友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

NHKドラマ「恋するキムチ」

2011年02月18日 21時47分43秒 | Weblog
 今日はずーっとひとりで家にいた。カミさんが仕事で出かけて行って帰ってくるまで、誰にも会わず誰からも電話もなかった。こういう日はブログのネタがないので一番困る。外は強い風が吹いていて、我が家の中も風が吹き抜けていくのかガラス戸がブィーブィーと異様な音を上げていた。「ガラス戸が異様なほどに鳴り響き 君何してると思うのはなぜ」。こんな短歌が浮んできたが、いったい誰のことなのかと不思議に思われてしまうだろう。

 短歌はもともと文字を持たなかった日本人が中国の漢字を受け入れ、中国の人々に倣って自分たちの気持ちを歌にしたものだ。心の中に納まりきれない思いをどのように表現したらよいのか、そこに「歌」がうまく絡んできたのではないかと思う。昔の人たちはリズムをつけて、メロディーの調べに合わせて「短歌」を朗読していたのではないだろうか。文字よりも先に歌があり、次第に形が整えられていったと考えられるがどうだろう。

 さて、こんなネタが見つからない日は焦っても仕方がないのでテレビを見ていた。NHKが各地方局にもドラマを制作させるようになったという、その岐阜放送局が制作した『恋するキムチ』を観た。岐阜県各務原市には韓国ドラマ『冬のソナタ』のロケ地で使われたようなポプラ並木があるそうで、それが縁で韓国の都市と姉妹提携している。その各務原市を舞台にしたドラマで、実際に韓国のイケメンが登場していた。

 市長の命令で、各務原市の名物になるようなキムチ作りをする女子職員が主人公だ。ドラマだから最後はうまくいくのだけれど、どうしてこんなにも名物作りをしなければならないのだろうかと思ってしまった。確かに私が市長であっても、きっと韓国との姉妹都市を売りにした名物を作りたいと思ったであろう。そうすることが各務原市に住む人たちがこの街を愛するきっかけになるだろうし、市の発展にもなると考えたことだろう。

 でも、本当に市がそんなことに力を入れなくてはいけないのだろうか。私自身はイベント好きだけれど、そのために税金を投入するだけの意味はあるのだろうかと考えてしまった。いや、そもそも、NHKが各地方局でそれぞれにドラマを作る必然性が本当にあるのだろうかと思った。このドラマのためにどれだけの予算が使われているのか私は知らないが、どうして民放に任せてはいけないのだろう。NHKがお金を注ぎ込んで作る意義とはいったい何だろうか。

 NHKは国家企業であるのだから、民放では出来ないことをやって欲しいと私は思っている。地方に則したドラマであっても民放が出来ないわけではないはずだ。こんなところにも、NHKは国民から集めた視聴料を湯水のように使っているとしか考えられない。NHKの朝の番組を観ていても民放の各局とどこが違うのかと思ってしまう。むしろ、NHKの方が民放に近づこうとしているのはどうしてなのだろう。私たちから税金のように視聴料をむしり取っているのに、そこで働く身内の人たちが満足するようなマスターベーションでは身を滅ぼすのではないだろうか。
コメント
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