70歳を間近にして、整理を始めている人が多い。私もまた、時間があれば押入れの中や書棚の中の整理をしている。「身の回りの整理をするとお迎えも早い」と揶揄する人もいるけれど、むしろそのためにしているとも言える。私のものは私にしか意味も価値もない。遺しておくようなものは何ひとつない。人はよく、自分が生きた証を遺したいと言うけれど、私はむしろ抹消しておきたいと思う。
長女が、住んでいた家を整理しに来てくれた。長女も私も、いらないものは捨ててしまいたい方だが、カミさんは「そんな、まだ使えるじゃーない」と思う方だ。物を大事にすることや倹約することに反対するつもりはないけれど、そんなに無駄な物を貯め込んでどうするのかと思う。私とカミさんが一緒に整理すれば意見は一致しないから、物の取捨は任せることにしている。それでもカミさんがいない時に判断を迫られると、私は躊躇なく捨てることにしている。
友だちは「子どものものを整理していたら、段ボール3個もあった」と言う。今度、行なわれるリサイクルバザーに提供するものだ。もう使うことのない新品同様のものなら、必要な人にあげた方がいい。学校の制服や体操服などは3年しか着ていない。クリーニングに出せばまだまだ役にたつ。不要になった物を提出し、役立ててもらうリサイクルバザーはいい企画だと思う。それにしても家の中を見渡せば、本当にいらないものが多い。「思い出の品」は残しておくと言い訳するが、いつ誰が見るというのだろう。
物知りの先輩に言わせると、「日本人くらい物持ちはいない」そうだ。家の中にはあらゆるものが揃っている。確かにアメリカに行った時も、イタリアへ行った時も、家の中はシンプルだった。どうも私たち日本人は物を買い過ぎるし、貯め込み過ぎる。貧しかった過去に対する反動なのか不安なのか、狭い家なのに物で溢れている。だから整理の本が売れるのだろう。そういう私も、「いつか読む」つもりで買った本が書棚に溢れているし、中学から書いてきた日記が捨てられない。やっぱり死ぬまでに整理してしまうのは無理なのかも知れない。