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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

記録と記憶

2023-11-15 | 暮らし
コメントをいただくと、なんだか嬉しいわたしです。
それでいいんだよ、と背中を押していただいたような、安心するような、暖かい気持ちになります。
(まるで初々しい悩み多き若人のよう)
いつも蝶ブログに来ていただいている方にも、とても励まされているような思いがします。
ありがとうございます。
その割に、打って変わって、自己チューのブログ内容ですみません。
営業活動が苦手で、うまくやれません。
引っ込み思案と自己チュー性格も禍いして、あれもこれも、は、どうも心もフットワークも重いです。
お礼とお詫び、舌の根も乾かぬうちに、いつものモードに戻ります。

さて。
今日も楽しく日が過ぎた。
別にこれということはないのだけど。
いつもの趣味仲間の人、Aさん(70代)と、練習後に軽く飲んだ。
この人、知り合ったのは、2年半前。
一緒に練習するようになったのは、1年半前。
1年の空白期間はあるものの、1年半前から全然変わらない。
態度も行動も、言っていることも変わらない。
旅行などの同じエピソードを何回も聞いている。
気分が高じると楽しかったことを人に話したくなるのだろう。
傾聴の精神で聴くが、Aさんはリラックスしているのだと感じる。
何度も同じ話を聴く鍛錬は、姑で何十年も修行を積んでいる。

わたしだって、書きたいことは、何度も何度も同じことを延々と長年、綴っている。
同じようなものだ。
ただ、わたしは面と向かって話す場合は1回限りを心得る。
(娘に、「何回も聞いた」と言われると、結構、グサっと来る)
相手によっては、2〜3回もあり得る、が、表現を少し変える場合がある。

ちなみに、わたしは、行動記録を記している。
感想などは一切ない、出来事、あったことの忘備録。
5年連記なので、スペースが小さいこともあり、私情やコメントまで書けない。
Aさんは、そんな記録日記は必要ないと言う。 
「本でも出すの?」と。
本は出さないけれど、自分の行動を、いつしたか、誰としたか、どんな内容だったか、忘れるから書きとめておく。
詳しく正確にはとても覚えていない。
当時の出来事もチェックすると、忘れていたことを思い出すのに役立つ。

Aさんは、忘れても何の問題もないと言う。
確かに、一理ある。
キッチリ覚えている必要性はない。
すっかり忘れても大丈夫。
仕事をしていない今では、何も誰にも迷惑をかけない。
だが、わたしは、自分の行動が闇の中に消えてしまうことを恐れる。
あれは、いつだった?
と、思い出したい。
一旦、記憶が消えてしまうと、2度と検証できない。
自分の記憶力は、いい加減であることを自分が一番よく知っている。
撮った写真を引っ張り出して、日にちを割り出すことも可能だが、メンドクサイ。
わたしは、ブログに書いたりする時に、自分の行動を振り返ることが結構ある。
いつだっけ?何年前?
と。
記憶力だけにはとても頼れない。
自分の成長や変化、衰えを検証するには、記録はわたしにとっては、必要不可欠である。

が、わたしはわたし。個人によって違う。
Aさんのように、いつだったか全然正確に覚える必要がないというのは納得出来る。
今が大事であり、過去は消していく。
勝手に消えて、印象に残るものだけが残る。
ではあるものの、わたしは、個人的に性質として、記憶が曖昧だと気になるだけだ。
わたしは、過去の積み重ねこそが自分の生きる糧になっている。
Aさんもそうだろうけれど、自分のことを人に話したりしないし、文章にしない人は、別にどうでも良いのだろう。意味がないし、必要がない。
本当に人それぞれだ。
わたしはAさんの過去に興味があるわけでもないし。
正確なことを知りたいわけでもないし。
聞き出そうにも、もはや闇の中だが。
Aさんは毎日が日曜日だし、今後の予定もほぼ今の延長。
病院で受診する時に自分の既往履歴だけ、覚えていたらそれで良い。
今を生きる人はそれで良いのだろう。
(わたしは、こだわるが)
執着心がないのだろう。

それにしても、過去の正確な出来事が消えて行くことに対して、よく不安にならないものたと感心する。
まさに、人は人。どれも、正解である。

ちなみに、姑は10年連記日誌を記していた。
家の行事の実践記録。
日時、場所、人物、費用、内容。
舅は、誰が見てもわかるようにノートに項目毎に分け、キッチリ綺麗な字で表にして、租税や行政的な内容の記録をしていた。
そのノートを見れば、家のことは大概わかる。
想い、主観は全く感じられない、客観的なものである。
舅の性格と仕事柄、事務的作業はお手のもの。

姑Aの上の姑Bは、過去に行動録を書いていて、B没後、姑Aがそれを読んで気分を害したと姑Aが言っていた。
なので、人に読まれることを念頭に私情は一切入れない記録にしたとのこと。
それ、とてもよくわかる。
ただし、過去の人物の名言を書いたものは遺してある。

わたしの蝶ブログは、将来のある日には、閉鎖、抹消したい。
宇宙のゴミになる?
指が動くその瞬間まで書き続けそうなので、娘に事後抹消処理をお願いしたい。


 

書くとスッキリする

2023-11-14 | ブログ
わたしのブログ。
①長い。②面白くない。
この2つの、決定的特徴がある。
特徴というか、欠点である。

ふぅ〜。
にもかかわらず、書き続けるには、それなりの理由がある。
理由は、明らかに承認欲求ではない。
想いをアウトプットすることによる爽快感、自己満足である。
心身、快適、快調。
根性なしなので面と向かって言えず、毒吐きの場合もある。

どこかで取り揃えたか、持ち帰ってきたか、いただいたお花を満足できるように器に生けることが出来た直後の嬉しい気持ち、に似ている。
他者基準ではなく、自分基準。
料理がとても満足できるように作れた感覚とはまた違う。
料理はその場で胃袋に入ってしまえばお終い。
刹那的なところがある。
あまり食に関心や追及心がないのかも知れない。
それに料理は自分でしなくても手に入る。
だが、少し手を加えると美味しくなる。
食は、生きていくために必要不可欠。


それにしてもまあ、こんなに長いのは何故か?
もやもや疑問は湧き上がるものの、自分で何が言いたいのかわからなくなっているため、書いて、答えを見つけようとしている。
なかなか自分を納得させる答えを掴めないと、延々と書き続ける。
(料理ならメンドクサイから、素材のまま手を加えず食べることもある)
自分が満足出来るような答えを導けたら、実に気分スッキリ。
導けなくても、書いている途中にランナーズハイ的に昇華されて余計なものが取れ落ちて気持ちが上向く。
それに付き合わされた皆さんは、それはそれはお気の毒である。
ごめんなさい。

しかし、ブログに自分は救われている。
救われないのは、読まされる側の皆さんでありますが、目に付く単語だけ拾って、ざざざーっとスクロールしてください。

普通のシニア

2023-11-13 | 日々のこと
わたしは普通のシニア。
書くことはいくらでもある。
だが、あまり専門的なことは、わからない。
また、報道されたり発表されたりしている、世に出ている事柄は、名称、人物、時代、説明など、読むのはスラスラ、サラサラだが、自分が書く、公表するとなると、間違っていないかチェックしなければならない。
それがメンドクサイ。
なので、一向にマトモなことが書けない。
抽象的なことや、個人的な頭や胸の内側ばかりになる。

趣味仲間と話していても、明らかに間違っていることを平気で言う人がいる。
目の前でスマホ検索して正しい答えを示してもよいのだが、その人のプライドや尊厳を傷つけかねない。
なので、こっそり調べて、どちらが合っているか、照合する。
その場で調べないで、堂々と間違いを直せる知識や見識に自信があれば良いのだが、わたしも結構、間違っていたりする。
お恥ずかしい、、、。

なので、ブログも間違いがたっぷり含まれていると思う。
この場で訂正できないことを(どれが間違っているか今、この瞬間にはわからないので)お詫びします。
というか、正式な政府、行政、企業の広報機関ではないので、まあ良い。(自己擁護)
個人の精度の低いブログにつき、ご勘弁いただきたい。

と、こんなことばかり書いて、まるで建設的ではない。
が、これはわたしそのものを現している。
中途半端。
どこにいても、何をしても中途半端。
意識と実態が乖離している。
手足が動かないのに、口と目と耳だけが動く。
意識と実態の中和、調整、すり合わせが必要だ。

そんなわたしが、今まで(怪我もせず)やって来れたのは、自分が生きるためにどうすればいいか嗅ぎ分ける嗅覚によるだろう。

ちなみに、eスポーツはものすごい脳の運動神経を必要とする。
実際に動かすのは目と、指だけ。
それでも能力のピークは10代で、20代になると歳でキツイ、勝てなくなるそうだ。
だとすると、eスポーツではないものの、実際に体を物理的に動かさなくても、身を(粉にして)使わなくても、自分の要望や欲求を満たすことが出来るのは、ある程度、自分の体以外の能力、活動のおかげということになる。

ということは、実際には体を動かしていないことに対して、そんなに卑下する必要はないように考える。

ちなみに、お茶の先生の先生の大先生、大御所のブログを拝読した。
わたしは、その精神世界には足元にも及ばない。カスリもしない。
だが、茶道は、利休などの活躍で、歴史を動かしている史実は無視出来ない。
椅子からズリ落ちてしまいそうな、単純なワタシ事情を明かすと、実はわたしは正座出来ない。
茶道の世界にいたとしたら、正座出来ないわたしは、とっくにドロップアウトだ。
精神世界とはまた別の事情。
茶道を一般に広く周知、普及、慣れ親しんでもらうためには、今は椅子を用意したり工夫されているとは思うが。
しかし、絶対的な膝事情。
パラリンピックと年輪ピックが合わさったような大会が開催されたら、正座出来ないわたしも、少しは茶道を嗜(たしな)もうと思ったかも知れない。
実際は茶道の世界も膝対策の工夫はされていると想像するが、よく知らない。
工夫されないで旧態然だとしたら、、、常に弱者は切り捨てて進む?

