ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ

伏見桃山城や長浜城の遺構が見事な長浜の「大通寺」。見逃せない文化財の数々。

2021-02-22 | 国内旅行

滋賀県城下町長浜。江戸時代になり、城がなくなった後、長浜は、「真宗大谷派別院 大通寺」の門前町、また北国街道の宿場町として栄えます。

町の中を歩き回るミモロたち。気づくと北に大きなお寺が見えてきました。「大通寺だって~」と、この時点で、ミモロはこのお寺がどういうお寺か知りません。
「なんか立派な門があるよ~行ってみよう~」と境内へ。

「すごい細工がある~」と、門を見上げ、そこにある彫り物の見事さに驚きの声。

江戸末期に建立された総檜造りの二層門で、京都の東本願寺山門をモデルに30年以上かけて作られたもの。長浜市指定有形文化財です。

門の至る所に施された彫り物の素晴らしさに、宮大工の技術の高さが伺えます。


広い境内…中央にある本堂は、江戸初期の建造物で、もともとは伏見城の殿舎で、京都の本願寺の御影堂として使われた後に、ここに移築されたそう。国の重要文化財です。

「中、拝見できるのかな?」と恐る恐る本堂へと進みます。
「うわ~すごい~」と、思わず立ち尽くすミモロたち。

そこは、まる御殿のよう。
なるほど伏見城から移築されたことがわかる豪華さ。

「ここのお寺なんかすごいね~」と、ここで初めてこのお寺のすごさを感じ始めたミモロたちです。
ここは、真宗大谷派別院で、別名「長浜御坊」と言われ、このお寺こそ、城なき後、長浜を門前町として栄えさせたお寺です。
そもそも慶長7年(1602)に本願寺第12代教如を開基として長浜城後に建立。それから時を経た慶安4年(1652)に現在の場所に移転したとか。
寺院の建造物の一部には、伏見城の遺構が使われ、滅ぼされたとはいえ、秀吉とゆかりの深い町に、秀吉の思いを留めているように思われてなりません。

「ここも伏見城の遺構かな?」と、あまりに大きな寺院で、建物が次々に現れ、どこを歩いているのか…。ひたすら順路に沿って進みます。

狩野派による障壁画に思わず、「すごい~」と声。

障子窓の外には、日本庭園が広がり、

「あ、ハートの形の手水鉢がある~」とミモロ。


そして、日本庭園は伊吹山を借景にしたもの。


「ここどこ?」と、次々に現れる建物に、どこにいるのかわからなくなっているミモロです。
書院の前の枯山水。

「規模が大きいね~」と、ともかく圧倒されている感じのミモロ。


それぞれの建物には、見事としか言えない品々が…

「鶏図」の杉戸絵は、江戸末期、京都画壇の岸駒の作。

「なんか見るものいっぱい…こんなに大きなお寺だって知らなかった~」とミモロ。


いくつあるのかわからないほど多い部屋には、それぞれ様々な襖絵や屏風が…


「ホントに広いね~迷子になりそう」とミモロが言うほど、拝見する文化財の多さは圧巻。


拝観順路を経て、建物の外へ。拝観料は、500円でした。


「知らずに来ちゃって…今度、またゆっくり拝見しようね~。それにしても本当に立派なお寺…長浜に来たら、見逃せないね~」と、改めて山門を見上げ、「大通寺」が物語る歴史の深さに感激するミモロたちでした。


「う~この門もすごいよ~」長浜城の追出門を移築した脇門。

大きな杉の柱が圧巻。

あまりに知識なく訪れたミモロたち。ぜひ、ご自身の目でその素晴らしい文化財の数々をご覧になってください。

「絶対、また来よう~!」とミモロ。拝観時間の終了も迫っていたため、あまりゆっくりできなかったことが残念。
「なんだか、広いお寺の中を歩くだけ精一杯だったね~」


*「大通寺」滋賀県長浜市元浜町32-9  拝観時間 10:00~16:00


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