2日間も続けてブログを休む結果になってしまった。昨夜は下書きが出来て安心したのか、ブログに立ち上げることを忘れてしまったようだ。友だちから「鯛を料理しているから、来ないか」と電話をもらい、出かけていった。ビールと焼酎をいただいたが、確か9時半頃にはお開きとなり、家でブログの下書きを始めたはずだ。「出来た」と思ったのに、掲載してなかったとは情けない。癪だけれど、ここに載せさせてもらおう。
疲れたのか、何もする気が起きなかった。土曜日の井戸掘りに続いて、日曜日の午前中はマンション自治会の議会の機能を担う総代会に出席し、午後からはルーフバルコニーで鉢の土の入れ替え作業を行なった。井戸掘りは重い鋼鉄菅を使って行ったので、肉体的にはキツイ作業だったけれど、何よりも疲れを感じさせたのはまたしても掘れないという結果だった。確かに鉄管の中には砂利が入っていたから道具としての機能は果しているが、逆流を止める弁が精巧過ぎてわずかな砂利でも止まってしまう。結果としてはほとんど掘れていない、掘れていたとしてもわずかでしかなかった。
鉄管が機能を果しているのに、どうして掘り進めて行かないのか、そこが問題でどっと疲れてしまう原因だった。総代会ではできる限り発現はしないと決めていた。自治会の会長までした者が発言すれば嫌味になり兼ねない。今の執行部に対して自分たちの時はというようなことは言ってはならない。それで黙っていたら、急に夏祭りの実行委員会に指名されてしまった。私としては、もっと若い人たちにやってもらうべきだと思っていたので、そう発言したけれど是非にと押されてしまった。これ以上無駄な時間を費やしたくないと思ったので引き受けたけれど、よりによって夏祭りの実行委員になるとは想定外であった。
私たちはマンションの夏祭りと同じ時期に、市の夏祭りに鮎の塩焼きをメインにした屋台を出している。これで私は市の夏祭りの方には出られなくなってしまった。これも致し方ないかと思っている。いつかそういう時が来るだろうと思っていた。人生は自分の思い通りにはならないものだ。どちらかを選択しなければならない、そういう切羽詰った時が来るものだ。その時に自分が何を選ぼうと後悔はしない。それが私の持論である。そんなたわいのないことを大げさに持論などと言うべきことではないのかも知れないが、それでも人生は自分の思い通りにはならないよと受け止めている。
好きな女性が出来た男がいた。しかし、男には妻子があったし女性も同じように夫と子どもがいた。好きになったことは仕方がないにしても、それ以上に進まないようにすることが互いの平穏を保つことは充分にわかっている男女である。だから男は決して肉体を求めないようにと努めて来た。それが功を奏して15年もの長い付き合いになったけれど、本当にそれでよかったのかと時々思うことがある。女性の方も「彼は自分にできる最大のことを私にしてくれています」と感じている。でも互いに、恋愛でずっと悩み続けているのだ。
「悩みのるつぼ」は底が深い。恋愛できるだけでもいいじゃないかと思う。先のアンケートではないけれど、いつまで恋愛できるかという問いの答えのトップは年齢に関係なくいつまでもというものだった。けれど、自分はどうかとなるともう歳だから出来ないと思っている人が圧倒的なのだ。自分の身体なのに自分ではどうにもならない、それが老化ということのようだ。私も自分ではまだまだ若いつもりでいたけれど、2日間も続けて肉体を酷使するような作業が続くとギブアップである。人生は自分の思うようにはならないのが当たり前のようだ。
疲れたのか、何もする気が起きなかった。土曜日の井戸掘りに続いて、日曜日の午前中はマンション自治会の議会の機能を担う総代会に出席し、午後からはルーフバルコニーで鉢の土の入れ替え作業を行なった。井戸掘りは重い鋼鉄菅を使って行ったので、肉体的にはキツイ作業だったけれど、何よりも疲れを感じさせたのはまたしても掘れないという結果だった。確かに鉄管の中には砂利が入っていたから道具としての機能は果しているが、逆流を止める弁が精巧過ぎてわずかな砂利でも止まってしまう。結果としてはほとんど掘れていない、掘れていたとしてもわずかでしかなかった。
鉄管が機能を果しているのに、どうして掘り進めて行かないのか、そこが問題でどっと疲れてしまう原因だった。総代会ではできる限り発現はしないと決めていた。自治会の会長までした者が発言すれば嫌味になり兼ねない。今の執行部に対して自分たちの時はというようなことは言ってはならない。それで黙っていたら、急に夏祭りの実行委員会に指名されてしまった。私としては、もっと若い人たちにやってもらうべきだと思っていたので、そう発言したけれど是非にと押されてしまった。これ以上無駄な時間を費やしたくないと思ったので引き受けたけれど、よりによって夏祭りの実行委員になるとは想定外であった。
私たちはマンションの夏祭りと同じ時期に、市の夏祭りに鮎の塩焼きをメインにした屋台を出している。これで私は市の夏祭りの方には出られなくなってしまった。これも致し方ないかと思っている。いつかそういう時が来るだろうと思っていた。人生は自分の思い通りにはならないものだ。どちらかを選択しなければならない、そういう切羽詰った時が来るものだ。その時に自分が何を選ぼうと後悔はしない。それが私の持論である。そんなたわいのないことを大げさに持論などと言うべきことではないのかも知れないが、それでも人生は自分の思い通りにはならないよと受け止めている。
好きな女性が出来た男がいた。しかし、男には妻子があったし女性も同じように夫と子どもがいた。好きになったことは仕方がないにしても、それ以上に進まないようにすることが互いの平穏を保つことは充分にわかっている男女である。だから男は決して肉体を求めないようにと努めて来た。それが功を奏して15年もの長い付き合いになったけれど、本当にそれでよかったのかと時々思うことがある。女性の方も「彼は自分にできる最大のことを私にしてくれています」と感じている。でも互いに、恋愛でずっと悩み続けているのだ。
「悩みのるつぼ」は底が深い。恋愛できるだけでもいいじゃないかと思う。先のアンケートではないけれど、いつまで恋愛できるかという問いの答えのトップは年齢に関係なくいつまでもというものだった。けれど、自分はどうかとなるともう歳だから出来ないと思っている人が圧倒的なのだ。自分の身体なのに自分ではどうにもならない、それが老化ということのようだ。私も自分ではまだまだ若いつもりでいたけれど、2日間も続けて肉体を酷使するような作業が続くとギブアップである。人生は自分の思うようにはならないのが当たり前のようだ。