琵琶湖の北東部に位置する長浜は、秀吉が初めて自分の城を築いた歴史的な土地。町の中心的存在である長浜城へ、ミモロも出かけます。
「天守閣がある~でも、秀吉さんのお城にしては新しい感じ…」と。
長浜は、もともと浅井長政の領地。織田信長が妹のお市の夫である浅井長政の居城 小谷城を落城させ、その時、お市とその娘たちを助け出したのが秀吉でした。その功績により、天正元年(1573)に滅亡した浅井氏の領地を与えられた秀吉が、木下藤吉郎から先輩である丹羽長秀と柴田勝家へのリスペクトを示し、それぞれの名から羽柴秀吉と名乗り、初めて城持ち大名に出世し、築いた城が長浜城です。
築城後、以前、今浜と呼ばれたこの地を、そこは人の心をくすぐるのが得意な秀吉は、信長の長を頂戴し、長浜に改めます。
「さすが世渡り上手の達人だよね~」と、秀吉のコミュニケーション能力の高さを尊敬するミモロです。「ミモロにはできない…」
築城のためには、竹生島からも木材を運んだとか。「あ、竹生島って長浜市の島なんだ~」と初めて知ったミモロです。
長浜城の約10年後に築いた城こそが、大坂城です。一方、長浜城は、山内一豊などを城主に迎え、豊臣家が滅亡すると徳川家は、この城を跡形もなく取り壊し、木材や石垣などは、彦根城建設などにリサイクルされました。いろいろなところにその遺構は見られるものの、長浜城全体がどのようなお城だったのかという正確な資料は残っていないそう。
現在の城は、昭和58年に、市民の熱意と寄付金で建設され、内部は歴史博物館として公開されています。
「すごい!長浜市民の長浜城愛を感じるね~小さくても、絶対秀吉さん喜んでるね~領民の子孫に愛されているってことでしょ!」とミモロはただ感心。
天守閣部分に登ると、長浜市内だけでなく、琵琶湖や伊吹山まで一望できます。
「わ~伊吹山キレイ~」雪を薄っすら被った伊吹山の神々しい姿に感激。
「え~伊吹山って、滋賀県の山だったんだ~岐阜県かと思ってた~」と滋賀県民に怒られそうなミモロ。そう、県境に聳える山で、標高1377m、山頂の三角点は米原市に属し、滋賀県最高峰の山なのです。ちなみに、岐阜県の最高峰は、乗鞍岳3025mです。
琵琶湖の西側は、比叡山をはじめ、山々が迫り、広い土地はありませんが、東側には、広大な平野があり、彦根、近江八幡、安土など…かつてはこちら側がいかに発展していたかが伺えます。
天守閣の下の階は、秀吉や長政の歴史に関係するさまざまな資料が展示されています。
「秀吉だよ~」と、ミモロが大好きな顔パネル。どこにいるか、わからないミモロです。
「長浜城歴史博物館」の敷地内は、公園が整備され、そこでお友達がお茶を点ててくれました。
「お城をバックに頂くお茶も風流だね~」と。
最近、野点にはまっているお友達…「いいお友達持っちゃった~」とお菓子が毎回食べれるミモロは嬉しそう。
「本当に、長浜市民のみなさんが、いかにこのお城を愛しているかわかるね~」とミモロ。
…
若き秀吉が、情熱と夢を込めて築き上げた町…それが長浜なのです。
*「長浜城歴史博物館」の詳しい情報はホームページで
さぁ、長浜の町を歩きましょう。
豊臣家の滅亡後、江戸時代には、城下町としてではなく、真宗大谷派(東本願寺)別院の「大通寺」の門前町として、また北国街道の宿場町として発展を遂げる長浜。
昔の風情が漂う町並みをはじめ、「黒壁ガラス館」や「ヤンマーミュージアム」、また明治時代の洋館など、見どころもいろいろ。
「雛祭りもするの?」古き趣漂う町家には、雛人形が飾られていました。
毎年、4月には、「長浜曳山まつり」が開催。豪華絢爛の山車が登場。子供歌舞伎も演じられます。
「なんかゆっくり見て回りたい町だね~」とミモロ。
さて、次にミモロが訪れたのは…
<ブログを見たら 金魚をクリックしてね ミモロより
人気ブログランキング
ミモロの通販ショップ「ミモロショップ」はこちら
ミモロへのお問い合わせ・ご要望は、mimoro1888@gmail.comまで