「思ひ出ちょろちょろ」という、三年ぐらい?前の、自分のブログ記事を読んだ。
懐かしい。
オチは、時間切れのようで、大いにイマイチであったが。
育った田舎の光景が蘇る。
幼い頃は、自然そのままの田舎で暮らした。
田舎の野山を駆け巡り、川で遊び、祖母の(文字通り)手作り食材を食べて大きくなった。
味噌、梅干し、お餅、ハンドメイド。
食卓に出る野菜は全て自家栽培。
昔の人は働き者だ。
明治の女性は、芯が強かった。
無口な祖母とは、あまり話さなかった。
彼女は静かに生き、静かに生涯を閉じた。
半世紀以上前、田舎の家。
ブログにも書いた。
日本の春夏秋冬。
エアコンもない。
打ち水で涼を呼ぶ。
夏の設え、冬の設え。
季節によって、家の中を模様替えする。
襖や障子を夏用建具に入れ替え、夏の風が夏用のれんを揺らす。
井戸にスイカを冷やす、
冬には火鉢、炭をいこす、薪を焚べる、、、、
家畜や草花、田んぼ、池、小川、山、原っぱ、丘、
蚕を飼っている家があり、よく見に行った。
蚕が桑の葉っぱをむしゃむしゃ食べる様子が面白く、ずっと見ていた。
子供部屋には、ピアノと、真っ白い綿カバーがかけられたソファ。
ちなみに、洋館ではない。
大正時代に建てられた築100年ぐらいの日本家屋。
私が生まれてからでも、大規模増改築を2回している。
子供部屋の窓越しに見える小さな庭と、畑。その向こうには小川。
いつも窓から見ていた。
裏門を出た右手側に鶏小屋があった。
毎日、砕いた貝殻を餌としてあげていた。
コココ、と小さな嘴で餌を突く鶏たち。
卵も毎日、生んでいた。
敷地内には、整えられた日本庭園と、ミニミニサイズの人工池や、イチジクや木苺、野生の木々が生い茂る自然なガーデンがあった。
あとは、畑。
じゃがいも、ほうれん草、玉ねぎ、人参、茄子、トマト、スイカ、、、色々。
祖母が野菜を作っていた。今で言うところの家庭菜園である。
当時としては、食べるためにつくる野菜であって、趣味で作るものではない。
子供のわたしは、来る日も来る日も野菜ばかりで、うんざりしていた。
しかし、その食生活のおかげで、元気な身体に育ったようにも思う。
祖母には感謝である。
畑や自然の庭は、禽舎やその他の小屋と統廃合され、わたしが中学生の頃、ひとつの日本庭園になり、生まれ変わった。
時代は移り変わり、今はその庭の手入れや維持が、次世代の負担となっている。
良い意味でも、良くない意味でも、レガシー(遺産)である。
懐かしい。
オチは、時間切れのようで、大いにイマイチであったが。
育った田舎の光景が蘇る。
幼い頃は、自然そのままの田舎で暮らした。
田舎の野山を駆け巡り、川で遊び、祖母の(文字通り)手作り食材を食べて大きくなった。
味噌、梅干し、お餅、ハンドメイド。
食卓に出る野菜は全て自家栽培。
昔の人は働き者だ。
明治の女性は、芯が強かった。
無口な祖母とは、あまり話さなかった。
彼女は静かに生き、静かに生涯を閉じた。
半世紀以上前、田舎の家。
ブログにも書いた。
日本の春夏秋冬。
エアコンもない。
打ち水で涼を呼ぶ。
夏の設え、冬の設え。
季節によって、家の中を模様替えする。
襖や障子を夏用建具に入れ替え、夏の風が夏用のれんを揺らす。
井戸にスイカを冷やす、
冬には火鉢、炭をいこす、薪を焚べる、、、、
家畜や草花、田んぼ、池、小川、山、原っぱ、丘、
蚕を飼っている家があり、よく見に行った。
蚕が桑の葉っぱをむしゃむしゃ食べる様子が面白く、ずっと見ていた。
子供部屋には、ピアノと、真っ白い綿カバーがかけられたソファ。
ちなみに、洋館ではない。
大正時代に建てられた築100年ぐらいの日本家屋。
私が生まれてからでも、大規模増改築を2回している。
子供部屋の窓越しに見える小さな庭と、畑。その向こうには小川。
いつも窓から見ていた。
裏門を出た右手側に鶏小屋があった。
毎日、砕いた貝殻を餌としてあげていた。
コココ、と小さな嘴で餌を突く鶏たち。
卵も毎日、生んでいた。
敷地内には、整えられた日本庭園と、ミニミニサイズの人工池や、イチジクや木苺、野生の木々が生い茂る自然なガーデンがあった。
あとは、畑。
じゃがいも、ほうれん草、玉ねぎ、人参、茄子、トマト、スイカ、、、色々。
祖母が野菜を作っていた。今で言うところの家庭菜園である。
当時としては、食べるためにつくる野菜であって、趣味で作るものではない。
子供のわたしは、来る日も来る日も野菜ばかりで、うんざりしていた。
しかし、その食生活のおかげで、元気な身体に育ったようにも思う。
祖母には感謝である。
畑や自然の庭は、禽舎やその他の小屋と統廃合され、わたしが中学生の頃、ひとつの日本庭園になり、生まれ変わった。
時代は移り変わり、今はその庭の手入れや維持が、次世代の負担となっている。
良い意味でも、良くない意味でも、レガシー(遺産)である。