蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

お墓がズラリ

2024-10-01 | お出かけ
「虎に翼」、同じ感想でも、優れた立派な素晴らしい解説、感想が書かれたブログ記事があり、頭脳の良さが嫌味なく自然に露呈されている。
それに比べて、わたしの蝶ブログは知能指数が低いのがバレバレである。
蘊蓄の数々、解説は興味深く答え合わせのごとく、インプットは出来ても、わたしは客観的なアウトプットが出来ない。
つまり、具体的事象や正確な知識は、理解するプロセスの段階で消化されてしまって、残っていない。
人に理路整然と説明できない。
で、結局どうなったの?と、結論重視。
まあよい。
劣ったものがあってこそ、優れたものの良さが際立つ。
不味いものがあってこそ、美味しいものに舌鼓を打てる。
持ちつ持たれつ、お互い、相乗効果。

さて。
高野山。
わたしは何度か訪れている。
直近では、つい1週間前。
しばらくは、高野山の写真が続きそう。

写真を撮ろうと思ったのだが、お墓の写真は1枚だけ。
しかも、墓とは言えない、書いたものを供養する?「楽書塚」。
まさにムダ書き散らし蝶ブログの供養。自分向け?
それはさておき。
なぜお墓の写真を撮らないかと言うと、今年4月に参加した「歩く会」で、三田(兵庫県)にある白洲次郎とそのご先祖様たちのお墓を訪れた。
その際、お墓の写真をどんどん撮ったら、お墓から出た直後ぐらいから、急に頭痛に襲われた。
やっぱり、お墓の写真はダメなのかなと、頭キンキン痛いなあ、と刺さる痛さをもって、わたしに(墓主が)訴えてきた。
それ以来、お墓の写真を撮るのには慎重になっている。

夫の実家の仏壇前にお供えした、お盆の里帰りご先祖様への(記録のための)お膳料理写真もそう。
何か写ってないか、恐々見てみるが、何も写っていない。今のところは。
ご先祖様の皆さんからはクレームはない、とわたしは受け取っている。
この夏から、なんと、ノリタケの新古品デミタスカップ&ソーサーで、淹れたてコーヒーを(ついでに)(自主的に)お供えしている。
コーヒー好きは、義父(舅)だけなんだけど。
夢の中にニコニコ笑顔は現れないが、期待もしていないからよい。

自分の家はよいが、やはり、他人様のお墓には気を使うようになった。
コラコラ!人の聖域に土足で踏み込むな、という頭痛パンチのお見舞いは、鈍感で無信心なわたしにも効いた。



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