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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

骨身を惜しんだら罰が当たるだろう

2011年02月19日 22時30分17秒 | Weblog
 昭和19年4月から昭和20年3月までが同学年である。その第6回目の「60歳の集い」が今日、行なわれた。私はこの街で生まれたわけではなく、育ってもいないし、同級生と言える人はひとりもいない。この街の社会福祉協議会の企画で、「60歳の集い」を開こうという話が出ていた時、「それはいいじゃあないですか。この街で生まれ育った人も、ヨソからやってきた人も、同じ歳であることを縁に、仲良くすることはこれから必要なことだと思う」と話したことがあった。そして実際に「第1回60歳の集い」が開かれた。この学年がその先駆となって、それから以後、それぞれに「60歳の集い」が開かれている。

 何しろこの街は名古屋市のベッドタウンとして急速に大きくなった。正確な数字はわからないけれど約80%の人がヨソからこの街に住処を構えた。私もそのひとりだけれど、娘たちはここが故郷で、ここに帰ってくればたくさんの同級生に会える。孫娘に至っては正にここで生まれ育った人である。80%の人々にとっては、故郷は北海道であったり九州であったりするけれど、この街が故郷となった人たちもたくさん生まれている。昔、私が住むマンションでは盆休みや正月休みになると、駐車場はガラガラになった。それだけみんな出かけていたのが、この頃では駐車場が足りないくらいになっている。遠くに行った子どもたちが家族を連れて戻ってくるためだ。

 私の故郷は、やはり自分が生まれ育ったところということになる。小学校のクラス会や中学校のクラス会に行けば、たちまちに昔のあの頃に引き戻ることが出来る。みんな相当に歳を重ねてきたから、傍目から見れば絶対にじいさんとばあさんなのに、当の本人である私たちはまだ洟垂れ小僧のままなのだ。小学校の時のあるいは中学校の時の、そのままの姿しか見えないのは大げさだけれど、実際にそれに近いような雰囲気になってしまう。同じ時を過ごしたということはこんなにも何時までも変わらないものなのかと思う。

 この街の「60歳の集い」もこの街の中学の卒業生が中心となって開いてきた。聞けば3クラスしかなかったと言うから、小学校から中学校を卒業するまで、9年間あってもお互いによく知った仲であることは間違いない。それにこの学年はとてもまとまりがよく仲がいいとも聞いた。今でも同窓会で旅行へ行ったり毎週のように集まって飲んだりしているそうだ。それでは中学の同窓会と「60歳の集い」との区別がつかず、だから入りにくいと言う声もあるから、広く幹事を募りたいということになったのだと説明があった。それも大事なことなのかも知れないと思ったけれど、投票で幹事を決めたいと言い、その結果、私が幹事のひとりに選ばれてしまった。

 嫌な予感はあった。ヨソから来た人に参加してもらいたいという発言があったから、ひょっとすると自分が選ばれてしまうのかなとは感じたが、結果はそのとおりとなった。選ばれてしまった以上じたばたしても始まらないし、そんなみっともないことはしたくない。他人から必要とされることは名誉なことだ。骨身を惜しんでは罰が当たるだろう。自分が出来る精一杯なことをする他ないと覚悟を決めた。
コメント (1)
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