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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

子供1人既婚40代主婦

2023-05-15 | ブログ
セミリタイアを目指す40代パート主婦さんのブログを初めて読んだ。
子供1人あり。
セミリタイアまでの道のりが楽しくて仕方ないそうだ。
完全リタイアはしない、心身に悪いから、とのこと。
それ、面白い。
心身に悪いのか。なるほど。

年齢、ライフステージを軸に、収入を細かく分けて、自分の目標を定める。
数字に強いと見た。 
仏像彫り師とはまた違う世界観。

この仏像彫り師さんも、NHK ETVシニア番組「あしたも晴れ!人生レシピ」で紹介されていた。
同じような年齢、状況。既婚主婦、子供2人?大卒。
お金に振り回される人生は嫌になったという彫り師さん。
かたや、仕事が大嫌いの、自分が生み出すお金計算の上に幸せ実感が成り立つパート主婦さん。
主婦にも、見る角度によって違うが、本質に迫りたい、自分と対峙する試みは同じ。
真摯な実践派。

昭和人間のわたしにはまるで隔世の感、、、かと思いきや、そんなことはない。
時代の価値観が推移していっているだけで、自分自身は同じ。
潮流が変わるだけで、自分は自分。
わたしに関して言えば、時代に振り回されることはない。

明治生まれの「姑の姑」は、女性も手に職を持ち仕事をするほうが良い、と、ひ孫に勧めた。
姑は、結婚は人生で一度はしたほうが良い(後で離婚したとしても)、と孫に勧めた。
男性に保護され従え、とは言っていない。
とは言え、バリバリ仕事を持って外で働いたかというと、姑たちは家庭内で働いた。
だが、本人たちの意識では男たちに雇われた感はない。
ではあるが、実際のお金の流れも知っている。
先人たちは、強かにしなやか生きてきたと、わたしは感じる。
大きな戦争や自然災害にも遭う中で。

清濁併せ持つ。
理想は理想、現実は現実。
でも夢や希望、目標は生きる糧。

貨幣経済に振り回されないで、お金に解放されたという彫り師さん。
彫り物(作品)と食べ物と物物交換もする。
原始的な基本的な動きが気持ちを心地よいものにするそうだ。
こころの拠り所は、人それぞれ。
自分1人だけ凝り固まるのではなく、自分も活かし、家庭も持ち、子供を育てる。
その境地に至るまでには紆余曲折があっただろう。

お金になぜそんなに執着するのか。
健康を保ち、衣食住を快適に毎日を過ごすのに、どれぐらいのお金が必要なのか。
人それぞれ基準が違うだろうけれど。
贅沢だと捉えられることが、個人の感性によって異なる。
その感覚が同じ人と時をシェアするのが理想。
安心安全を得るために、仮に地下シェルターが必要だと考えるとすると、日本人はどれぐらいの人がクリアしているか。
政府要人とお金持ちのノアの方舟。
タイニーハウスの真逆。
色々だ。

頭の中を整理して何が大事か、あれこれ取捨選択する。
それを行動で現すのが断捨離らしい。
寝袋一つで十分な人もいるだろう。
人のことなどほっておいて、さて、自分は?


少し前に、趣味SNSで、わたしが人の行動の考察を書く度に、「人のことばかり見て、肝心のあなたは、どうなの?」といつも反論をコメントを付けてくる人がいた。
わたしとしては、「ほっといてちょーだい、あなたこそ、人のことなど構わずに自分の感性で突き進んでください」という気持ちだった。
コメントにはそうは書かなかったが。

自分の道を模索するための試行錯誤のあれこれのために、人の行動や方法を参考にしている段階、プロセスなのに、書いて脳内整理しているのに、いちいち、「人のことはほっておいたら?」と言われると、「そうじゃない、そういう、他人を評価したいわけではなく、自分の参考にするため、自分を定めるため、良くも悪くも道標にするために他人の行いを見ている」わたし。
いつもコメントされる度に思っていたが、やがてその人はコメントは付けなくなったものの、わたしのページに(訪れた)足跡は付いている。
気になるのだろう。悪い意味で。
嫌いなら無視していただくと良いのに。
わたしは、一生、モラトリアム、、、だから未完成。どこかが欠けている。

