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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

そういうもんなの?ああ、そういうもんだよ。

2011年03月01日 21時12分09秒 | Weblog
 午後2時近くになって、県立高校の卒業式から戻ってきた高1の孫娘がやって来た。「これからお昼を食べる」と言う。「じゃあ、手伝ってあげる。何を食べるの?」と聞くと、「味噌ラーメン」と言って麺とスープの素を差し出す。「これだけしか持って来なかったの?」と尋ねると、「だって、何でもあるでしょ!」と開き直る。「よし、わかった。それじゃー野菜を切って」と、ニンジンや白菜やシメジを渡す。包丁の使い方がうまくない。「包丁は体の前でこう持って、左手の指はこうまげて」と教える。「それだけじゃー、足りないだろう」と聞くと、「何かあるの」と言うので、豚肉とタマネギで炒めものをつくる。「フライパンがあれば、案外何でも出来るよ」と話す。

 「ところで、卒業式はどうだった?」と聞くが、遅くなった割にはそれほど感激的でもなかったようだ。私が高校1年の時、3年生は雲の上のような存在で、「凄い大人だな」と思っていた。特に新聞部の3年生、実は何人いたのかよくわからないのだが、時々部室にやってきてはニーチェとかサルトルとか話していた。私が入部した時はすでに3年生の存在はなく、2年生も生徒会の役員と兼ねていたりして、誰が新聞部の先輩なのわからなかった。1年の2学期末にいきなり部長に任命され、卒業する3年生をインタビューしたけれど、大人なんだなあーという感覚はいっそう強まった気がしたし、女性の先輩は大人の女とさえ感じた。

 孫娘の話では、「水泳部の先輩は女しかいないし、みんなとってもいい人で、一緒に写真撮ろうってキャアキャア騒いでた」そうだ。先輩後輩という垣根もないと言う。3年生と気安く口を利くことのなかった私の時代とは大違いだ。「これからテレビをちょっと見ていい?」と孫娘は言う。そうか、テレビを見るためにやって来たのかと理解し、「じゃあ、一緒に見るか」などと言ったけれど、それは昔懐かしい「昼ドラ」だった。孫娘が大好きな井上真央さんが10歳くらいの時に出ていたドラマで、今とそんなに変わらないような可愛い女の子だった。ドラマは1998年に放送されたもので題名は『緋の稜線』とあった。

 物語のストーリーはよくわからないが、父親と母親と息子と娘がいる外から見れば平凡な家庭である。しかし、息子は母親の子ではあるが父親の子ではなく、娘は父親の子であるが母親の子ではない。韓国ドラマによくある物語だけれど、確か山口百恵さんが出ていたドラマにもこんな複雑な家庭があったような気がする。孫娘は「イライラするね」と言うけれど、そうなるようにストーリーが組み立てられているのだ。「どうして?」と聞くので、「そうでなければどこにでもある家庭になってしまうでしょう。それでは見ている人は面白くない。自分よりももっと悲しい、もっと大変な人がいる。だから自分は安心して生きていけるんじゃないの」。「そういうものか」。

 「ねえ、それで結論はいつ出るの?」と聞くから、「ドラマなら最後はハッピーエンドなんだろうけれど、実際の人生は死ぬまでわからないね。いい時もあれば悪い時もある。その逆もある。そういうもんだから、面白いんだよ。これで終わりじゃーない。まだまだ続くわけだから、もっと先にはきっといいことがある。そういうもんだよ」。「へーぇー、そういうもんなんだ」。分かったのかどうかはわからないけれど、そうだと思う。
コメント
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