました。初恋の人がどんな風に暮らしているか、気にならない方がおかしいでしょう。

 カミさんに「ボクの初恋の人が草木染展をやっているのだけれど、一緒に見に行かない」と勇気を出して言いました。後からブウブウ言われたくなかったからです。カミさんは「私が一緒でない方がいいでしょう。どうぞ、ごゆっくり」と言います。そう言っていながら、不機嫌な気持ちを全面出すのはやめて欲しいと思うくらい露骨でした。

 どうして寛大な気持ちになれないのか、私には理解できません。私が「駅まで送ってくれないか」と頼んでいるのに、「ご自分で行ったら」と誠につれない返事です。カミさんが飲み会に行く時、「駅まで送って」と言われて断ったことは一度もありません。「どこどこの居酒屋まで送って」と言われた時も、時間に間に合うようにキチンと動いています。カミさんは「次元が違う」と言うのでしょうが、初恋の人をそんな風に思ってくれて、「ありがとう」とも思いました。

 精神科医の斉藤環さんが、「愛情の形式には男女で違いがあります。女性の場合は関係が重視されるのに対して、男性の愛情は突き詰めれば所有の形を取るんです」(『性愛』格差論 中央公論新社)と述べていますが、私は必ずしもそうではないように思います。男女の位置づけが逆転していると思っているのです。女性も所有を、そして弱くなった男性は関係重視と言いますか、関係があればいいと思うようになってきていると思います。

 「ろうけつ草木染展」は、はなしょうぶ祭りに合わせて開かれていました。私の初恋の人は受付にいたのですぐにわかりました。むしろ彼女の方が私を見定めることができなかったような印象でした。私は歳を取り、額は禿げ上がり、頭髪もまばらです。彼女もまた、深い皺が何本もあり、彼女のお母さんにそっくりになっていました。カミさんよりもはるかに年老いて見えたのは、結婚してからの生活のせいでしょうか。

 相変わらずダンナとは口も利かないと言います。草木染をやっていると、余分なことを考えず無心になれるとも言います。高校生の時、「あなたはあなたが作り上げた私に恋しているだけなのよ」と断言したすごい人だったのに、かくも苦労を重ねてきたのかと思いましたが、私もまたカミさんにそんな思いをさせているのかなと思いました。彼女とダンナである私の同級生が、どんな経緯を経たのか知るところではありませんし、知りたいとも思いません。

 「そこそこに生きているわよ。あなたは絵を描いているの?」と彼女は言います。彼女のろうけつ草木染の作品を見せてもらって、「私だってやっているんだから、あなたも絵を描きなさい」と言う彼女が何を言いたかったか、わかるような気がしました。
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キスがうまい孫娘の先輩

2008年06月07日 23時45分10秒 | Weblog
 詳しいことはわからないけれど、そしてまた、本当のことかどうかもわからないけれど、昨日のブログの田中さんのご両親はわが子のことをどう思っていたのだろう。昨日のブログにコメントを寄せてくださったのを読んでそう思った。自分の子育ての時は考えてもみなかったような気がするが、孫娘のことだともう少し距離を置いて見られるように思う。

 彼女は、高校1年になる先輩から「一緒に遊ばない!」と誘われ、断れなくて「いいですよ」と答えてしまった。その高校生の子がまだ中学生の時にも誘われたことがあって、母親から「ダメ」と言われて、なにやかやと理由をつけて断った経緯がある。その先輩が男友だちとキスをしている写真を孫娘から見せてもらったことがある。

 男同士でもそうだけれど、女同士でもその手の子の話はどうも「性」にかかわる話が多いようだ。私自身の子どもの頃を振り返ってみても、エロ本を回し読みしていたグループはどこまでいってもそんな「性」にかかわる話が多かったように思う。ところが中学3年で一緒になり、今も付き合いが続いている仲間では一度もそんな下世話な話をしたことがない。むしろ、「性」に関することであっても哲学的な、人間の存在としての「性」の話であったと思う。

 孫娘に「今日はどうだった?」と聞くと、「ウン、男の話だよ」と言う。内容までは言わなかったけれど、おおよその想像はつく。高校生の先輩が、いかにも知ったかぶりああでもないこうでもないと話したに違いない。孫娘が以前、先輩のキスしている写真を見せてくれた時、「キスがとてもうまいんだって」と話してくれた。キスがうまいかへたかなんて、よほど経験しなくてはわからないのではないかと経験不足の私は思っている。

 うまいとかへたとか、本当にはわからないし、多分そんなことは問題ではないだろう。相手が好きならそれで、どんなことも甘い蜜のようなものだと私は思っている。それなのに、うまいと言うことでいかにも「私は経験があるのよ」とエライ気ぶることはよくあることだ。「経験のない男は処女を求める」と昔、映画のセリフで聞いたことがある。知らない者の前では、知っていると思わせることは一種の優越感なのだろう。

 子どもをどんな風に育てていけばよいのか、今また、孫娘を育てるハメになって、考えさせられている。私はどうも「人は人、自分がどうしたしたいか、それが一番肝心なことじゃあないか」と言ってしまうが、「そういうあなたの考え方がいけないと、長女は思っているから自分の娘にはきつく当たっているのよ」とカミさんは言う。自分の思うようにやってみればいい。人生はやり直しはできないが、思い巡らすことはできる。
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