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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

奈良へ行ってきました

2010年11月07日 21時26分30秒 | Weblog
 金曜日と土曜日、姉と妹と3人で奈良へ行って来た。今年は遷都1300年を記念し、奈良がよくテレビで取り上げられている。姉は「ぜひ、奈良へ行きたい」と言うが、膝が悪くて長い歩行は困難である。「ツアーでいくのは無理だから、僕が乗せていくよ」と答えた。奈良の宿を探して電話をすると、「電話予約は高くなるのでインターネットでしてください」と言う。インターネットが使えない人はどうするのだろう、などと思いながらネットで探すが、さすがに奈良市内は人気があるのか空き部屋が無い。それでも姉の希望通り、猿沢池の側にある宿が予約できた。

 名神高速で北から入ることもできるが、名阪道でのんびりと南から行くことにした。出発が遅かったから奈良へ到着したのは正午だった。途中のどこかで昼食をとるつもりだったけれど、そんな大きな駐車場を備えた食事処は見当たらない。思い切って宿へ車を廻し、近くの「奈良名物うどんの店」に入った。腹ごしらえが終わって、さあ、お目当ての興福寺へと向かう。と言っても目と鼻の先にある。ところが石段を登らなくてはならないから、姉はもう「階段ではない道はないの?」と後向きだ。なだめて階段を登り切ると、イケメンのお兄ちゃんが「これからどこへ行かれますの?」と、人力車を回ってあげますよと言ってきた。残念ながらこの目の前の興福寺へ来たのだと説明する。

 興福寺はたくさんの人で賑わっていた。猿沢池を見下ろす五重塔は登ることができるようになっていたが、「とても登れん」と姉は言うので、念願の阿修羅像を見に行く。行列ができていて、30分待ちだと言う。阿修羅は八部衆の真ん中に置かれていて、やはり一番人気だった。八部衆像は4体が子どものような顔をしている。髭面の像もあったが背はどれも150センチくらいだ。若い女性が「可愛い」と声を上げていた。ここから東大寺に向かう。何といっても大仏は誰でも記憶にあると思うからだ。

 姉も妹も修学旅行で奈良に来たことは覚えているけれど、興福寺を見たとか、大仏を見たという記憶が無いと言う。そんなはずは無い、奈良に来て、興福寺や東大寺を見ないことはない。それでも二月堂や三月堂が京都の寺だと思っているくらいだから、人の記憶は当てにならないものだと思った。私の記憶では、大仏殿の前には八角の燈篭があったはずであったが、この日は見当たらなかった。それに燈篭がおかれていた中央の石畳はもっと狭かったように思う。それは確かではなかったが、八角の燈篭は別のところに移転されていると書かれてあったから私の記憶に間違いは無かった。

 妹に修学旅行のことを聞いても、いや子どもの頃のことを聞いても、何も覚えていないと言う。お母さんのこともお父さんのこともあんまり覚えていないとも言う。妹は中学2年になったばかりの時に母親を亡くした。嫌なことは全て忘れるようにしてきたのかもしれない。そんな昔のことを話し合いながら、何かを確認するようなひと時だった。
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