友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

地震だった

2018年10月07日 17時23分13秒 | Weblog

  午前10時過ぎ、私は居間の椅子に座って新聞を読んでいた。床から微かな振動が伝わってくる。地震だ。いよいよ来たかと思った。洗面所にいるカミさんは気付いていない。この振動がどのくらい続くのか、見極めてから席を立とうと思い、揺れが大きくなるか収まるかと待った。揺れは間もなく収まった。席を立ち、「地震だよ」とカミさんに言うと、カミさんは急いで玄関に向かうがその時はもう何事も無かったように静かになっていた。

 「テレビ、テレビ」と、カミさんは居間に戻ってテレビをつける。震源地は長野県南部とも愛知県東部とも。我が市は震度3と表示された。あの揺れが遠くから伝わったものであれば、震源地近くは相当な被害になるが、近い場所だったからそんなに大きな被害はないだろう。それにしても、地震だ、台風だ、豪雨だと災害が多い。作家の諏訪哲史さんが中日新聞に『LGBTと少子化』と題し、「結婚も出産も義務ではなく、各人の自由です」「地震や台風が自然であるように少子化も自然です」と書いていた。私はいつもこの人の意見に賛同する。

 人間の力では何ともならない。しかし、現象と原因に関係があることは分かっている。「子どもを産んで消費をのばせ」と主張する人はこれを学ばなくてはいけない。先日、中学のクラス会誌の復刻版を届けようかとクラス会を欠席した女性に電話したら、「要らない」と意思表示され落ち込んだと書いた。その時は、彼女にとって中学の思い出など取るに足らないものだったとショックが大きかったが、終活をしている彼女は、捨ててしまうものをわざわざ届けてもらうのは気の毒との思いやりだったのだろう。

 人の心は計り知れないのに、とやかく批判してはならない。思いやりがどこにあるかで随分判断も違う。17歳も年下の女性と10年も付き合ったのに、女性からピタリと連絡が途切れた。彼はなぜなのかと未練たっぷりだが、彼女には断ち切る何かがあったことだろう。思いやりのある女性というから、きっとそうに違いない。

コメント
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