友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

いま恋してますか?その2

2011年05月04日 21時50分24秒 | Weblog
 「感想は“やっぱりね”、予想通りです」と友だちの娘さんは書いている。「結婚しても相手に恋心はない」には四角で囲ってある。そして、「人は恋を忘れて生きてられるだろうかと、文中にありました。アンケート結果からもわかるように、生きていける、です。でも、恋は何歳になってもできるし、してもいいと思う♡」とある。「生きること、生きて在ること、そのどちらが欠けても幸せではありません。今の私は生活していく(生きること)ウェイトが大きいので、恋心は後回しです。夫婦もまず、生きていく、食べて子どもを大きくしていくことが第一です」。

 しっかりしているなあー。30代で子どもがふたりもいると現実に即して物事が見えるようだ。そこへいくと男は、現実を見ずにその先の見えないものを見ようとする、あるいは見えているような錯覚に陥っている。女性が現実的なのは「命がけで子どもを産むからだ」と心理学の先生が述べていた。だから女性が男を選ぶ基準は、「命がけの出産と引き換えにしてもいいと思える、頼りがいのある、強い男」なのだ。それを文章で書くと、「高収入、高学歴、優しく思いやりがある、性格がよくって面白さがある、決断力があり引っ張っていってくれる」ということになるらしい。

 けれど、男の誰にもそうした条件がそろっているわけではない。そこで女性たちも将来はそうなってくれるだろう男を現実に見定めているのだ。その典型はNHK大河ドラマ『お江』の茶々だろう。ドラマでは親の仇と思っている秀吉を茶々が次第に認めていく雰囲気だ。秀吉のことを「大ウソつきです。けれどウソの中に真実があるのです」と誰かが言っていたけれど、男の女性への愛し方を言い当てていると思う。女性が頼りがいのある強い男に惹かれるなら、男は美しく優しい女性に憧れる。美しさとはあくまでも男の目で見たものだから、あばたもえくぼでいいのだ。

 そうして結婚した男女も恋愛感情はいつまでも続かない。「“亭主元気で留守がいい”と酒の席で言える主婦になりました。それぐらいがちょうどいい幸せなんじゃないかと思います。身の丈に合った」と彼女は謙虚だ。その上、同じ紙面に掲載されていた上野千鶴子さんの回答に痛く感動して、「アンケートの下にある相談を読んで、この10年の結婚の不満が解消されました」と綴っている。彼女の夫は優しいし、収入もあり、育児に協力的で、親や近所への気配りもできている。しかし今、単身でアメリカにいる。投稿の相談者は女医で、夫が仕事を辞めて主夫になろうかなと言うことに、「怠惰な自分への言い訳に思えてしまう」と相談している。

 上野女史は「夫に生活保障から社会的成功、性的満足から知的刺激、家事育児への協力から気配りと癒しまで、何もかも求めるのはあきらめてください」と回答していた。先の娘さんも「まだまだあたりまえに求めていました」とあったから、上野女史の指摘に目が覚めたというところだろう。「パートナーに何を求めるか、優先順位をつけて目をつむる要求もバッサリ!わかっていても自分では切れなかったことをエライ人から切られると楽になりました」と締めている。女性は30代では子育てにかかりきりだが、40代になると大きく変わるのもこうした伏線があるからだろうか。娘さんはどんな女性に変わっていくのだろう、いや何も変わらないのかも知れないが。
コメント
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