わたしは、中途半端で尚且つ、あまのじゃく人間なので、その道を追求できないことが、安易に予想できる。
道の入り口でUターン。

今、わたしは新たな道に進みそうで、その入り口でまたまた、モゾモゾしている。
それは、老人の道。
権威もおられるが、「老人学」と名打った学問としてはわたしは魅力を感じない。
それなら、江戸時代の賢い人々を知るほうが楽しい。
ナビゲーターは、講師・司馬遼太郎。(過去収録TVで観た)

司馬遼太郎さんが、おっしゃっていた。
江戸時代の無名人がいて、「日本には農民以外は1人も必要ない」、という突拍子もないことばかりの持論を唱え、全くアタマがおかしい人物かと思い、調べて行くと、実に勉強家で理論派であり、アタマがおかしい証拠は何一つ見つけられなかったとのこと。

雑談だそうだが、番組では、明治になる前の日本の各藩での特徴を述べられていた。
勉学を重んじる藩、剣術を重んじる藩、あまり勉学は重んじない藩、、、、色々なバラエティに富んだ特徴があったそうだ。
(ちなみに、※「バラエティ」に当たる日本語はないらしい)
面白いと思った。
長く鎖国をしていたので、外国からの影響は受けず、日本独自の文化を育んだ。
誰にも評価されず陽の目も当たらず、延々オリジナル持論を生み出す人々がいた。
力強くて頼もしい。
暗殺計画だとか、幕府転覆だとか、そういう系のものではなく、精神世界、脳の中、思想の追求。
作家もある意味、この類だろう。

ところで。
話を詰めて行っている最中に、なんなんだが、、、
わたしはお花が好きで、かといって、花道はからきしで、入門止まり。知識もない。
(茶道は、入門にも及ばない)
今、趣味の踊りの練習に通っている練習場のオーナー女性は、ご自宅から花を切り取って、練習場のここかしこに活けておられる。
叔父さんの山や畑、ご実家の庭から切って来られる。
野山の自然の草木を、自然なかたちで活けておられる、その花々を目を細めて見る度に、わたしはとてもこころが和み、癒される。
正に地球自然派。
わたしが学問追求が不向きな原因は、そのあたりにあるように思う。
論理を突き詰める途中で放棄する。
ぱあっと自然に帰ってしまう。還る。
田舎の野山や自然がいっぱいの自庭を歩き回って幼少期を過ごした影響もあるように思う。

成長する過程では都市部で揉まれたが、リタイア時期を迎えるとまた自然回帰。
(家族以外の)人にはあまり接することはないが、のびのびと、ゆるやかに、地球の自転とともに毎日動いている。


※トップ写真
前回のシャーロック・ホームズはわかりやすかったが、今回はわかる人はいないと思う。
→正解は、ワトソン
ちょっと離れて、目を宙に浮かして見るとわかる?

三ノ宮のホテルのフロント階、エレベーター前に掛けてあったもので、最初はわからなかったが(ホームズもワトソンも)、写真を撮ってみたら初めて人物だとわかった。



笑う余裕はありません

2023-11-12 | 老い
いつも利用している私鉄電車の最寄り駅。
改札口で大きな怒鳴り声。

「ない、って言われも困るんだよ!」
自動改札機を通り抜けて外に出た50歳以上ぐらいの男性。
関西弁ではない、このあたりでは聞きなれない標準語のイントネーション。

改札口手前で身動出来ず、改札機に引き止められている状態で、初老の男性が足を止めている。
「だったら精算してくるしかないじゃないか!!」
と、また50歳代ぐらいの男性。
たぶん、親子で電車に乗って、先に息子が改札機を通り、次に父親が出る間際になって切符がなくなっていたのだろう。
改札機を挟んで、親子で押し問答。
怒り狂う息子と、困惑する弱々しい小柄の父親。
とてもよくわかる、切なく気の毒な哀しい場面。
多分、まだそういう状況に慣れていないのだろう。
親が失念する状態。
年齢的に見ると認知症の入り口付近。70代後半〜80代前半?
家の中での出来事なら影響はあまりないが、外で、外部を巻き込んで進行している状況は、周りに影響も与えるし、通常より冷静さを失う。
焦って集中力が飛ぶ。
何度かそういう状況に遭うと、親に注意を促すか、それでも頼りなければ、親の切符を付き添い者(子供)が持って、降りる時に手渡す。

怒りが起きるのはよくわかる。
親の認知症初期段階は、認知症だと気づかない。
いつものしっかりした親だと思っているから、現実を理解できず、受け入れられない。


ちなみに。
うちの家のお向かいさんの息子さんも、いつも大声で、認知症初期症状(と思われる)のお母さんを怒鳴りつけていた。

なぜ、しない?
なぜ、できない?
なぜ、こんな当たり前のことが?

