友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

愛を育てることは難しい

2011年05月21日 21時23分35秒 | Weblog
 我が家のバラも満開になった。西向きのルーフバルコニーは風が強く吹き抜けるので、バラにとっては厳しい場所である。それでも今年は花の数が多いように思う。今朝も早くからバルコニーに出て、チューリップの終わった鉢をひっくり返し、土の入れ替え作業を行なった。ヒマを見つけてはやるというよりも、絶えずやり続けると言った方がよいだろう。それでも午前中の2時間はマンションの夏祭りの打ち合わせに出た。今年の実行委員の皆さんは、私の娘と同年輩かそれよりも若い人たちなので、話していても面白い。

 若いお母さんたちは子育て真っ最中の人もいるし、これから生まれそうな少しお腹が目立つかなという人もいる。「子育ては難しいわね」と言う人もいれば、もう子どもが大きくなってしまった人は「そんなに気にすることなんかないわよ。親は無くても子は育つって言うでしょう」と余裕である。「子育てよりも子ども会の方が大変よ」などと話は尽きない。私は子育てを難しいとも大変とも思わなかった。自由にのびのびと育って欲しい。私はそう思って来たので、頼まれた子育て講演でも、親の役割は子どもの自由を保障してあげることだと話した。

 毎年秋と春に、せっせと土の入れ替えを行い、球根を植えたり苗を植えたり、水を遣り、時々肥料を施す。草木は手間をかければキチンと答えてくれる。土の入れ替えの時に、土の中のミミズを別の容器に移し、出来るだけ同じ数になるように鉢に戻す。土の中を見ると白く小さなミミズがいる。卵から孵ったものなのだろう。土の中では異性に出会うことも難しいのかも知れないと思い、同じくらいの大きさのミミズを2匹かならず入れてやる。そうしてミミズが増えるようにと願う。

 「草木もミミズも、育てるのはそんなに難しくない。人と人の愛を育てる方が遥かに難しい」と私が実感を込めて言うと、「草木もミミズも言葉を発しない。でも人は言葉で心を伝えられる。言葉を発しない草木やミミズの気持ちは受け止められないけれど、人の思いは受け止められる」と反論された。そうか、人は気持ちを顔の表情で、もっと正確には言葉で表すことが出来る。草木は愛情のつもりで水を遣っても、多過ぎれば根腐れしてしまう。ミミズも栄養たっぷりのつもりで乾燥牛フンの中に入れておいたら、水気を取られて干からびてしまった。

 しかし、言葉を持っている人間も、その使い方で逆に伝わらなかったり、傷つけてしまったり、なかなか難しい。ストレートに心の命ずるままに言葉に出せば、よくもそんなことが言えると軽蔑されることだってある。誠実に生きるってことはありのままでよいはずだが、自分だけを向いた誠実なのか、相手や社会全体を含めているかで受け止め方も違ってくる。そう考えると、言葉を持っている人間も「育てる」ことはやはり難しいと思う。少なくともまずは、自分に誠実であろう。そしてそれが相手や社会とどううまく合わせられるかだと思う。
コメント (1)
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