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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

記憶なんて曖昧なものだ

2011年03月08日 19時25分15秒 | Weblog
 ああ、またやらかしてしまった。自分では全く冷静なつもりだったけれど、「どうしてそんなに興奮して攻撃するの?」と言っていたから。金曜日の夜から月曜日の朝まで、茨城県に住んでいる次女がひとりで里帰りしていた。誰かのお祝いのためなのだが、せっかく帰って来たのだからと日曜日の夜に食事会をした。長女は仕事のために来られなかったけれど、長女のダンナと高1と1歳7ヶ月の孫娘ふたりは来てくれた。高1の孫は料理の準備も手伝うようになり、随分大きくなったと実感した。長女のダンナは飲めないが、私もカミさんも次女も飲みたい方なので、初めにビールで続いてワインを飲んだ。

 お酒の飲みながらのこういう席では、どういうわけか次女を泣かせる結果になってしまい、いつも後味が悪い。長女は看護師となり次女は養護教諭の道に進んだ。「看護師は受け皿が広いけれど、養護教諭は受け皿がない」とか「資格がない」とか、次女が言うので、「資格は卒業した時についてくるから、ないと言うことはない。それにあなたが養護教諭になると言った時に、きわめて狭い門だから試験でトップにでもならないと採用されないよと話したけど」と言ってしまった。「そんな話は聞いていないし、看護師の受け皿は広くあるけど、養護の採用はないというだけのことを言っているのに、そんなにムキになって攻撃することはないでしょう」と言う。

 どうしてそんなことを今更言うのだろうと考えれば、「そうだったね」と言って、次女が何が言いたかったのか、話が続いていったのだろうけれど、何を今更昔のことを持ち出してという気持ちの方が先になってしまった。「今は幸せなんだろう。それならあなたの選択は間違っていなかったのだから、そんなどうにもならないことなんかいいじゃーないか」とまた説得しようとしてしまった。「パパはお姉ちゃんが好きだから、お姉ちゃんの肩を持つのよ」と言われた時はビックリした。そんな風に飛躍してしまうのかということもあったけれど、次女はそんな風に思っていたのかと驚いたのだ。

 長女は活発な子で頼もしく、次女は思いやりがあって優しい。そういう違いはあるけれど、どちらを可愛がるということは全くなかったのにそんな風に受け止めていたのか。親は難しい。カミさんの妹は昔、みんなで飲んでいた時に、「お姉さんもお兄さんも可愛がられたけど、私はいつもお荷物扱いだった」と泣いたことがあった。お父さんもお母さんも私から見れば一番下のちょっとヤンチャな末娘が可愛くて仕方ない様子だったから、思いもよらない言葉だった。時間がないからと言うので長女を学校まで送っていったことが何度かあったが、長女は全く覚えがないと言う。人の記憶はそんなものなのかも知れない。

 いじめっ子がいじめたことを覚えていないように、人の思いは他人ではわからないのだろう。そこまで入り込むことは誰も出来ないし、ひょっとすると、記憶というのは後から自分が作り上げてしまうものかも知れない。それにしても、家族と飲む時は言葉には気をつけよう。どうしても私は自分の思いを強く伝えてしまうようだから。
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