友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

山あれば谷あり

2010年11月16日 21時30分24秒 | Weblog
 日曜日にあれだけ大きな穴を掘ったのに、今朝行くと、依頼主は「諦める」と言われる。仕方ないので元のように穴を埋め戻す。掘る時はもの凄く苦労したのに、埋め戻すのはわずかな時間で終わってしまう。これから先、何メートル掘れば砂と石の層から抜け出せるのか不安が大きかった。みんなは失望とも安堵とも取れる表情でスコップを動かしている。「止めましょう」ということは辛いことだけれど、納得のいくものでもあった。

 「井戸掘りは人生に似ている」と誰かが哲学者ぶって言う。いつもうまくいくとは限らないし、誠意と情熱があれば必ず成功するというものでもない。「山あれば谷あり、今日悪いからといって明日も悪いとは限らない」と哲学者は続ける。人の力では超えられないものがあることを知るのは大切なことだ。今朝は冷たい空気が張り詰めていたけれど、作業を始めた頃には小春日和の温かさが満ちていた。空は青く澄んでいた。風はなく、自然の恵みを身体で感じた。

 先日我が家へ人が集まった時、その中に30代の専業主婦がひとりいた。その彼女が「みなさんはどうやってお金を増やしています?」と聞いてきた。「お金を増やしたってどうしようもないよ。あの世に持ってもいけんし」と彼女の親の世代である私たちは揃って答える。70代から60代の私たちは豊かな社会を求めてきた。豊かになるということは人間らしく生きられる社会と同意義だった。確かにモノは豊富にあり、時間はウンと短縮された。便利さは最高潮だ。

 それで、望む社会になったのかと考えれば、どうみてもそうではない。おかしい。生産が上がり、消費よりも多くなればそれだけ豊かになるはずではないのか。この世界に存在する人間が食べていける以上に生産しているのに、なぜ労働時間は短縮されないのだろう。井戸を埋め戻しながら、「雪国なら冬は働かずにじっと家に篭っていた。それでも生きていけた。何にもしない日々があっても生きていけたのに、こんなに豊かになりながら、まだ人間はあくせくと働かなければならないのはおかしい」と哲学者は言う。

 先ほどのお金の話に戻るけれど、30代の彼女は少ないお金で株を買っているそうだ。私の友だちの多くも株や先物取引をやっている。パチンコや宝クジやその他の賭け事にお金を注ぎ込んでいる人もいる。けれども残念ながら誰ひとり大金持ちになった人はいない。彼女が「いろいろ考えたけれど、お金を増やすには働くのが一番堅実だと分かった」と言うので、「そのとおり。楽して儲けようと思わない方がいい」とおじさんたちは揃って答える。これは人生の教訓である。

 「人生は山あり谷ありである」。それは間違いないけれど、実際は山ばかりが続くかもしれないし、谷ばかりなのかもしれない。けれども、お金を得ようとばかりすればお金は手に入らない。確実にお金を手に入れたければ地道に働くことだ。そうした人の努力が功を奏すれば、ありがたいことである。人の力を超えた事態はどこにでもあるし、いつでも起きる。そんな不測の事態を考えるよりもこれからの楽しい夢に備えた方がいいと私は思う。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする