蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

舞い降りた蝶

2018-10-09 | 人生
ブログ村エッセイ、蝶のタイトルにつられて、泣ける話を読んだ。
読んでいるのは電車の中で今からお出かけなのに、涙で付けマツゲが落ちたらどうしよう、、、と心配したが、大丈夫のようで、ほっとした。

わたしも幼い頃、仕事をしていた母が、仕事に出ない休日は、母にまとわりついた。
ゆっくりした朝、まだ布団で寛いでいる母の背中に、よく乗っていたものだ。
鮮明に覚えている、4〜5歳頃に見た夢は、特急列車で遠くに行ってしまう母をホームで見送り涙した。
全然、電車など乗らないで遠くに行ってないのに。
その思いと、それからの思いの、このギャップがまた著しい。

人間、ただただ長生きするものではない、生きることにも旬があると感じる。
早くに母を亡くしていれば、母を慕う気持ちも増すだろうが、幸いにしてそれ以後も元気、権力全開で、鬼のようでもあり、童女のようでもある母だった。
今もピンピンしていて、相変わらず、わたしのファッションに痛烈なコメントを発する。

しかし、不思議なことに、母にとって、ある意味、末っ子のわたしは可愛い娘でもあった。(一方、賢い姉は、よくデキる自慢の娘だった)
母がスタッフの方に、「この子は、わたし(=母)に、ちっとも似てなくて、美人でしょう?」
とよく声がけして、スタッフが困っている。
が、それ以上にわたしが困っている。

スタッフも嘘でもいいから「そうですね」と一言、言えば済むものを、誰一人として、一度たりとも、頷いてくれたことがない。
美人だと思えないのだから仕方ないのだが。
正直な人ばかりで、それが、かえってわたしを傷つける。

そう言えば、高校の時、わたしが、その頃、絶世の美女だった女優の松坂慶子に似ている、と誰かが言ったらしい。
わたしがひっくり返っても似ていない、その発言だったが、いったい、誰がそんな無責任なことを言ったのだろう。
その的はずれな発言のせいで、わたしは皆んなにボロカスに言われた。
んなわけない、と。否定の声は、1000倍の大声で。
わたしは女優似発言の人物を逆恨みするかのごとく、傷ついたではないか。

それに似たような感じで、身内の身びいきで見えるものと、実際のリアル現実は違う。
どんなにブサイクでも、身内が満足していればそれでいいんだけど。

先日、母と会ったら
「あんた、なんでそんなに、ニコニコしてるん?」と笑顔で言われた。
「別にニコニコしてないよ」と事実を伝えたが、母には響かない。
母もニコニコしているし、わたしがニコニコしているとしたら、いいことなわけだから、必死で否定するのもなんだし、ほっておいた。
ひょっとして、無意識にニコニコしていたのかも?
怖い顔よりはいい。
そのうち、観音菩薩みたいな愛と慈悲に満ちた顔になればいいなあと。
目が細いから似てなくもない。
て、無理か。
おそらく煩悩から解放された時は、(今よりも増して)知性からも解き放たれ、今の母みたいになっているのだろうか。

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