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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

地域が違うのに同じ歴史を辿るのはなぜなのだろう

2011年02月10日 23時47分06秒 | Weblog
 いろんな人がいて、いろんな人生がある。確かにそのとおりだと思う。それなのにと、ふと全く関係のないことを思ってしまった。この地球に人間がどのようにして誕生したのかわからないけれど、全く遠く離れているのに、似たような歴史を辿ってきたのはどうしてなのだろう。原始時代の人々は共同生活を営んでいた。一人では生きていくことは困難だから、集団で狩りをしていたであろう。そういう時代の絵も残っている。それが農耕をするようになると、狩猟のような生活の不安定さから解放され、確実に食糧を確保できるようになる。備蓄も出来るようにまで変わっていった。

 農耕が出来るようになって、集落はますます大きくなり、大きければさらに安定的に食料を確保できる。たとえば天候不順で農耕がうまく出来なかったりした時、集団で他の集落を襲って食糧を奪ったかも知れない。農耕には特にそうだろうけれど、集落が大きくなれば、まとめ役が必要になる。こうして「長」が生まれたのではないだろうか。生産以上に備蓄が出来るということは、余剰を作り出したわけで、「長」やその周りで働く人たちを養っていける富を得たのである。こうして、同じ人の中に働く人とその人たちをまとめる人が出来た。ここまでは、世界中のどこの地域も同じような歴史だと思う。

 全く交通のない時代に、別々の場所で同じような歴史を辿るというのはどうしてなのだろう。さらに、小さな集落が集まって次第に国家を形成していく。国家の形も似たり寄ったりだが、古代ギリシアはオリエントや中国のような国家の形とは違うのはどうしてなのだろう。ところがさらに時代を経ると、これまた世界の各地が封建時代へと進んでいく。そして、どこでも貨幣が生まれ、利息という考え方も付いて回っている。偶然なのか必然なのか、必然であればどうしてそうなるのだろう。そんななぜなぜが浮んでくるが、今日は時間がないのでこの続きはまたいつかにしておこう。
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