色々な人がそれぞれの場所で生活されているのを見ると、今の私には刺激になったり癒しになったりはするが、、、
もちろん素晴らしい、感銘を受け涙することも度々だが、悲しいかな単なる暇つぶしになっていると鈍さを感じることがある。どよ〜ん。
これは、わたしの感性がどんどん衰えている現れだと思う。
就寝中、夢でも、わたしの衰えを示すような内容の夢を観る。
まだわたしは自分の衰えを客観的に受け入れられず、意識下でも、無意識下でも、あがいているようだ。






母の日プレゼント

2023-05-15 | 日々のこと
牡蠣パーティは無事終了。
娘婿は帰り、次女母娘は、そのまま我が家にお泊まり。

次女と長女のLINE話合いの中に、
「おかあさん(わたし)は、今日は予定はないらしい」というくだりがあった。
わたしは、予定が土日ともにあったのだが、キャンセルして家族行事を優先した。
そうグループLINEに抵抗、申し開きしたら、長女に「忙しいアピールしている」と言われ、ちょっと気を悪くした。カチン。
たまたま土日にイベントが重なるので頑張って家族を優先しているのに、そう言われると心外である。
が、そう思われるような日々をこれまで重ねてきたこともある。
自業自得、因果応報。
ちびちゃん(孫)は、あっという間に大きくなってしまうので、小さいうちの一瞬、一瞬を大切にしたい。
孫が産まれていなければ、そうでもなかったか?
ではあるものの、孫はすぐにばあちゃんなど相手にしてくれなくなる。
孫にとって、ばあちゃんなんか、なんのメリットもないけれど、かわいそうに思って慈善やボランティアのつもりで接してくれることだろう。
わかっていること。
いいじゃないの、接してくれるだけでも。
仲違いして顔も見られないより。
理屈抜きに愛を注ぐ対象があるのは幸せだ。
そのうち、孫の顔を見ても名前が出てこなくなる。
よくよくそういう時間の流れは、姑や実母を見てきて嫌というほど身に染みて経験している。
ま、それが無常というもの。無情ではない。
これは、一種の仏教の教義でもある。
何ごとも執着してはいけない。
「今」という時間は存在しないらしいけれど、わたしはよく意味を理解していないので、深く追及しない。
今、この瞬間は存在していると思っているので。
仏教的には違うらしいが。
仏教家にも宗教家にも啓蒙家にもなるわけではないので、わからないことがあっても別に立ち止まらず、さらっと流す。
疑問のまま抱き続けていたら、また別の機会に少し理解出来るかも知れない。

それはそうと、母の日でプレゼントを貰った。
別にそんな世間のお仕着せ忖度ルールを守らなくてもいいのに、という母の日プレゼント反対派だが、実際に貰うと嬉しい。
気持ちが嬉しい。
息子からは電子花束ギフト。
スマホの購入手続き済み画面を見せて、お店でリアルな花に替えるもの。
金額もバッチリわかるところが、面白い。
金額より少ないお花を選んでもお釣りは出なくて、価格オーバーしたら足りない金額は足すシステム。
近所に取り扱い店舗が1店しかなく、その店の口コミ評判がまた悪いこと。
まあよい。
5ヶ月先の期限日までに、お花をゲットして期限切れにならないようにしなければ。
長女からは、昨夜の牡蠣フライに不足していたサラダ油(1本)と、回転寿司、ご招待。
次女婿は、きのこチキン・グラタン、ネギお好み焼き、タルタルソースを自宅で作って持ってきてくれた。
グラタン、お好み焼きは、タネを準備して我が家で焼く。

それにしても、母の日、回転寿司屋さんの激混みなこと。
コロナも収まりつつあり、飲食店に蘇り感が濃厚、活気がある。
母の日も悪くない。

ダメ押し、最後に別の1通LINEが、深夜、息子から来た。
「ババの日、おめでとう」
せっかく花束で喜んだのに、何、これ?
息子のセンスには時折、着いていけない。

蛇足。
長女に電子花束プレゼントを回転寿司店で待ち時間に見せたら、「LINE、友だちに招待したら?」との進言。
で、そう言えばLINE友だちにしてなかったと帰宅後、招待に操作した。
それでかなあ??ババ追加LINE。