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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

外山滋比古さんは高校の大先輩

2018年10月29日 17時55分39秒 | Weblog

  秋らしい日が続いたので昨日と今日、朝からルーフバルコニーで鉢の土の入れ替え作業を行なった。春にチューリップが終わり、サルビアに植え替える時、鉢の土を入れ替えながら、「来年からチューリップは止めよう」と考えていた。私が元気なうちに少しずつ鉢を減らしていこう、そんな風に思っていた。

 実際、周りで人が亡くなったりして、よりそう思うようになった。同じ歳の人が「終活をしている」と言う。残った人に迷惑をかけたくないと私も思う。けれど、どんなに整理しておいても、迷惑をかけることには変わりない。「しょうがない人ねえ」と最後まで思ってもらうことになるのも、また、私らしい気がする。

 中日ドラゴンズが交渉権を獲得した大阪桐蔭高校の根尾選手の愛読書が、外山滋比古さんの『思考の整理学』と聞いてびっくりした。外山さんは私が卒業した高校の先輩で、同じ先輩の画家・河原温さんのふたりが同窓の双璧と私は思っている。しかし、外山さんの著書は『国語は好きですか』しか読んでいない。この本から察すると、かなりの頑固者だと思う。

 外山さんは英文科を卒業した英文学者だが、明治以降の欧米文化をありがたがる傾向を「よし」としない。外山さんが子どもの頃の教育は、「よみ・かき・さんじつ」が中心で、よみが重視された。かきは文章を書くことではなく、文字を書くことと回想している。戦後も「話す」ことには重点が置かれなかったし、「話す」ことを教えられる先生がいなかったと指摘する。

 私が共感したのは、日本語は縦に続くものなのに横書きするようになって、きれいな文字が書けなくなったという指摘だ。授業などで筆記する時、どうしても横書きしてしまう。縦書きだと鉛筆を持った手が、書いた文字の上を動くので汚れてしまうが、横書きなら汚さずに済むからだ。私はズーと日記を書いてきたが、ノートを横にして縦書きにしてきた。確かにその方がキレイな文字が書ける。

 4歳の孫娘がひらがなを書けるようになったと次女が喜んでいたが、私はカタカナから習わせた方がいいと思っている。カタカナは漢字の一部を借りたものだから覚えやすいが、ひらがなは漢字を毛筆で書く時の崩しだからとても難しい。確か、外山さんもカタカナから覚える派だった。

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