ふと、思いついた。
「めったに、○○しない」
この方針、生き方は、とても楽で、便利で、お得だと。
「めったに笑わない人が、笑った」
「めったに怒らない人が、怒った」
「めったにお小遣いをくれない人が、お小遣いをくれた」
「めったに頑張らない人が、頑張った」
「めったに気を利かさない人が、気を利かした」
「めったに良い成績を取らない人が、良い成績を取った」
「めったにドレスを着ない人が、素敵なドレスを着た」
いつも手を抜いてサボっているのに、ちょっと何かをしただけで、
とても驚かれて、すごい!!とプラス評価され、効き目、ばっちり。
(ただし、いつも、周りからの評価は低い。その低い評価に耐えることが条件)
逆に、
「いつも笑っている人が、無愛想で、ぶすっとしている」
「いつも頑張っている人が、頑張ってない」
「いつも良い成績の人が、悪い成績だった」
「いつも素敵なドレスを着ている人が、普通のドレスを着ている」
いつも良い状態、素晴らしい状態をキープするだけでも大変なのに、
ちょっと気を抜くと、(通常に比べると)マイナス評価になる。
では、
「いつも怒っている人が、怒らなかった」
「いつも悪口を言っている人が、悪口を言わなかった」
これは、効き目があるのか?
評価が上がるのか?
「いつも」の状態が、すでにマイナスである場合、
いつもと違うことをしても、プラスではなく、ゼロである。
嫌われ者は、しょせん、嫌われ者。
少々、いつもと違うことをしても、また元に戻ると見なされるだろう。
常にニュートラルにいると、維持するエネルギーはほとんどかからず、
必要な時のみ動いて、低いエネルギーで、高い効果が得られる。
感覚的には、ハイブリッド・カーのようなニュアンス?
いつも高い位置をキープしていると、キープするだけでもエネルギー量が多く要るだけでなく、
少しでもエネルギーが不足すると、円滑、潤滑に進まない。トラブル発生の元になる。
これは、性能が高いとは、言いがたい。
少しのエネルギーで、ハイパワーが望ましい。
高い位置に上げ、軌道に乗せたあとは、オートドライブのごとく、あまり更にアクセルを踏まない。
日頃の評価をあまり気にしないなら、
自分をさほど高い位置に上げる必要はないので、初期投資的な努力は少なくて済む。
省エネモードは、とても楽である。
わたしは、あまり他からの評価を気にしない。
エンジン全開で常に湯気を出しながら頑張っている人を見ると、周りの評価としては、それが当たり前になってしまい、疲れるだろうなあと少し気の毒になる。
評価軸を自分に置いて、自己チューで動くと、他人に動かされる部分のエネルギーがカットできて身軽である。
自分が中心になって省エネモードで動くと、他人がたくさん動いている中で動いても、ぶつからずに小回りもきく。
人の目を気にしないコト。
ただし、自分軸は、ある程度、社会において、自分の位置したい(目標とする)場所を自分で決めて、軸を取る。
自分が不愉快になるような自分のポジションには居たくないので、回避するために、自分のために努力をする。
その努力は、おそらく表面には現れない。
サボりと取られても、自分の居たい位置にいると、快適である。
ただし、ニュートラルで、スタンバイすることが条件だろうけれど。
そのためには、目や耳は常に動かしていないと、時機を逃がして仕事を溜めると、後が厄介である。