蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

皆さん、サヨウナラはご一緒に

2010-09-21 | お付き合い
本日は、お彼岸につき、お墓参りと、今週末に行われる法事の準備に婚家に行った。

その真っ最中に、姻戚関係の人の訃報が入った。

またぁ~???

これで、3人目。
姻戚関係の人々なものだから、告別式だけでなく、お悔み、お通夜、初七日、四十九日法要、初盆・・・
色々、数珠つなぎで、ついてくる。

またまた振り回される。


お香典の準備、「おたくの時は、○○円いただいているけれど、いくらにする?」
あちこちの親戚に電話で聞きまわる義母。

告別式はまだ先だが、電話で注文を受け、
私は6軒分ぐらい、立て替えたお香典を預かって帰ってきた。

先物取引か、場外馬券場のよう。


皆さん、この夏、あまりにも暑いので、御親戚、ごいっしょに、旅立たれたのか?
遺された親戚は、行事目白押しで、暑いなか、顎を出している。
いつまで続く、この、義理のお付き合い。

暑いだけでは、済まない。
義母は、ひと夏に、大量、大出費で、ぐうの音も出ない。


姻戚関係といっても、めちゃくちゃ遠いんだけれど。
すでに亡くなって長い年月が経つ義父の、父の、父の、兄弟の、・・・子孫。
姓は同じでも、時代の隔たりが歴然とあり、遠すぎる。
明治時代だか江戸時代だか知らないけれど、なんでそんな遠い昔の
日本史・勉強オタクみたいな
そんな頃の繋がりを大事にするのか、よく、わからない。

固く、強く、一族の絆だか歴史だか、なんだかを信じておられるようだが、
その価値観、陸の孤島のように、限られた区域のみに、通じるだけ?
第一、本当にそんな固い絆なのか?
過去の遺物、幻想なのでは?
浦島太郎になっているのでは?


今、私が住んでいる地には、引っ越してきてもう、22年になるが、
未だ、両隣やらお向いさんの家族構成やら、ご老親の死去やら、
結婚やら、離婚やら、出産やら、ほとんど、よく知らない。
なんだか、最近、子供の声がよくするな~、ぐらいのかんじだ。
(どうやら、お嫁さんが来て、お子さんが次々生まれた家や、
娘さん一家がご実家にUターン、マスオさん一家誕生やら)

別に付き合いをしなければいけないものでもない、自由な気風だ。


どっちがよくて、どっちが悪い、でもない。

都会のあまりの人間関係の希薄さに、最近、ご近所づきあいが、見直されている面もあるが、
下町や田舎では、お付き合いの密度が濃くて、大変だろう(と、私は感じる)。
でも、助け合いが必要な地域では、相互にプラス効果を発揮しているようだ。


私の住んでいる地の人々は、最近は、お葬式を執り行っても、町内会には知らせず、
葬儀を近親者のみで行ったあと、事後報告、というケースが増えている。
町内会長とか、そういった人は、当然、出席しない。
親密な近親者のみで、遠方から遠縁の親戚も来ないのだろうと想像する。


それは、それ。これは、これ。
私は、またまた、お葬式に列席することになるわけだが
本当に、この価値観の違いに、
高層タワーマンションの最上階で地震に遭ったような、
大きな振れを感じる。
ぶわーーん、ぶわーーん、フロアーの上を端から端まで、右へ滑り、左へ滑り・・・。

田舎と、町。
伝統と、合理化。
こうも違うものなのだ、と感心する。



人気ブログランキング
ブログ村 自分らしさ