男女共同参画セミナーが開かれ、友だちがトークセッションに出るというので、皆さんに呼びかけて出かけた。新人だった女性職員が進行役を担い、世話になった女性が開会の挨拶と司会を務めた。言ってみればセミナーは旧知の人ばかりだったが、全体に若返っていた。講演した三砂ちづる津田塾大学教授も60歳だから当然なのかも知れない。
三砂先生の演題は「明日の自分が少しわかるかも知れないお話」で、そのポイントは「言葉の力」にあった。私たちの時代は誰もが結婚することが当たり前の皆婚世代で、親を含めて周りは「結婚しなさい」とお膳立てさえした。1965年から70年に起きた団塊世代による大学紛争・社会改革の嵐がこの結婚観を大きく変えた。
団塊世代は子にいろいろ強要しない。子は、恋愛出来ないし、結婚が幸せとならないし、金がないので結婚しないし、結婚は自由だからと周りも勧めないので、結婚年齢は30歳近くなり、結婚しない人たちも生まれ「孤立する40代」が出来つつあるという。三砂先生は「恋愛と結婚は別。恋愛など無くても結婚は出来る」と言う。その通りなのに、どうして恋愛して結婚という妄想に陥ってしまったのだろう。
「月経や出産も自然なこと。だからたいしたことではないのに、呪いの言葉がストレスを生んでいる」と指摘する。悪いイメージしかなければ、人は当然避けたくなる。少子化のひとつの原因になっていると。生についても、死についても、呪いの言葉が多い。肯定的に受け入れるよりも拒否する思考に浸かってしまっている。死は苦しく絶望的と思われがちだが、実際、死を看取ってみると、厳かな気持ちになれる。否定的な言葉が生まれるのは、「悔い」があるからだ。死に際しても、やれることをやり切れば、後悔は生まれない。
そうか、生も死も、日常のひと時、今、生きている瞬間を大事にしよう。最後に三砂先生は「今ある親しい関係を大切にして欲しい」と結ばれた。それは家族であり親族であり友人であり恋人である人と人の結びつきを言うのだろう。そう思えば、少し自分が変わるかもしれない。