友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

今日はボジョレー・ヌーボーの解禁日

2010年11月18日 20時00分56秒 | Weblog
 今日はボジョレー・ヌーボーの解禁日。カミさんは宅急便が来るのを「遅いわね」と言いながら待っている。通販でボジョレー・ヌーボーを買い求めたからだ。「ワインにはステーキが合うよね。スーパーで半額で売っていた」と国産牛肉までも用意している。我が家では、私が「もう選挙には出ない」と決めてからはほとんど毎晩お酒を飲むようになった。昔はビール一辺倒だったけれど、最近はむしろワインや日本酒の時の方が多くなった。気候のせいだけでなく、口当たりが変わってきたような気がする。それと、おそらくお金のこともあると思う。

 ワインや日本酒はビールに比べて高いと思い込んでいた。飲む量からすれば結果的には変わらないように思う。毎晩お酒を飲むといっても、大量に飲むわけではない。カミさんは「食事にお酒がないと食が進まない」と言う割には量は少ない。「食前酒程度にあればいいの」と言う。私はどちらか言えば、飲みだすと「もう少し」と求めてしまう。このところ、1本のワインをふたりで空けてしまうが、3対2で私の方が多く飲んでいる。毎晩お酒がないと気がすまないにもかかわらず、カミさんは私に「そんなに飲みすぎよ」と言う。

 私はお酒がなければ食が進まないということはない。お酒は気を遣わなくてもよい仲間と飲む時が一番いい。そういう時は確かに飲みすぎてしまう。先日も古くからの友だちの家に呼ばれてお酒をいただいたが、昔の私を知っているから「よく飲めるようになったわね」と言われた。子どもを通して友だちになったご夫婦で、旅行も一緒に出かけた。子どもが大きくなるに連れて、いつの間にか行き来が疎遠になってしまっていた。それが急にまた一緒にお酒が飲めることになって、私は気持ちがハイになっていた。

 ボジョレー・ヌーボーと言えば、私が地域新聞を作っていた頃、西洋料理の店で解禁日にパーティーがあった。その時に飲んだワインはコクがなく、新酒というものは味気ないという印象だった。ワインを語れるほどの経験も知識もないけれど、新酒のワインよりも何年か経たものの方が味があるように思う。古くからの友だち夫婦もワインや日本酒を愛飲しているようで、大学の先生であるダンナは「これはどこどこの何年のワインだ」と解説してくれた。彼の言葉は理数系らしく解析と統計でばっちり組み立てができている。いつもその能力には圧倒される。

 午後7時30分を過ぎたのに、まだ宅急便が来ない。カミさんは「お肉も明日にしようか」と言う。別にボジョレーでなくてもボルドーでもいいじゃないかと思う。そう、ボジョレーは地名だろうと思っていたけれど、どこかは知らずにいた。ブルゴーニュ地方にある地域の名前のようだ。「当地の農民が収穫を祝ったことが始まりで、次第に世界に広がった」という。こんなに騒ぐのは日本人だけではないのかと思う。何でも受け入れ、自分たちのものにして楽しんでしまう日本人の優れた能力に感謝しよう。
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