なぜ、こんなことをする?
なぜ、いつものようにしないで、デタラメな、むちゃくちゃななことをすんだ?!

響き渡るような怒号が続き、気の毒な思いがした。
やがて、怒鳴る声は聞こえなくなり、愛犬に話しかける声だけになった。

お母さん、どこに行かれたのだろう?
この世にはおられるのだろうか?

この家のご主人だったお父さんは、明るく社交的な方で、いつも家の周りをホウキを持って掃除され、顔を合わす度に笑顔で挨拶され、わたしの子供達の相手をしてくれた。
よく散歩され、近所の子供たちにも声掛けされたりしていた。
当時は最も早い55歳で定年を迎えられ、家でリタイア生活をされている若い元気なお父さんだった。
娘さんと息子さんがおられ、かつて(35年ぐらい前)、「結納品の数々が届いたので、見に来てちょうだい」とお母さんに招かれ、お邪魔したことがある。
しかし、いつの日からか、息子さんだけが戻って来られ、家におられる。
お姉さん(または妹さん)は、ごく稀に車で実家に訪れて来られる。
大人しそうなお母さんは、ごくごく稀に道でお見かけしたことがあるが、やがて、怒鳴られる声だけになり、声も聞こえなくなった。
どこかの施設にでも入られたと推測した。
自治会もご主人が亡くなられたずいぶん前から脱会しておられるし、亡くなったとしてもわからない。
毎日暮らしている、真ん前の家のことなのに、まるで遥か遠方の地に住んでいる一家のごとく。


と、話は逸れに逸れている。
話を戻す。

駅の改札口で見かけた親子は、今からが大変かも。
ではあるが、認知症の症状を把握すれば対策も講じられる。
入り口、まだ序の口で、それ以上、進みは遅いかも知れない。
あるいは、進まないかも知れない。
誰にでもある失敗なので、初めて接した時は理解出来ず頭に来るが、そのうち慣れて来る。

昨日も、座り込んでバッグから一つ一つモノを取り出して周りに並べ、必死で探し物をしている高齢の女性と、その横で立って待つ高齢のご主人を見かけた。
その状況が痛いほどよくわかる。


子供叱るな、自分も来た道
年寄り笑うな、自分も行く道
そう言われるが、
子供ならぬ年寄り怒るな、自分も行く道

笑う余裕も、叱る余裕もなく、
怒らないで、諦観、達観と悟りの気持ちで受け入れてね、とお願いしたい。


おじいちゃん、おばあちゃん

2023-11-11 | 老い
昨今は、核家族が普通になっている。
多世代で同居している世帯は、進んで同居している場合と、やむを得ず同居している場合がある。
家族のうち、誰かが不満を抱えることがあり、家族内で内紛の種が生まれ育つ流れもある。
例えば、夫の親と同居して、妻と娘がグループ化して、「夫と姑」と対立するケースがある。
夫は母を孤立させないように母側に付く。
その一方で、妻は不満解消には、はけ口を子育てに向け、子供を味方に付ける。
すると家族内では夫は孤立する。
ギリギリのラインで家族は(表面上は)成り立っている。
難しい。

核家族が増えて一般的になると、嫁姑の争いや、嫁イジメなどの話は、小説の中の世界になりつつある。
家の中に主婦が二人は、紛争の元、確執の原因。
しかも、二人とも無職主婦なら、尚更。

今は、女性も働き、共稼ぎ夫婦が普通になり、子供は0歳から保育所に預けることができる。
親が子供の世話を365日24時間、家でする時代ではない。
おばあちゃんが孫の面倒を、家で子供の勤務時間中、見る時代ではない。
(イレギュラーで見るケースはある)
しかも夫も妻同様に家事育児。
時代は確実に変わった。
女性の社会進出である。

昔は、おじいちゃん、おばあちゃんと一緒に生活していた。
ひいじいちゃん、ひいばあちゃんもいた。
小さな子供も老人と暮らしていた。
若いお嫁さん、その上のお嫁さん(若いおばあちゃん=姑)、そのまた上のお嫁さん(1番上のおばあちゃん=1番歳上の姑)、、、と家にお嫁さんが三人いることもあった。
夫のきょうだいも一緒に住み、一人一人独立していった。

