友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

もう海外旅行は無理だろう

2024年07月18日 17時09分01秒 | Weblog

 朝から陽射しが強かった。梅雨明けである。空を見上げ、部屋の壁に掲げられているヴェネツィアの水路を行く小舟の写真に目がいった。1992年8月のイタリア旅行の時、友だちが撮った写真だ。私には初めての海外旅行だった。

 その2年ほど前に、長女は母親に代わって、アメリカのユタに住むカミさんの友だちの家にひとりで出かけた。次女にも海外に行かせようとしたが、次女は怖がりで「ひとり旅は嫌」と言うので、友だちの好意に甘えて、次女と私たち夫婦で参加した。

 友だちの長女と次女は保育園から一緒で、その下の娘さんは地域新聞を作っている時、友だちが取材中は私が抱っこしていたから家族のようなものだった。しかも、日本語が話せる現地ガイド付きだからというのも安心だった。

 イタリアはダビンチやミケランジェロ、ルネッサンスが生まれた芸術の国、憧れで胸がいっぱいだった。出来れば画学生の時、留学したかった。そして、イタリアの男性はすぐ、女性に声をかけて来ると聞いていたので、5人の女性を守るナイトの気持ちだった。

 けれど、イタリア人は背が低く、人懐っこくて親切だった。どこだったか忘れたが、入館しようとしたらお昼寝タイムでダメだった。日本では考えられない、ナマケ者の国と思ったが、今に思うと、それくらいゆったりと暮らした方が幸せな気がする。

 レストランに入った時も、イタリア人はよく食べ、よく飲んでいた。初めにビールを飲み、ピザを食べ、それからワインを飲み、スパゲッティを食べ、まだまだ食事時間は続いていた。食べ物は豊富で、新鮮だった。路地は狭く、笑い声が響いていた。

 陽気なイタリア人が歌うカンツォーネが懐かしい。海外旅行の楽しさを知って、2年後に友だちのダンナがいる、アメリカのプルマンに3人で出かけた。友だちのダンナは大学の先生で、勉学のために単身でいるので、みんなで年末年始を楽しくという計画だった。

 彼女がいなければ、彼女が気さくに誘ってくれなければ、私が海外旅行へ出かけるのはもっと遅かっただろう。他国を知ることは大切なこと、大げさに言えば世界平和にもつながる。でも、もう海外旅行は無理だろう。


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