友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

女性の手足の話で夢中

2018年10月04日 17時10分18秒 | Weblog

 中学からの友だちは喉頭ガンになって会話ができない。それでも以前はクラス会に出席し、何を言っているのか分からなくても構わずにしゃべっていた。私は気の毒な気がして傍に寄れなかった。昨日訪ねると、入退院を繰り返していること、胃ろうによって命を保っていることなどをカミさんが話してくれた。「認知も始まっているから、さっぱりしているわよ」とも言う。

 彼は中学3年の時に転校してきたが、1学期は病欠で登校しなかった。学校からの連絡は家が近かったルーム長の私が届けた。高校は別だったが、私が教会に誘ったこともあり、毎週会っていた。3年の時は夜、自転車で我が家にやって来て、ふたりで私が通っていた高校へ出かけた。いつも私は聞き役で、たいてい彼女の話だった。大学1年の時は、中学からの4人でよく居酒屋へ出かけた。

 昼食を取り損なって、通りすがりの喫茶店に入った。年老いた男4人しか客はいなかった。常連さんなのか、大きな声で話していた。「近頃のNHKはつまらん」と言うので、番組のことだと思ったら、女性アナウンサーのことで、しかも「今はズボンとは言わないみたいだが、なんでみんなズボンなのかねえ。ミニスカートをはいてくれたらいいのに」とボヤいていた。「バレーボール見たらいい。若い子はみんなきれいだぞ」「東洋の魔女もあんなにきれいだったのかね」「何年前になる?」と、女性の手足の話で夢中だ。

 川端康成氏の『片腕』が浮かんできた。若い女性の片腕と寝る男の話で、奇怪な筋なのに、男の女への愛着だけは凄まじい。片腕しか出てこないのに、腕の主の乳房のふくらみから歩き方まで想像できてしまう。「私は娘の腕をほんの少しまげて、それを持ちあげて、唇をあてて吸った。『くすぐたいわ。いたずらねえ。』と娘の腕は言って」のところは全く男の欲望そのものだ。女性の手先や足先はそれだけで美しい。ふくらみのある腕や足を眺めるだけで、男たちは満足なのだ。「そっと、さわっていいですか?」。

 

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