老人は更に歳を取り、病気になり、家族に見守られ息を引き取っていた。
ずいぶん大昔のことのように思えるが、わたしの実体験、家族の原風景の一部である。

自分が歳を取ると、自分より上の世代のことが頭に浮かぶ。
あんな風に歳を重ねていき、あの世に旅立って行った、というパターン、実例をいくつも見ている。
ただし、地域限定。
世の中は、時代は同時代であったとしても、都市部と地方では違う。
職業によっても違う。

わたしの孫たち(姑のひ孫たち)は、元気な頃の姑とも交流がある。
姑が亡くなった直後の姑とも対面しているし、火葬された姑とも対面している。
小学生にもなっていない幼い子供にとっては、どう映るのだろう。
今は意味がわからなくても、その後、なんらかの記憶として残るだろう。
わたしの祖父が亡くなった時、わたしは3歳6ヶ月だったが、その時の様子を断片的に覚えている。
亡くなる以前、祖父が家で療養していたことも覚えている。
祖父の部屋は、内蔵に隣接する、蔵の前の廊下を進んで右にある独立した角の和室。
2方面L型に配置された障子を開けると両面が廊下と一続きになり、裏庭が見え、中庭へと繋がる。
部屋に遊びに行くと、祖父は病気のせいで片手が不自由になったため、歯で、お菓子袋を切って開封して、わたしにお菓子をくれた。
3歳でもちゃんと記憶はある。
そのシーンのインパクトが強いということは、よほどお菓子が嬉しかったのだろう。

この祖父の思い出の文章を書いていて、涙が溢れてきたのはなぜだろう。
涙が止まらない。無意識の涙。
これは、きっとセルフセラピーになっている。
涙を流すことは、癒されるらしい。

祖母は、祖父の世話を最期までし、その24年後に他界した。
長寿だった。
その時の祖母の長寿年齢を母はもう超えている。
そしてわたしは、祖父の世話をしていた頃の祖母の年齢に近い。
繰り返している。
重なり、オーバーラップする。
が、今は舞台は、介護施設、病院。

老いや介護、死は、生活シーンの中の一部には組み込まれていない。
別のところへ、アウトソーシング。
家族に代わる代行システムが整っている。
選択肢が増えた。
それによって得られたものは、女性の社会進出。
得られたものの替わりに、失われたものもあるはず。
何かを得るためには、なんらからの犠牲を要する。
何かを手放すことになる。

(老老介護や介護離職など、まだまだ課題山積)

時はどんどん進む。




元気なうちに

2023-11-10 | 老い
終活について、その2。
男性と女性では、終活の傾向が少し違うように思う。
男性は、書類、手続き準備、金融機関や、税金などの流れがわかるもの、主に事務的内容。
女性は、身の回りのモノや、不用品の処理など、固体物の整理。
男性で一生懸命、断捨離をしているブログは見たことがない。
女性がほとんど。
なぜなんだろう?

主に家に居て、モノを積み重ねていったのは、家事をしている女性だからではないだろうか。
(モノを捨てずに増やしていく戦中派世代に、ヘキヘキして反動で必要以上に捨てまくる人もいる)
わたしが知る男性たち(父、舅を含め)は、外回りの仕事や、庭、盆栽、畑の手入れをする人が多い。
家にじっと居る場合は、病気になった時。

シニアの皆さんのブログを拝見すると、なんやらかんやら健康なうちにと、なかば焦りながら追い込み、駆け込み活動をしておられるようにも受け止められる。
自然体で、というわけには行かないようだ。
残り時間は少ない、と、せき立てられる。
そして、人の行動の裏には必ずビジネスがついて回る。
人の流れは経済を回す。
溢れるばかりの旅の広告。
今、行っておかないと、いつ行く?
だが、外出中、トイレ不安を抱えながらでは楽しめない。
少しでも健康に翳りが見え始めると、途端に旅行どころではなくなる。
旅のために体調を整えなければならない。
結構、プレッシャーである。
プレッシャーがプラスの効果を表すうちは良いが、負担になると旅も億劫になる。
お金がなくて旅行出来ないのと、健康事情で旅行出来ないのと、家庭事情で旅行出来ないのとでは、どれが辛いか?
全ての条件をクリアしていても、旅行に行きたくない、というのもある。
趣味、嗜好の問題か、あるいは、こころの問題である。
何もやる気が起こらない、それが長く続くと精神的に疲れる。
こころは、厄介なものだ。

