この冬一番よく聞かれた「恋の歌」は、坂本冬美さんの『また君に恋してる』であるという。「あの歌はいいよね。坂本冬美が歌うからいいんだよね」と若くない男たちが話している。か細い身体は貧弱でさえあるが、細い目と面長な顔立ちはちょっと魅力的だ。1962年生まれというから、流行の言葉で言えば「熟女の魅力」なのだろう。それに歌詞が彼女の歌い方に合っている。そこで、歌詞を調べてみようと思っていたら、2月6日の選挙について、新聞社の社説が目に止まった。
今日も井戸掘りをしながら友だちが、テレビ局が河村市長へのインタビューで「解説者が『あなたはヒットラーだと言われているが、どう思うか』と聞いていた。馬鹿じゃーないか、なんでそんなことを言うんかね」と話し出した。それは民主党の仙谷由人代表代行が「河村市長はヒットラーと同じだ」と発言したためだが、仙谷さんは何を根拠にそんなことを言ったのだろう。河村さんが3月の出直し市議選挙で、自らが党首を務める減税党から市議会の過半数を当選させると言っている、そういう手法をヒットラーだというのだろうか。
河村市長がヒットラーだと思うならば、リコールだって出来るし、河村党が嫌なら市議に当選させなければいい。仮に当選させてしまったために、市議会が河村市長の翼賛会となり、市民の思いと異なるならば、市長の辞職と市議会の解散を求めればいい。それは困難だと言うが、実際にやり遂げたではないか。まだ法的に権力者を市民が直接解職できるのに、ヒットラーだと決めつけるのはおかしなことだ。それはむしろ、自らの役割を認識していない。市民の思いは「変えたい」だけなのだが、それに応えられない民主党に嫌気が差して河村さんに期待しているに過ぎない。責任と果すべき役割こそ民主党の幹部にある。
小泉純一郎さんが「自民党をぶっ壊す」と言って出てきた時、無党派市民派の中にも少なからず期待した人たちもいた。河村さんの減税や報酬削減に一時は賛成したが、その手法の荒っぽさに驚いて拒否した人たちもいた。河村さんが市議会で半数以上の賛成者を作り出したとしても、それがこれまでの議会とどれほどの違いがあるというのだろう。地方議会の多くは、皆さんが非難している翼賛会のような議会が現実だ。発言する議員はわずかで、その発言さえも時間や回数で制限している。どこに民主主義があるのかという現状だ。無党派市民派の議員はその中で奮闘しているが、その積み重ねが新しい議会のあり方へと道を開いていくと思っている。
レッテルを貼り付けることよりも、行政と議会のあり方について開かれた議論を行なっていくことだと思う。「市長の言うままの議会になっては困る」(中日社説)なら、現にそうなっている地方議会の現実について、新聞社は知らせるべきだろう。行政改革をどう進めるか、新聞社は具体的な提案をしたらどうか。「議員報酬を半減しても浮くお金はせいぜい6億円だ」「市民の代表である議会を攻撃するだけでは結局、市民が損をする」(朝日社説)とはビックリするほどレベルが低い。損得の考え方こそ改めなければ、この現状を打破していくことはできないだろう。
今日も井戸掘りをしながら友だちが、テレビ局が河村市長へのインタビューで「解説者が『あなたはヒットラーだと言われているが、どう思うか』と聞いていた。馬鹿じゃーないか、なんでそんなことを言うんかね」と話し出した。それは民主党の仙谷由人代表代行が「河村市長はヒットラーと同じだ」と発言したためだが、仙谷さんは何を根拠にそんなことを言ったのだろう。河村さんが3月の出直し市議選挙で、自らが党首を務める減税党から市議会の過半数を当選させると言っている、そういう手法をヒットラーだというのだろうか。
河村市長がヒットラーだと思うならば、リコールだって出来るし、河村党が嫌なら市議に当選させなければいい。仮に当選させてしまったために、市議会が河村市長の翼賛会となり、市民の思いと異なるならば、市長の辞職と市議会の解散を求めればいい。それは困難だと言うが、実際にやり遂げたではないか。まだ法的に権力者を市民が直接解職できるのに、ヒットラーだと決めつけるのはおかしなことだ。それはむしろ、自らの役割を認識していない。市民の思いは「変えたい」だけなのだが、それに応えられない民主党に嫌気が差して河村さんに期待しているに過ぎない。責任と果すべき役割こそ民主党の幹部にある。
小泉純一郎さんが「自民党をぶっ壊す」と言って出てきた時、無党派市民派の中にも少なからず期待した人たちもいた。河村さんの減税や報酬削減に一時は賛成したが、その手法の荒っぽさに驚いて拒否した人たちもいた。河村さんが市議会で半数以上の賛成者を作り出したとしても、それがこれまでの議会とどれほどの違いがあるというのだろう。地方議会の多くは、皆さんが非難している翼賛会のような議会が現実だ。発言する議員はわずかで、その発言さえも時間や回数で制限している。どこに民主主義があるのかという現状だ。無党派市民派の議員はその中で奮闘しているが、その積み重ねが新しい議会のあり方へと道を開いていくと思っている。
レッテルを貼り付けることよりも、行政と議会のあり方について開かれた議論を行なっていくことだと思う。「市長の言うままの議会になっては困る」(中日社説)なら、現にそうなっている地方議会の現実について、新聞社は知らせるべきだろう。行政改革をどう進めるか、新聞社は具体的な提案をしたらどうか。「議員報酬を半減しても浮くお金はせいぜい6億円だ」「市民の代表である議会を攻撃するだけでは結局、市民が損をする」(朝日社説)とはビックリするほどレベルが低い。損得の考え方こそ改めなければ、この現状を打破していくことはできないだろう。