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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

生きがい

2016-11-05 | 人生
生きがい、健康、お金。
人生を輝かせるための三大要素。

人(家族、仲間)、健康、お金、という人もいる。
わたしは、ひとり遊びが好きだから、仲間は居なくても構わないので(家族は別枠)、やはり、「生きがい」重視。
しかし、老齢になり、自立できなくなると、「生きがい」の代わりに、「人」が必須になる。
お付き合いのない人や家族のいない人は、たちまちに困る。
その頃には、健康も害していることだろう。

お金=人、サポート、介護
老年になり、健康がなくなると、生きがいもなくなる。
お金で、自分を支えてもらう。
ではお金がないと?
公共福祉や保険医療に身を委ねるか、さっさとあの世に行く。
あの世に行けず、お金も健康もないと?

この時点では、お金があっても、健康も生きがいもないから、さっさと一日も早く、あの世に行きたいだろう。

健康でも、お金も生きがいもない人は?
若い人にもいる。
こころの健康を失い、深刻な社会問題にもなっている。

生きがいがあっても、お金も健康もなければ?
こういうケースは稀なのでは?
しかし、これが理想だ。
が、現実的には空論では?

生きがい>健康>お金

そこで、ふと。
日本では、健康とお金をベースに、生きがいが成り立つのでは?
健康とお金がなく、生きがいのある人は、宗教家かカリスマ教祖様か。
しかし、カリスマ教祖様は、私腹を肥やして美女をはべらせている安直イメージがあり、うさんくさい。
一般人で、生涯の生きがいとなる研究に没頭するにしても、研究費が必要だろう。
が、そういう社会貢献や、社会に開かれていない類の、埋もれた自分だけの研究をしている人もいる。
頭とペンとノートだけで、お金も施設もいらない。
わたしには、出来そうもないが、と同時に、羨ましいとも感じない。
各自、独自の道を行けばよい。

だが、そういう人も、健康を害すると研究もできない。
気力がなくなる。
生きがいの喪失である。
生きているだけの人になる。

「生きがい」とは、生きている意味。
「生きる」とは、この世を去る瞬間までの時間。
「生きる」にも、「生きることに意味がある、生きがいをもった『生きる』」、と、「生きることに意味を見出せない、生きているだけの『生きる』」がある。
後者の「生きる」と、「この世を去る」の間の待ち時間が、ややこしい。

誰しも長患いせず、この世を去りたい。
ぴんぴんころり。
それが無理なら、老衰。
しかし、100歳まで生きなければならない。
平均寿命は、早く亡くなった人との平均であり、長生きする人はあくまでも長生きする。
先は、長い。
(母や姑たちも、あと10年以上の余りある時間がある。
少子老齢化社会、国の財政はパンク寸前)

健康を維持するための、健康オタクも、ひとつの趣味、生きがいだ。
残念ながら、わたしにはその趣味が(今のところ)ない。
ある日、突然、病名を告げられ、卒倒するだろう。
そこからが、ホンモノの本当の人生が始まる。