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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

卒業生から突然に電話があった

2011年02月09日 21時56分12秒 | Weblog
 卒業生の子から電話があって、そのクラスの子が国立病院に入院していると言う。昭和46年に高校を卒業したのだから、今年で58歳になる。もう卒業して40年にもなるのか。電話をくれた子の話では、脳の血管が切れて左半身不随だと言う。まだ、若いからリハビリで以前の身体にまで回復する人もいると聞くから、ぜひ頑張ってリハビリを行なって欲しい。話はそれだけに留まらず、1年上のクラスの宝石デザイナーが肝臓ガンで亡くなったことも教えてくれた。彼とはずーっと年賀状のやり取りをしている。確か、今年も年賀状を受け取った。

 彼の年賀状はいつも家族写真で、今年も変わらないと思ったけれど、亡くなったと聞いて年賀状を取り出してきてよく見ると、子どもたちは半袖姿だから夏に写したものだ。年賀状を見た時は気にしなかったけれど、彼はかなり痩せている。高校時代からそんなに太ってはいなかったし、おとなしい方だったから痩せ型が気にならなかったが、写真は元気がないように見える。まだ還暦前なのに、もう去っていくのは少し早すぎないか。働いて働いて、これから人生を楽しもうという時に、きっと無念だったであろう。

 訃報を受けても、以前なら私よりも年上の人が多かったから、それほどの思いもなかった。いわば順番というような受け止めだった。それが同級生や同じ歳の知り合いが亡くなったと聞くようになって、なんとなく重苦しさを感じるようになった。私よりも年下の、自分の教え子の訃報を受け取ることになって、さらに悲痛な思いが湧き上がってくる。「人生50年」、いずれ必ず死はやってくる。早いか遅いか、そんなことはたいしたことではないと嘯いていたけれど、いよいよ現実かなどと思うようになった。

 たとえ、どんなに立派に生きた人も、恨みつらみの人生であったと思う人も、幸せな人も、不幸な人も、いつかは生きていたことすら忘れられる。子どもたちは父親や母親を覚えているだろう。あの時はああだったとかこうだったとか、思い出してもくれるだろう。しかし、孫は私たちの若い頃は全く知らない訳で、孫から見ればジジイとババアからの思い出しかない。その次のひ孫になれば、私たちが生存しているかどうかもわからない。私たちのことを思い出せるのはせいぜい孫までしかないということだ。

 何かを残しておきたいなどと考えるのは、残る子どもや孫にとっては迷惑な話である。人の苦悩を他人がどれほど理解できるだろうか。自分の中に湧き上がったものは、そのまま自分の中に沈めて、残さないように持ち去っていこう。今、生きている限り、自分に忠実でよいのではないか。欲張りな人だとか、勝手な人だとか、人はいろいろと言うであろうけれど、自分の人生は自分しか生きられない。まだまだ元気に自分の欲するところに従って生きていこう。それでもいつか、終わりは必ずやってくるのだから。
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