友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

来年のノーベル平和賞を考えてみる

2018年10月06日 19時47分07秒 | Weblog

  「結局、トランプ大統領と金委員長は、ノーベル平和賞を取れなかったね」と言うと、「当たり前じゃーない。ふたりは会談しただけで何もしていないのだから」とピッシャリとやられた。「トランプ大統領とすれば、オバマ前大統領がプラハで、核保有国のアメリカが先頭に立ち、核兵器のない世界の平和と安全を追求すると演説しただけで、ノーベル平和賞を授与されたのだから、北朝鮮との和解が成立すれば、当然、ノーベル平和賞だと思っていたはずだ」と力説する。

 「それは、勝手にトランプ大統領が望んだことで、まだ、何も進展していない。オバマ大統領に平和賞を贈ったのは、オバマさんに期待したから。でも、何もできなかったオバマさんは平和賞を返還すべきだね。だって、恥ずかしくないのかな」。そんな訳で、今年のノーベル平和賞は「性暴力と闘っている医師と告発に力を注いできた女性」に贈られた。

 紛争地では子どもが兵士に育てられ、女性が奴隷のように扱われる。今日死ぬかも知れない、そんな極限状態に置かれると、人は狂鬼になってしまう。どうせ死ぬとなると、善悪の判断はなくなる。思いやりや気遣いなど存在しない。他者を殺すことも、それも尋常ではない殺し方をしても、自分を責める気持ちよりも満たされた気持ちになると、戦場で死線を越えて来た者は言う。人間がもう人間でない状態に追い込まれてしまうのだ。

 オバマ前大統領のプラハ演説を、時の麻生首相は肯定的に評価していたし、共産党の志位委員長も歓迎し書簡を送った。そういう時もあったのに、今や世界は窮屈になっている。世界平和につながるのなら、来年はトランプ大統領と金委員長にノーベル平和賞を与える運動を各国がやったらどうだろう。賞が欲しくてしかたのないふたりだから意外にのってくると思う。口だけで済ませないためにも、世界の各国からそんな運動が起きると面白いのに。

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