友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

生きていくってことがいい

2010年11月15日 19時18分55秒 | Weblog
 私よりもひと回り年下の友だちの娘さんが結婚することになった。彼は「勉強のために東京へ行かせたのに、まだ学生の身で結婚は早すぎる」と積極的には喜んでいない。「相手も大学院の学生で、どうやって暮らしていくつもりなのか。もうこれ以上仕送りは出来ない」とぼやく。なにしろ娘のために相当に小遣いを減らされているから、そんな不満もあるようだ。その娘さんが結婚する相手が今度の連休に挨拶に来ると言う。「気に入らないから、結婚はダメだと言えるの?」と意地悪く聞いてみる。「それは言えんでしょう」と友だちは言う。考えた末の答えだがそのとおりだろう。

 親にできることは素直に「おめでとう」と言うことだ。自分の子どもが決めてしまった相手である。それを「ダメだ」と言えるわけがない。子どもがまだ迷っているなら、親としてのアドバイスも送れるけれど、決めてしまったものは喜んで受け入れてやるのが一番だろう。私の娘はふたりとも結婚を決意してから、相手を連れて挨拶に来た。どういう言葉をかけていいのか、何を話していいのか、戸惑うばかりだった。だから友だちには、「まずは『おめでとう』と言い、これからの生活設計を聞いてあげればいいのではないか」と話す。「親としてできることは、身体を動かす奉仕と金の援助くらいのものだ。困った時にはいつでも相談においでと言っておけばいい」。

 子どもたちはいつか巣立っていくし、そうなることがいいと私は思っている。何も結婚だけが幸せではないし、家庭を持つことが人生の目的ではないと私も思うけれど、心を許せる人と暮らしてみることは大事なことだと思う。次女は「家にいる方が居心地がいい」と言ってなかなか家を出なかった。私は人恋しく思う心や人のぬくもりを忘れて欲しくないと思い、「家から出て行くように」と強く言った。いつまでも親元で暮らす人生もあるかも知れないが、たとえ血みどろな目にあったとしても、親よりも一緒に暮らしたいと思う人と熱い恋をして欲しい。

 「結婚なんてものは成り行きよ。どうしてあの時はこの人しかいないと思ったんだろう」とそんなことを言う友だちもいる。それもまた真実だろう。けれども結婚して40年も経ったからこそ言えるのだ。絶対的な恋も、完璧な家庭も、揺るがない愛情も、実はそんなものは存在しなかった。そうだとしても、だから自分の人生に意味がないなどというものでもない。恋愛であろうと見合いであろうと、結婚し、子どもをつくりあるいはつくらなくても、長く共に生活を重ねてきたことに意味がある。

 ビートたけしだったか、「人は出世しようとか、有名になろうとか、いろいろ夢を描くが、一番大事なことは生きていくってことだ」とか何とか言っていた。なかなか鋭い。人は生まれて、一生懸命に自分の人生を生きる。何が幸せで何が不幸なのか、実際はどうでもよいことなのではないだろうか。生きていくってことが一番大事か、なるほどと思う。
コメント (5)
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