火曜日の夜のNHKテレビは、おやっと思うようなドラマが続いている。来週が最終回となる『マドンナ・ヴェルデ』は代理母がテーマである。婦人科の医師である娘は妊娠したけれど、ガンのために摘出手術を受けなければならなかった。幸い(?)夫との間の受精卵が保存されていて、これを55歳の母親の子宮で育ててもらう。母親役は松坂慶子さん、医師の娘には国仲涼子さんという組み合わせであった。この役のために太ったわけではないだろうが、松阪さんの母親役はその話し方からもピッタリである。
代理母のことはよく知らないけれど、アメリカで代理母を頼んだ日本の女優がいたのではなかったかと思う。アメリカでは代理母という子宮を貸す女性がいるのかと思っていたら、インドでもそのような女性がいると言うし、世界中で表立ってでなければかなりあるということらしい。体外受精やその受精卵を子宮に移すという医学の技術が可能にした結果らしい。医師は医術の腕を競うことに夢中だけれど、私はどうしても賛成できない。医学は確かに進歩したのだろうけれど、本来の医学が向かうべき道を進んでいるのだろうかと疑問に思う。
私は臓器移植に賛成できないし、代理母についても賛成できない。人には人の運命がある。今日もNHKテレビの『試してガッテン』で、老化問題を取り上げていたけれど、若くありたいとは誰もが願うことだが、だからと言って老化を無くすことには賛成できない。人には人の違いがあり、同じ年齢の人でも若く感じる人とそうでない人がいる。子どもにだってそういう違いはあるのだから、それは仕方がない。若くありたいと思う人が、そうした鍛錬というか努力することを否定する気はない。
でも、人は必ず老いるし、人は必ず死ぬ。そうでなければこの地球は人間で溢れてしまう。人は生まれ、そして死ぬ。この当たり前のことを人は変えようとしていないかと私は心配している。それは人そのものの破滅に至ると思うからだ。人の智恵には限界があるはずだ。また、そうでなければならないと私は思う。臓器移植を切望している人たちが多数いる。子どもが出来なくて、どうしても子どもを欲しいと願っている人も多くいる。けれども、私はあえて運命を受け入れなさいと言いたい。
子宮で娘の子どもを育てている代理母が、どうするのかまだわからないけれど、聞くところでは民放でも代理母をテーマにしたドラマがあるそうだ。果たしてこんな風に人を誕生させていいのだろうか。何気なく見ていたら、『マドンナ・ヴェルデ』の原作者は『チーム・バチスタの栄光』の著者の海堂尊氏であったから、これは最後に大どんでん返しがあるのではと思った。それにしても代理母などという馬鹿なことを誰が考え出したのだろう。人は自分の無力を知った方が幸せになれると私は思う。どうだろうか。
代理母のことはよく知らないけれど、アメリカで代理母を頼んだ日本の女優がいたのではなかったかと思う。アメリカでは代理母という子宮を貸す女性がいるのかと思っていたら、インドでもそのような女性がいると言うし、世界中で表立ってでなければかなりあるということらしい。体外受精やその受精卵を子宮に移すという医学の技術が可能にした結果らしい。医師は医術の腕を競うことに夢中だけれど、私はどうしても賛成できない。医学は確かに進歩したのだろうけれど、本来の医学が向かうべき道を進んでいるのだろうかと疑問に思う。
私は臓器移植に賛成できないし、代理母についても賛成できない。人には人の運命がある。今日もNHKテレビの『試してガッテン』で、老化問題を取り上げていたけれど、若くありたいとは誰もが願うことだが、だからと言って老化を無くすことには賛成できない。人には人の違いがあり、同じ年齢の人でも若く感じる人とそうでない人がいる。子どもにだってそういう違いはあるのだから、それは仕方がない。若くありたいと思う人が、そうした鍛錬というか努力することを否定する気はない。
でも、人は必ず老いるし、人は必ず死ぬ。そうでなければこの地球は人間で溢れてしまう。人は生まれ、そして死ぬ。この当たり前のことを人は変えようとしていないかと私は心配している。それは人そのものの破滅に至ると思うからだ。人の智恵には限界があるはずだ。また、そうでなければならないと私は思う。臓器移植を切望している人たちが多数いる。子どもが出来なくて、どうしても子どもを欲しいと願っている人も多くいる。けれども、私はあえて運命を受け入れなさいと言いたい。
子宮で娘の子どもを育てている代理母が、どうするのかまだわからないけれど、聞くところでは民放でも代理母をテーマにしたドラマがあるそうだ。果たしてこんな風に人を誕生させていいのだろうか。何気なく見ていたら、『マドンナ・ヴェルデ』の原作者は『チーム・バチスタの栄光』の著者の海堂尊氏であったから、これは最後に大どんでん返しがあるのではと思った。それにしても代理母などという馬鹿なことを誰が考え出したのだろう。人は自分の無力を知った方が幸せになれると私は思う。どうだろうか。