友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「力」では何も実現しない

2014年03月06日 18時12分59秒 | Weblog

 1500年代のヨーロッパは大航海時代の影響なのか、活気に満ちていた。海外から運んできた物資が利益を生んだのだろう。ローマカトリックは布教の場を世界に広げていったが、ルターやツヴィングリ、カルヴィンらによる宗教改革が起き、新しい時代の準備が整えられた。織物業が盛んになり、羊毛の需要が高まったイギリスで牧羊のために囲い込みが行なわれた。

 「我々の祖父たちの時代では共有であった土地が、溝や生垣で囲まれ、我々は閉め出された。空の鳥、水中の魚、地上の作物、いかなるものもでも彼ら(地主や領主)が貪り、消化し、呑み込んでしまう。我々は草を食べ、根をかじり、やむなき労働に苦しむのだ。それなのに、彼らは、我々が生きており、呼吸し、共有の空気を楽しむとねたむ」(世界史の資料集より)

 農地を取り上げられ、地主や領主の農奴となって働く農民の実態が綴られている。この後、産業革命が起こり、大量生産ができるようになると、今度は工場労働者がたくさん必要となった。どんどん農地が減らされ、農民は町へ出なければ生きていけなくなった。最初の工場労働者はこうして強制的に作り出された。明治以降の日本では、朝鮮や中国から連れて来た人たちがいたし、日本人も長男以外は町や国外へと働く場所を求めて移った。

 戦後、私の小・中学生の頃、九州や東北から「金の卵」ともてはやされて、大勢の子どもが工場労働者となって都会に送り込まれた。強制ではなかったと思うけれど、地方から来た人に言わせれば、それが一家を支える名誉だったらしい。この集団就職が日本の経済成長を支えてきたわけで、戦前の「お国のため」の戦場から、戦後は工場へと代わったといえる。

 社会主義社会を目指したロシアや中国では、工業化こそが社会主義国家建設の根幹とばかりに、積極的に計画を推し進めた。つまり農民を工場へと強制的に送り込んだ。しかし、技術も知識もない農民にはただただ過酷な労働でしかなった。『ワイルド・スワン』や『真昼の暗黒』を読んで、「力」では何も実現しないと思った。人間が世界の理想に近づくのはまだまだ先のようだ。

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