今日は愛知県知事選挙と名古屋市の市長選挙および市議会解散の賛否を問う住民投票の日だが、午前中のニュースでは先回よりも投票者数は低いみたいだ。後しばらくすれば、投票は打ち切られ、結果が発表されるから、それを待つことにしよう。金曜日に立会演説会に出かけたけれど、河村・大村のムラムラセットがかなり優勢だと弁士は危機感を持って演説していたが、本当にそうなるのだろうか。
私は名古屋市議には知り合いもいるので、河村さんが当選しても議会に常識のある議員がいれば、河村さんの暴走を食い止めてくれるのではないかと期待しているが、4月の市議選でどうなることかはわからない。名古屋市内ではかなりエキサイトした選挙戦であったそうだが、私の住んでいる地域ではほとんど街宣車が来ることもなく静かだった。既成政党に対する反発は根強いものがあるが、これがどのように投票に表れるのか、注目している。
エジプトの反政府デモを見ていると、どこも同じだなと思った。エジプトは中東紛争後、スエズ運河の使用料の他に観光によって収入が増え、生活レベルが上がったにもかかわらず、若者が働く場所はなく、コネやワイロが横行している。エジプトでは裕福層は人口のわずか1%だそうだ。こうした貧富の差への不満が現政府に向けられたのだろう。
日本の場合はデモこそは起こらなかったけれど、これまでの長く続いた自民党政権によって政治家や官僚たちの腐敗が目立ち、その怒りが政権交代への原動力となった。名古屋市では、河村さんが「市長や議員がこんなにお金をもらってえらぁーないか」と高額報酬を問題視したことから、市民は「生活が苦しくなってきているのに、それはないワァー」と、変えようとする市長に反対する議会に大いに不信を抱いた。このデモと投票行為の差は、生活の安定度の差なのだろう。江戸時代には重税を課す領主に対する農民一揆があった。パリ市民の蜂起も税を取り立てる王が毎夜のごとく宴会漬けであることへの不満から出発している。
人が命を賭けて戦う時は、それだけ切羽詰っているからである。我慢も限界に来ているからこそ、死を覚悟して戦うことが出来るのだろう。それが、収入が増え、生活レベルが上がり、それなりの満足度に達すると、死を覚悟してまでの闘争は生まれてこない。先進国で市民が投票行為ではなく直接立ち上がるのは、自分の生活のためではない、もっと普遍的な課題である。最も大きなものは反戦であり、環境や人権の問題である。それは国民の知識や意識あるいは教養といったものが高くなってきているからだと思う。だから自己欲ではなく、社会全体のことを考えた行動が出来る。
このような直接的な行動は、代議制民主主義を補うものなのか、あるいは民主主義の形の変貌なのか、という問題を含んでいるように思う。名古屋市の市長と議会の対立も、行政や議会のあるべき姿への一石になっている。さてさて、名古屋市民がどのような選択をしたのか、4時間後には明らかになるはずだ。
私は名古屋市議には知り合いもいるので、河村さんが当選しても議会に常識のある議員がいれば、河村さんの暴走を食い止めてくれるのではないかと期待しているが、4月の市議選でどうなることかはわからない。名古屋市内ではかなりエキサイトした選挙戦であったそうだが、私の住んでいる地域ではほとんど街宣車が来ることもなく静かだった。既成政党に対する反発は根強いものがあるが、これがどのように投票に表れるのか、注目している。
エジプトの反政府デモを見ていると、どこも同じだなと思った。エジプトは中東紛争後、スエズ運河の使用料の他に観光によって収入が増え、生活レベルが上がったにもかかわらず、若者が働く場所はなく、コネやワイロが横行している。エジプトでは裕福層は人口のわずか1%だそうだ。こうした貧富の差への不満が現政府に向けられたのだろう。
日本の場合はデモこそは起こらなかったけれど、これまでの長く続いた自民党政権によって政治家や官僚たちの腐敗が目立ち、その怒りが政権交代への原動力となった。名古屋市では、河村さんが「市長や議員がこんなにお金をもらってえらぁーないか」と高額報酬を問題視したことから、市民は「生活が苦しくなってきているのに、それはないワァー」と、変えようとする市長に反対する議会に大いに不信を抱いた。このデモと投票行為の差は、生活の安定度の差なのだろう。江戸時代には重税を課す領主に対する農民一揆があった。パリ市民の蜂起も税を取り立てる王が毎夜のごとく宴会漬けであることへの不満から出発している。
人が命を賭けて戦う時は、それだけ切羽詰っているからである。我慢も限界に来ているからこそ、死を覚悟して戦うことが出来るのだろう。それが、収入が増え、生活レベルが上がり、それなりの満足度に達すると、死を覚悟してまでの闘争は生まれてこない。先進国で市民が投票行為ではなく直接立ち上がるのは、自分の生活のためではない、もっと普遍的な課題である。最も大きなものは反戦であり、環境や人権の問題である。それは国民の知識や意識あるいは教養といったものが高くなってきているからだと思う。だから自己欲ではなく、社会全体のことを考えた行動が出来る。
このような直接的な行動は、代議制民主主義を補うものなのか、あるいは民主主義の形の変貌なのか、という問題を含んでいるように思う。名古屋市の市長と議会の対立も、行政や議会のあるべき姿への一石になっている。さてさて、名古屋市民がどのような選択をしたのか、4時間後には明らかになるはずだ。