東山、五条坂は、京都の陶芸のメッカ。かつてこの辺りには、陶器の工房が数多くあり、登り窯から上がる煙が町にたなびいていたエリアです。今も、多くの陶器店が軒を並べる陶器の町。8月の恒例の「五条坂陶器市」は、ミモロも毎年訪れる夏の京都の風物のひとつです。
ミモロが訪れている「河井寛次郎記念館」

寛次郎の住まいだった建物である記念館。ミモロは、敷地内の奥へと進みます。


河井寛次郎は、ここでさまざまな釉薬の研究を重ね、多くの作品を生み出しています。


「うわー大きな登り窯…」


「この中に作品を並べるのー」


暗い窯の中を恐る恐る覗きます。窯の内部は、高温の炎のためか、壁面には、釉薬が飛び、ガラス状の煌めきも見られます。

窯の周囲を興味津々で見て廻ります。


五条坂エリアで、京焼の作陶が盛んになったのは、江戸時代になってから。それまで、三条通の粟田口で始まった粟田口焼を皮切りに、京都各所にいろいろな窯が生まれます。
寛次郎が京都で来たのは、京都市立陶磁器試験所で釉薬をはじめ、さまざまな研究をするため。その後、ここに窯を設け、自らの作陶に専念します。
寛次郎の作品は、当初、中国の古陶磁に影響を受けた、技巧的で、豪華な雰囲気の作品だったそうで、今、目にするような作品とは異なっていたとか。大正15年に柳宗悦や濱田庄司らと「日本民芸美術館」を設立。昭和4年に、それまでの作風を大転換し、日常の用の美を追求する作品を生み出すことになります。


さらに、晩年は、抽象画を思わせる絵柄や形へと、その作風は、変化してゆきます。
また、寛次郎の才能は、陶芸だけにとどまらず、金属、木彫、書、絵画へと発揮され、館内では、陶器以外にも、彼の美意識をうかがわせるさまざまな作品に出会えます。


「あ、ウサギさんがキスしてる…」

キスしてる姿かどうかは不明ですが…。これらは、晩年の作品です。
「これは、なんの形?」

「これもお面…なんかピカソみたい…」

ピカソにしても、堂本印象にしても、そして河井寛次郎にしても、長生きする芸術家は、晩年、抽象的でエネルギッシュな作品を多く生み出している気がします。「年を重ねると、特別なものが見えたり、感じたりできるのかぁー」とミモロ。もしかしたら、物の本質や究極のエッセンスだけが表現できるようになるかもしれないと…。
昭和41年、76歳で永眠するまで暮らした東山五条坂。
敷地内には、茶室も。


「ここでいろいろな作品のアイディアを考えていたんだろうねぇー」と、ミモロもなにやら物思いにふけている様子。ミモロ、なに考えているの…「うーむずかしい…晩御飯には、魚を食べるか、お肉にするかーどちらも食べたい…どうしよう…」。
ずっと過ごしていたくなる心地よさが漂う記念館です。
*「河井寛次郎記念館」詳しくはホームページへ。

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