気分の良い晴れた日に、近所を散歩するのは快適だ。(今は、近所はしないけれど)
少し足を伸ばして植物園を歩いたり、ハイキングしたりすると高揚する。(旅先などで)
気分がイマイチの時は、自宅に篭る。(イマイチでなくても、篭る)
雨なら映画でもよい。(晴れでも行く)
読書もよい。勉強もよい。創作もよい。
だが、そんなことが大嫌いで苦痛の人もいる。
それぞれが自分が楽しめることをして、好きなようにすればよい。
(わたしは、自分は何が好きなのかを探す行動が好き)

こんなことばかり書いても、何の薬にも毒にもならない。

ちなみに、わたしは、終活、たっぷりすべきことがある。
あまりにもお尻が重く、全く手を付けていない。
モノが捨てられない自分が変わるのを待っていては、終活しないまま、あの世に行ってしまう。
終活しない人は羨ましい。


終活なんか何も無い

2023-11-09 | 暮らし
ある人、Bさん(70代男性、趣味仲間)に終活について聞いてみた。

彼の返事は、
「終活なんかする必要ある?
いったい、何をするの?」

全く思い浮かばないようだった。

「例えば、自分がいなくなった後の事態に備えて申し送り事項とか、大事なもの、ことを伝えるとか、、、
後の人が困るだろうから、要らないものを処分するとか、
いくらでもありますやん」

そんなものは無いそうだ。
隠し口座とか、隠し子とか、無いらしい。
(隠し子はいないと思うが、隠し口座の一つや二つはあるはず)

「では自分の介護費用は?」
「妻や子供がいるじゃないか」
葬儀費用は家族葬が増えて、さほど要らなくなったが、自分の介護費用もさることながら、妻を介護することもありえるのだが、、、。
全く考えたことがないとか。
アスリート体質の健康的な方である。

住んでいる家も、子供に分割するとなると、遺った人がまだ住んでいたら真っ二つに割るわけにはいかないし、、、
だが、何から何まで、一つも微塵も考えたことがなく、これから考えようという気もなさそうだった。

彼が言うには、大半の人はそんなことを考えなくても、うまくすんなり行くとのこと。
先祖から伝わるものがあるわけじゃなし。
自分で築いた遺すものがあるわけじゃなし。
身一つ。
子供にかかる費用も負担してきたし、もう何の義務もない。
なんにも終活する材料がないらしい。

ところで。
奥さんの趣味は絵を描くこと。
一日中、四六時中、365日、絵を描いているわけではないだろうから、「何しておられるんですか?」と聞くと、「知らん」との答え。
Bさんはいつも体育会系で出歩いて家に居ないので、おそらく、全くご存知ないだろう。
それはそれで、調整が取れていると思う。

「世の中の無職、リタイア高齢の方々は、いったい何しているのか、すごく興味があります」
と聞くと、
「何かしている人なんかほとんどいない。
皆んな、何にもしてない。それが普通だ」
と、なんとスッキリした答え。

「しかし、何もしないのは苦痛ではないですかね?」と疑問をぶつけると、
「普通の人は何もしていない。それが普通だ」
と同じ答え。
問答にならないので、この話題を終えた。

彼の言う「普通」は、自分の周りの人々を基準にしている。
周りの人々は、人によって違うから、自分の周りの人が自分と違う場合は、周りが普通ではない、となる。
自分が普通であって、自分の周り以外は普通ではない。
じつに、わかりやすい。
そういう話を聞くと、(面と向かって口に出して言わないが)わたしは普通ではないのだと再認識する。


海外ニュースは全く映画を見ているかの捉え方。
平和な国に暮らす典型的な日本人だと感じる。
かと言って、理解を深めたとしても、何が出来るわけでもないが。
中途半端な知識や感情、思考なら、元々備わっていない方がマシ。
自分はどう関わるかである。
無意識、無関係、無関心も、一つのスタンスである。

趣味関係の事柄で、わたしが俯瞰的な観察状況を言うと、とても驚くBさん。
自分がどっぷり釜の中に浸かっていると、見えないことはたくさんある。
だが、見えるからといって、それだけだ。
活動方針やプランを立てる指針になれば良いが。




お墓のこと

2023-11-08 | 人生
いきなり、全く関係ないが、お墓のことを書く。

ある人Aさんと話していたら、お墓の話になった。
自然な流れの会話の中でこんなフレーズが出た。

「お墓なんか要らないよね。
子供たちが困るだけだし。
ウチもオタクも、大したお墓でもないし」

ん?
引っかかった。
「ウチは大したお墓なんです!」
と思ったが、自慢たらしいことは人には言えない。
根底に、「アナタのところとは違う」という上から目線的な思い上がりの気持ちがあるとしたら人として未熟。
上だ下だと格付けするのは違うように思う。
上下ではなく、風土、土地の慣わし、家庭環境、宗教的背景だろう。
仮に同じ宗派であっても、都市部と地方では違う。

