セミリタイアを目指す40代パート主婦さんのブログを初めて読んだ。
子供1人あり。
セミリタイアまでの道のりが楽しくて仕方ないそうだ。
完全リタイアはしない、心身に悪いから、とのこと。
それ、面白い。
心身に悪いのか。なるほど。
年齢、ライフステージを軸に、収入を細かく分けて、自分の目標を定める。
数字に強いと見た。
仏像彫り師とはまた違う世界観。
この仏像彫り師さんも、NHK ETVシニア番組「あしたも晴れ!人生レシピ」で紹介されていた。
同じような年齢、状況。既婚主婦、子供2人?大卒。
お金に振り回される人生は嫌になったという彫り師さん。
かたや、仕事が大嫌いの、自分が生み出すお金計算の上に幸せ実感が成り立つパート主婦さん。
主婦にも、見る角度によって違うが、本質に迫りたい、自分と対峙する試みは同じ。
真摯な実践派。
昭和人間のわたしにはまるで隔世の感、、、かと思いきや、そんなことはない。
時代の価値観が推移していっているだけで、自分自身は同じ。
潮流が変わるだけで、自分は自分。
わたしに関して言えば、時代に振り回されることはない。
明治生まれの「姑の姑」は、女性も手に職を持ち仕事をするほうが良い、と、ひ孫に勧めた。
姑は、結婚は人生で一度はしたほうが良い(後で離婚したとしても)、と孫に勧めた。
男性に保護され従え、とは言っていない。
とは言え、バリバリ仕事を持って外で働いたかというと、姑たちは家庭内で働いた。
だが、本人たちの意識では男たちに雇われた感はない。
ではあるが、実際のお金の流れも知っている。
先人たちは、強かにしなやか生きてきたと、わたしは感じる。
大きな戦争や自然災害にも遭う中で。
清濁併せ持つ。
理想は理想、現実は現実。
でも夢や希望、目標は生きる糧。
貨幣経済に振り回されないで、お金に解放されたという彫り師さん。
彫り物(作品)と食べ物と物物交換もする。
原始的な基本的な動きが気持ちを心地よいものにするそうだ。
こころの拠り所は、人それぞれ。
自分1人だけ凝り固まるのではなく、自分も活かし、家庭も持ち、子供を育てる。
その境地に至るまでには紆余曲折があっただろう。
お金になぜそんなに執着するのか。
健康を保ち、衣食住を快適に毎日を過ごすのに、どれぐらいのお金が必要なのか。
人それぞれ基準が違うだろうけれど。
贅沢だと捉えられることが、個人の感性によって異なる。
その感覚が同じ人と時をシェアするのが理想。
安心安全を得るために、仮に地下シェルターが必要だと考えるとすると、日本人はどれぐらいの人がクリアしているか。
政府要人とお金持ちのノアの方舟。
タイニーハウスの真逆。
色々だ。
頭の中を整理して何が大事か、あれこれ取捨選択する。
それを行動で現すのが断捨離らしい。
寝袋一つで十分な人もいるだろう。
人のことなどほっておいて、さて、自分は?
少し前に、趣味SNSで、わたしが人の行動の考察を書く度に、「人のことばかり見て、肝心のあなたは、どうなの?」といつも反論をコメントを付けてくる人がいた。
わたしとしては、「ほっといてちょーだい、あなたこそ、人のことなど構わずに自分の感性で突き進んでください」という気持ちだった。
コメントにはそうは書かなかったが。
自分の道を模索するための試行錯誤のあれこれのために、人の行動や方法を参考にしている段階、プロセスなのに、書いて脳内整理しているのに、いちいち、「人のことはほっておいたら?」と言われると、「そうじゃない、そういう、他人を評価したいわけではなく、自分の参考にするため、自分を定めるため、良くも悪くも道標にするために他人の行いを見ている」わたし。
いつもコメントされる度に思っていたが、やがてその人はコメントは付けなくなったものの、わたしのページに(訪れた)足跡は付いている。
気になるのだろう。悪い意味で。
嫌いなら無視していただくと良いのに。
わたしは、一生、モラトリアム、、、だから未完成。どこかが欠けている。
色々な人がそれぞれの場所で生活されているのを見ると、今の私には刺激になったり癒しになったりはするが、、、
もちろん素晴らしい、感銘を受け涙することも度々だが、悲しいかな単なる暇つぶしになっていると鈍さを感じることがある。どよ〜ん。
これは、わたしの感性がどんどん衰えている現れだと思う。
就寝中、夢でも、わたしの衰えを示すような内容の夢を観る。
まだわたしは自分の衰えを客観的に受け入れられず、意識下でも、無意識下でも、あがいているようだ。