高校の教師を定年退職した先輩と昔話をしたことがある。彼がいわゆる二流校に勤めていた時、同僚の教師が「うちの生徒はどうして頭が悪いんだろう」とぼやいていたそうだ。彼は「挫折したことのない優秀な人は、勉強ができない人の気持ちが分からない」と思ったが、成績が上がらない原因までは分からなかったと言う。それがいわゆる一流校へ赴任してみて、「これだな」と思ったことがあった。
「それは何ですか?」と聞くと、「一流校の生徒は、分からないことは質問してくる。ところが二流行の生徒は、分からないことも分かったような振りをして、質問に来ない」と教えてくれた。その話を同じ教師でも小学校で勤め上げたカミさんに伝えると、「振りしているのではなく、分からない子は、どこが分からないのかが分からないのよ」と言う。分からないことが質問できるのは勉強しているからというのだ。
私は教師を10年しか勤めなかったので、エラそうなことは言えないが、卒業した生徒たちに何年かぶりに会ってみると、学校の時の成績など全く人生には関係ないと思う。みんな立派に生きている。みんなキチンと仕事をやっている。それは専業主婦でも同じだ。社会に出れば、誰もが人生の主人公である自分をキチンと演じている。幸も不幸も、強い時も弱い時も、紆余曲折はあるけれど、精一杯に生き抜いている。
小学校や中学校のクラス会に出ると、学校の時の成績は全く意味がないことがよく分かる。誰もが素晴しく輝いているし、的確に判断しているし、自信に満ちている。「私は頭が悪い」と大学生の孫娘はよく言うので、「頭のいい人と悪い人の差はあまり無いんだよ。あるのは勉強にかけた時間。あなたが頭がよいと思っている人は集中しているが、あなたは集中できていないのだから、倍の時間をかければ一緒だよ」と言ってやる。一生懸命で生きていれば、人生に大差はない。