Aさんは、熱心にお墓参りをする信心深い人。
だが、子供には同じようには面倒なことを強制したくない、と、今時の風潮色濃い思いもある。
娘さんが2人いるが、姓を継がなくてもよいと言っているにもかかわらず、結婚後も上の娘さんは旧姓のままで、お婿さんが姓を変更した。
(だが、残念ではあるものの、もうすぐ離婚されるようだ)
このご長女の婿殿は長男ではあるが、彼の親御さんは姓を変えることを快諾された様子。
「氏(姓)」などにこだわらず全くどうでもよいとお見受けした。
しかしお婿さん、また旧姓に戻ることになる。
それはそれとして。

ご長女さん、きょうだいは妹しかいないからとしても親の姓を継ぐとは(親に言われてもいないのに、親が戸惑うぐらいなのに)感心なことだと思っていた。
別段、代々の屋号でもなく老舗でもなく生業とは関係ない、お勤めされている家で、古くからの「家」がどうこう、そんな意識や伝統や慣わしは無い都市部の核家族なのに。
夫に姓を変えさせ(なんのトラブルも逆風もなく)すんなり旧姓のまま結婚生活を続けていた。
昨今の世代、風潮なんだなあと、古い時代錯誤シーラカンスのわたしは、驚きと共に受け入れていた。
が、あまり年月も経たず、ほんの数年(2〜3年?)であっさり離婚。
結婚というものは、事実婚なのだと感じた。
(フランスのように)
今更ながら。
Aさんの妹さんの子供たちも事実婚で、(たまたま)子供はいない。
(籍を入れているのかどうかは知らないが)
そういう事実婚もあり、当時としてはわたしは受け入れ難い価値観であったが、今ならよくあることで、どうってことはないだろう。

お墓も自分世代でお終い。なので墓じまい。
お墓に入っているのは、夭折した子供と両親だけ。
今後、Aさん夫妻は、その墓に入らず、墓じまいを考える。
だとすると、墓に入っているのは3人だけなので、小回りが効きそうだ。
墓じまいをもし、自分たちの代でしないなら、墓には今後5人入ることになる。
墓石設置にはスペース上、定員オーバーらしい。
なるほど。

しかし、墓を建てた時、自分が入るスペースを考えずに建てる段取りになっているのだろうか。
その後、入る人が増えたらどうなるのか?
霊園側の意向を聞きたい。
あまり墓事情には詳しくないので、そのあたりがよくわからない。
まだ一人もお墓に入っていない墓を購入した人も何人か知っている。
墓に入る人は誰ひとり亡くなっていない。
自分の墓を自分で用意。
昨今は、子供世代にとっては、親は親の墓を新たに買わないでほしいと願うこともある。
あるいは、遠くの、行きにくい墓を近くに移すケースがある。
霊園がよく墓の移転誘致をPRしている。

終活の一環として、家じまい、墓じまい、、、今の高齢の人々はそういう流れになっている。
シーラカンスどころではない夫が聞いたら頭から火を吹くだろう。
わたしは、何も家や墓を終わらせる、とは言っていない。意向もない。
今はそういう考え方をする人もいるご時世に移りつつある、と言いたいだけだ。
いきなり怒り出して頭から否定するのではなく、世の中の動きや流れを知るのは悪くない。
知った上で自分の進む道を決める。
何も世の中の流れに迎合しなくても良い。
逆行するのも一つの道。
なのに、あのカチンコチンは何だろう。
全く聞く耳を持たない。突然、激昂する。キレるのは病気の一種か。
選択肢を持った上で熟考し、考えを再確認、肯定して選び取るのが良いと思うが、選択肢すら与えない、頭ごなしは、次世代に反発されるだけだ。
誰も面倒な火種には触れない。なので、ほっておく。
優しく受け入れそっとしておくのではなく、諦めて放置する。


だが、自分が他界した後のことまでは、見聞きして確認できるわけがない。
次世代は、それより前の世代の背中を見る。
それでどうするかを決めてもらうしかない。

夫婦のどちらかが亡くなった時、はっきりした動きがあることは確かだ。
同時に他界したならまた話は別だろうけれど。
あるいは、老親が認知症で判断実行能力がなくなっていたら、子供が代わりに決めて進めるしかない。

ちなみに、自分のお墓を生きているうちから建てる生前墓は縁起が悪いとされていたが、近年は寿陵と呼ばれているようだ。
夫と同じ墓に入りたくないという妻もいる。
現世だけで十分、あの世は別々でお願いします、ということだろう。
その選択肢は自分の永眠間近まで持っていたいものだ。(永眠しなくても、認知症で判断能力がなくなるギリギリまで)
その後は、知る由もない。
お疲れ様でした、である。




