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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

竜馬が叫ぶ「新しい時代」

2010年11月20日 20時57分52秒 | Weblog
 今年は名古屋が大活躍する年だ。プロ・サッカーのJ1で名古屋グランパスが今日、優勝を決めた。プロ野球では中日ドラゴンズがセリーグで優勝を果した。そしてまた、名古屋市長の河村さんは議会との対立で全国的に知名度を上げた。総務大臣の片山さんから「自分だけが正しい」と思い込むのはよくないと言われても、河村さんは意に介さずの姿勢を貫いている。議会の側も相変わらずかと思っていたら、まず公明党が議員報酬の減額に応じる構えを見せてきたし、今度は自民党が減税に賛成してもよい態度を見せている。選挙が間近になってきて、勝つための方法を考えたのだろう。これで一番かたくなな印象を与えている民主党はかなり票を失うだろう。

 地方議会のあり方で半田市議会は、議会から行政側に議員を送る「議会内閣制」を提唱している。名古屋市や鹿児島県阿久根市のように、首長と議会の対立が続くような二元代表制には限界があるというのだ。議会と執行者とが同じというのは、中央集権あるいは専制政治に近いから即効性があり、ムダがないように見える。強い政治体制を求める人々には受けがいいだろう。議会のあり方がこんな風に取り上げられるようになったのも、各地で、「革新」的な首長が誕生したからだ。有権者は首長に「ぜひ、改革して欲しい」と票を投じた。しかし、議員は地域の利益を代表している人が圧倒的だから、改革とは対立する。

 長野県の田中知事は議会からことごとく提案を否決された。総務大臣の片山さんが言うように、「首長は議会と議論を尽くし、妥協しながら政策の実現を図るべきだろう」けれど、そのためには何年もかかってしまう。少なくとも議員の任期が終了し、次の選挙で首長の政策に理解できる候補者が多く当選するまで待たなくてはならない。首長の政策に理解できる候補者ばかりが当選すればそれは専制政治だと言うが、それでは現在の多くの地方議会がほとんど論議もなく、首長の提案を圧倒的多数で可決していることをどう見ているのだろう。地方議会では発言時間や回数に制限を設けたり、発言の中身にまで制限しようとするところまである。

 地方議会がどうあるべきか、みんなで考えるところへ来たのだと思う。幕末の動乱で主導権を握った薩長の下級武士たちが、NHKドラマのように「新しい日本をつくろう」と理想に燃えていたとは私には思えない。長く続いた徳川幕府を倒すことで、天下を取る夢を見たけれど、どういう政治体制が「国民」のためと考えていたのだろう。幕府を倒すということは、それに変わる体制を作らねばならない。欧米の思想や制度を学ぼうとしたのも当然のことだろう。一部の者に権力が集中してしまう体制を否定したとしても、権力を握った自分たちまでも否定する考えには至らなかったはずだ。

 日本は戦争に負けて、やっと国民主権の国家にたどり着いた。そこで今、国民主権とはどういう制度なのかという議論に至ったのだと思う。しかも世界は、国境がどんなに災いしているかを考える機会を与えてくれている。地球規模で、坂本竜馬が叫ぶ「新しい時代が来た」のだと思う。
コメント (4)
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