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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

カンディンスキーとその時代

2011年03月24日 22時16分04秒 | Weblog
 友だちが誘ってくれたので昨日、『カンディンスキーと青い騎士』を見てきた。カンディンスキーはロシア人で、ドイツで活躍したことや抽象絵画の先駆者であることは知っているが、抽象画には興味がない私の知識は絵画史の枠でしかない。カンディンスキーがモスクワ大学で法律と政治学を学んでいたことは知らなかった。彼は学生時代からロシアの地方を視察し伝統を調査している。そこでロシアの民族的な色彩や工芸品に関心を持ったようだ。おそらく結婚もしていたであろうのに、どうしてドイツで絵の勉強をしたいと思ったかわからないが、30歳の時にミュンヘンにやってくる。

 古典的な絵画に満足できなかったのか6年を経て新しい芸術家集団を結成する。法律や政治学を学んできた人だからこそ、美術に論理を持ち込めたのではないだろうか。時代は急激に変化しつつあり、科学の急速な発展は文学や心理学にも大きな影響を与えていたし、美術もまた例外ではなかった。印象派の出現以来、画家たちは絵画に理論を与えるようになった。2次元の絵画に3次元を持ち込んだ立体派、深層心理を絵にしようとしたシュールリアリズム、20世紀はこれまでの絵画の理念を超えるものが生まれた時代である。学問が前の説を否定して新しい説を打ち立てるように、絵画も同じ道を歩んできた。

 カンディンスキーが活躍した20世紀前半はそういうめまぐるしい時代であり、全く新しい時代の始まりだった。この展覧会はカンディンスキーとその仲間たちの作品とともに、彼らの写真が何枚も掲示されていた。私は絵画よりも写真を見ていて、どうしたわけか20代の頃に観たフランス映画の『突然炎のごとく』が浮んできた。多分、時代は同じ頃ではないだろうか。カンディンスキーはミュンヘンの絵画教室に来ていた女性と恋仲となり、一緒に旅行する。ミュンヘン郊外のムルナウの美しさに惹かれて、友だちのヤウレンスキーらを呼ぶ。ここで2組の男女が生活していた時があった。

 その光景がきっと、『突然炎のごとく』を思い起こさせたのだろう。2組の男女は恋人同士であっても結婚はしていないと思う。既存の道徳に縛られない男と女を演じていたのだろうか。映画のストーリーは忘れてしまったが、ひとりの奔放な女性にふたりの男性が恋してしまう物語だった。主演のジャンヌモローが魅力的であったし、映写の美しさが際立っていた。3人が自転車で林の中を走る場面だけは今も覚えている。三角関係そして不倫なのだが、恋はこんなにも悲しいものなのかと思った。

 カンディンスキーがそうだったとは言えないけれど、この頃の画家たちはある意味で、既成の価値観に逆らうことを自らの価値にしていたと思う。作り出すものが既成に逆らうものであるならば、生き方そのものも既成に逆らわなくてはならないと考えたのかも知れない。セピア色した写真は、彼らの人生のホンの一部を見せてくれているに過ぎない。そこに何を見出すか、見る者の想像力が作り上げていく。
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