岩手・宮城内陸地震は規模が大きかった割には犠牲者は少なかったそうだ。何と比較してそんな風に言うのか、私にはわからないし、だから何なのかと問い返したくなる。もちろんこれだけの地震が大都会で起きれば、犠牲者の数はもっと多かったであろう。そんなことからなのか、地震の予測がもっと的確にすばやくできないものかと研究されているようだ。
私はへそ曲がりなので、何でそんなに早い予測が必要なのかと思ってしまう。確かに地震が来そうだとわかれば対策も立てやすいだろう。それでも地震が来た時の対策は何があるのだろうと考えてしまう。家具の転倒防止のために器具を打ちつけることや、食料やその他の生活必需品を身の回りに備えておくことや、逃げ道の確保や家族がバラバラにならないように連絡の方法や場所を決めて置くことや、その他にもいろいろと考えたら切りがないくらいあるだろう。
それで、命は助かるかもしれない。地震の後でも生きていけるかもしれない。地震対策とは地震が起きてから、いかに普段の生活を取り戻すかということにある。みんな、それを考えているし求めているわけだから、それでいいのではないかとも思う。結局のところ、地震を食い止めることは出来ずに己の立場の安泰ばかりに目が向いてしまう。
地震が来るのを阻止することは、今の自分たちには全く何もできない。地殻がどうの、活断層がどうのと言うけれど、実際に被害に遭ったのは年寄りで、彼らは真面目に働きさえすれば必ず幸せがやってくると信じている。それで、地震の来襲から免れるかと言えば、そういうわけにはいかない。地震も歳月も容赦なく人に襲い掛かってくる。
地震が来た時に、最小限の被害ですむように対策を考えることは大事なことだと思うけれど、地震そのものを阻止できないのだから、やれることはできるだけやっておいた上で、その結果については受け入れる以外にない。私は、地震対策のために人々が英知を結集して当たろうというけれど、来るべきものが来たならば、やむを得ないと思っている。何億というお金をかけて、備えたとしても、それを上回る事態となればどうしようもない。運を天にお任せする以外ない。
私はへそ曲がりなので、何でそんなに早い予測が必要なのかと思ってしまう。確かに地震が来そうだとわかれば対策も立てやすいだろう。それでも地震が来た時の対策は何があるのだろうと考えてしまう。家具の転倒防止のために器具を打ちつけることや、食料やその他の生活必需品を身の回りに備えておくことや、逃げ道の確保や家族がバラバラにならないように連絡の方法や場所を決めて置くことや、その他にもいろいろと考えたら切りがないくらいあるだろう。
それで、命は助かるかもしれない。地震の後でも生きていけるかもしれない。地震対策とは地震が起きてから、いかに普段の生活を取り戻すかということにある。みんな、それを考えているし求めているわけだから、それでいいのではないかとも思う。結局のところ、地震を食い止めることは出来ずに己の立場の安泰ばかりに目が向いてしまう。
地震が来るのを阻止することは、今の自分たちには全く何もできない。地殻がどうの、活断層がどうのと言うけれど、実際に被害に遭ったのは年寄りで、彼らは真面目に働きさえすれば必ず幸せがやってくると信じている。それで、地震の来襲から免れるかと言えば、そういうわけにはいかない。地震も歳月も容赦なく人に襲い掛かってくる。
地震が来た時に、最小限の被害ですむように対策を考えることは大事なことだと思うけれど、地震そのものを阻止できないのだから、やれることはできるだけやっておいた上で、その結果については受け入れる以外にない。私は、地震対策のために人々が英知を結集して当たろうというけれど、来るべきものが来たならば、やむを得ないと思っている。何億というお金をかけて、備えたとしても、それを上回る事態となればどうしようもない。運を天にお任せする以外ない。