期限制限付き、楽しみ

2023-11-07 | 
小旅行の記録を書こうと、紙製ダイアリーbookに、シャーペンを走らせようとした。
が、、、ふと、ん?と、シャーペンが止まる。
大まかな地域名はわかるものの、正確な地名や駅名がわからない。
自分の生まれ育った市なのに、、、!
なんと、いいかげんな、大雑把な記憶。
というか、元々記憶に刷り込む時点で、ちゃんとした名称や、地図、位置がわかっていない。
半世紀以上経って、そもそもわかっていなかったことが判明、認識して、そっちのほうが、ビックリだった。
幼児や小学生となんら変わらない原風景の捉え方。
成長した大人になっているはずの部分が、すっかり抜け落ちている。
まあいいか。
これからも、益々忘れていくんだから。

まるで初めて見るような新鮮な驚きを何度も味わえて、お得だ。エコだ。

しかし、わたしは3人年子の末子が生まれて4年ぐらいした頃(36年ぐらい前?)、このR山に、大の苦手の車を自分で運転して訪れている。
しかも、自宅から往復、一度も休憩せず、どこにも寄らず、不慣れで不案内の地まで運転し続けている。
さらに、助手席には外国人を1人乗せていた。
帰宅した後、家に入るやいなや、あまりの緊張と疲労に、廊下にうつ伏せて倒れ込んだ。
若い日は、なんだってやるんだ出来るんだ、元気だ、と我ながら感心した。
誰にも若い日はある。
遠い目。

でも乱視を通り越して、老眼なのに近視だから近くは見える。
近くはメガネ要らず。遠くはさっぱり見えないけれど。
いや、そういうことではなくて。

とりあえず、ブログネタもいっぱい仕入れることができたし、家の外に飛び出すのは刺激的だ。
ただし、足手まといにならないうち、孫たちが中学になるまでは、旅も同行させてもらえそう。

非日常空間をあと5年、制限時間付で目一杯、楽しみたい。



故郷なのに初めて行ったような感覚

2023-11-07 | 
さて、何から書こう。
昨日、一昨日、先一昨日は、2泊3日の一族旅行に行ってきた。
4組12名。1組につき3名ずつ、、、ではない。
①大人1名(長男)②大人2名(我々夫婦)③大人2名➕子供1名(次女一家)④大人2名➕子供4名(長女一家)
合計すると、大人7名、子供5名、総勢12名。

皆んなでピッタリぞろぞろご一行様で行動するのではなく、ゆるやかに行き先を共にした。
確実に顔を合わせるのは、晩御飯と宿泊ホテルと朝食。
あとは、自由、大まか。
だいたいは同じような場所にいたが、長男だけは仕事がらみの案件を抱えていて、日中はまるで別の離れた場所で別行動。
まあ、遥々遠方から参加してくれるだけで有難い、嬉しいから、ちょっと顔を見れたらそれでよし。

それにしても2歳児、3歳児は、まだまだ手がかかる。
必ず日程の真っ最中に活動中に寝てしまう。
お昼寝を挟む。
ベッドや布団でじっとお昼寝なら良いが、外で歩いている途中や、何かをしている途中に、「抱っこ!」と言ってきて、おんぶや、抱っこしたまま、ぐーぐー。
歩く人間型移動ベッド。
3歳児のママ(わたしの長女)は、ベビーカーは持ち歩かないので、おんぶや抱っこのまま、歩き続ける。
いやはや、ママはすごく体力がいる。
パパは、別の子供の子守りで別の離れた場所で別行動していることが多いので、ママは1人で体育会系パワーがいる。
わたしはお手伝いしないのでただただ、若い人はスゴイなあと感心するのみ。
というか、あんな重い子供を長時間、歩きながら抱っこもおんぶやもできない。
頑張ってお手伝いして、腰でも痛くなったら、かえって迷惑かけるし。
第一、期待されていない。
それをいいことに、子守りは手伝わないことにしている。
自分のことだけする。人の役には立たないが、人の手は借りない。

公共交通機関(電車、バス、ケーブルカー、ロープウェイ)と徒歩だけでの旅。
足腰は強くなる。
ただし、電車やバスの時間に間に合うためにダッシュしたりするスタンバイは必要だ。
そして、トイレは素早く、機会のある時に。
それと、待ち時間は必ずある。
だいたいの日程計画なので、いたって緩いスケジュール。
乗り物の時刻は、行動を見ながら調整する。
時刻表はあらかじめ頭には入れている(ようだ)。
やはり、幼児と一緒の旅は、大人本位に行動しにくい分、時間をゆったり取っているのが良い。
というか、小学生や幼児と同じ思考回路と体力で参加しているため、着いていくだけで頭を使わなくて良いので楽ちんだ。
団体旅行の最後尾の一つ手前の参加者イメージ。

今回の旅行先は、わたしが生まれ育った故郷の市で、よく行った場所、マイ・テリトリーではありながら、自家用車以外で行ったのは初めてだったので、とても新鮮だった。