友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

黄昏の花公園

2011年05月08日 12時29分05秒 | Weblog
 土曜日の午後、2歳になる孫娘を連れて、可児の花フェスタに行ってきた。長女から何にでも興味を持つ孫娘はモンスターで、「ひとりでは相手し切れない」と電話があった。カミさんはバラの前のこの時期はナンジャモンジャやハンカチノキが見頃になっているはずだと、ふたりを連れて出かけることに前向きである。約束から1時間ばかり遅れて、長女が孫娘とやって来た。孫娘はちょっと見ないうちにますますお茶目になっている。駐車場で、桜の木から落ちてきた毛虫を見つけ、長女が静止する前にもう捕まえてしまっていた。どうしてこれを捕まえると母親が悲鳴を上げるのかよくわからんという顔をしている。

 こんな調子だから出発するまでに時間もかかり、花フェスタの会場に着いたのは午後3時半くらいだった。遅い時間帯の公園は普段とは違う光景である。バラにはまだ早く、ナンジャモンジャも花を咲かせてはいない。終りかけたチューリップはなんとなく物寂しいが、孫娘は「咲いた、咲いた、チューリップの花が」と歌い出した。公園のどこかで小鳥の鳴き声が聞こえる。スズメの鳴き声ではなかったけれど、「スズメの学校のせんせいは、ムチをふりふりチィパッパッ」と歌う。どうも保育園の保母は60代後半のおばあちゃん先生らしい。「スズメの学校って、怖い歌なんだね」と長女は驚いて言う。

 確か、『スズメの学校』は戦前に作られた歌で、みんながひとつになることを求めている。だから先生はムチを持って、「まだまだいけない」と厳しく指導しているのだろう。同じ学校でも『メダカの学校』は戦後の作品なので、「だれが生徒か先生か みんなで元気に遊んでる」となり、とてものどかな感じがする。それにしてもこの孫娘の歌唱力はやはり父親譲りか、あるいは父親の父親つまり祖父譲りなのかもしてない。故郷の町を父親であるこの孫娘のダンナはラップ調でオリジナル曲を歌っていたし、その父親である祖父は民謡調のオリジナル曲を歌っている。血は争えぬというから音楽に対する感覚の鋭さは脈々と受け継がれていると言える。

 夕暮れ時の公園の人々は圧倒的にカップルが目立つ。それも熟年以上の男女だ。しっかりと手をつないでいるカップルは初々しさが漂っている。男が先を歩き、女が後を追っているカップルは結婚して40年や50年は経ているだろう。バラはつぼみを膨らませていたから、後10日もすれば満開だろうか。その時は、若い恋人たちでこの公園もにぎわうだろう。花に包まれて、不思議な幸せ感を抱くことだろう。四季咲きのバラには精神を安定させる働きがあるが、初夏のバラは感情を高める働きがあると係の説明を聞いたことがある。

 公園内でジャングルジムを見つけた孫娘は「のぼる」と言って聞かない。怖がらないのも長女の時と同じだ。短くて太っちょの白い足でどんどん登っていく。付いて行く長女の方が「怖―い」と悲鳴を上げている。年齢とともに怖さが戻ってくるのだろうか。よく遊んだためなのだろうか、車に戻った孫娘はぐずりだし、「オッパイ、オッパイ」と長女の胸をまさぐっていた。やはりまだまだ赤ちゃんである。
コメント
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