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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

泣かれた朝

2022-10-01 | 子育て
秋晴れ。

孫、小学生男子児童(2年生と4年生)、2人がやって来た。
日によっては、親も下の女児きょうだいたちも来ず、男児2人だけのこともある。
親の仕事の関係でスケジュールが刻まれている。

なかなか来ないと、ひょっとして今日は来ないのかな?と思ったりする。
GPS機能搭載、手のひらサイズの携帯用の子供見守りツールを下の男児(弟)Kは親に持たされている。
学校からの行き帰りなど、移動中もどこにいるのかわかるようになっている。
帰宅が遅いとまだ学校にいるのかチェックできる。
昨日は、GPSでは家に到着したものの、家から移動しない。
1時間近く経って、兄ちゃんYと首を揃えて我が家に現れた。

ああ、来てくれたのね。
大歓迎!!となる。
来たら来たでうるさいのだけれど。

・・・・・
シルバーウィークの旅行で、わたしは男児たちと同室に部屋を割り振られた。
男児ジジババチームである。
女性はわたしのみ。
その一方で、女児保育所組はパパママチームへ。
パパママチームは、男性はパパのみ。
男女比率が偏っているが、お互い、性別枠を通り越した年齢。
問題なし。
それはよいのだが、男児たちは寝相が悪く、安眠妨害甚だしい。
まあそれはそれとして。
2日目はさらに、ジジババ男児チームは分割され、ジジ&下男児K、ババ&上男児Yが同室になった。
この4人は大人1人に子供1人、お互い好きなように組み合わせてオッケーということだったが、早いもの勝ち、リクエスト制、空気を読む、強硬一方的、、、なんでも良かった。
さあ、誰が誰を取る?睨み合いが続いた。
相思相愛もあり得るが、どっちも嫌、なんてのも大いにあり得る。
片思いや、人気集中や、余りモノ売れ残りになることも想定内。
さあどうする?誰にする?
遠慮、思惑、気遣い、忖度が渦巻く静かな時間。
穏やかな睨み合いの後、自然な流れで(主にわたしの意向)、組み合わせは決まった。
別にトラブルも混乱も、後のクレームも(さほど)なかった。
ジジは下の男児K、ババは上の男児Yになった。
めでたし、めでたし。
わたし以外に要望(リクエスト)を持つ人物はいなかったので、すんなり行った。

なぜわたしが上男児Yを選んだか。
他でもない、、、下男児Kは、強烈に寝相が悪いと聞いていたからだ。
ダブルベッドなので、寝相は重要な要因だ。
が、蓋をあけてみると、まあなんと上男児Y(兄ちゃん)も寝相の悪いこと。
わたしは蹴られまくり1時間置きに目が覚めた。
子供って、こんなに寝相が悪いものなんだ、、、一緒に寝ないから、すっかり忘れていた。
・・・・・

やきもきしていたが、元気よく現れた2人。
GPSによると、下男児Kは自宅に帰って1時間後に、うちに来た。
後から下校して帰ってくる兄ちゃんYを待っていたらしい。

2人の元気な顔を見ると、ホッとした。
孫たちは自分の家に居るほうが快適なのではないか、ばあちゃんちに来たくないのでは?
と、必要以上に安堵したには理由がある。

旅行のホテルでの朝、5時から起きて「一緒に遊ぼう」と、親の別部屋に行ってトランプを持ってきて準備していた下男児Kの要求をむげに断ったことをわたしは気にしていた。
あの時は同室の3人(ジジババ、上男児Y)全員が皆んな用事(ジジババ)やTVを見たかった(上男児Y)ため、下男児Kのリクエストを断った。
しつこく、遊ぼうよー、と下男児Kはアピールしていたが、皆んなにお断りスルーされ、しくしく泣き出した。
泣いてもなだめるわけじゃなし、トランプに付き合うわけじゃなし、3人ともそれまでの自分の行動を黙々と続けた。
「ごめん、これ今やらないといけないから遊べないのよ」とはわたしは言ったが、下男児Kは、しくしく泣くばかり。
遊べないものは遊べない。
「ひとりでトランプしろ」と上男児Yに言われ、三角座りして下男児Kは膝をかかえていた。
もう小学2年にもなって、いくらなんでもそんな自分の思いが達成できないからって、めそめそしているのには、可哀想でもあり、また、でもなあ、、、と、わたしは自分のことを優先するほうが大事と強行した。
とは言っても、自分の用事なんて仕事でも緊急事態でもなんでもない自由度の高いお遊びなのだが。

後でママに、この、めそめそ事件を報告すると意外な一言が返ってきた。
「Kは、大人は子供の要望を聞いてくれなくてもいいんだ、無視してもいいんだ、と学んだんじゃない?」
無視した我々が悪いかのような発言にわたしはいささか驚いた。
朝5時から旅先のホテルで子供のトランプに付き合わなければ非難されるのか?
何もすることがないのに、とか、気が進まないならいざ知らず、用事があるという歴然とした理由があるにもかかわらず。(が、たいした用事ではないところが堂々と胸を張れないところ)
単なるトランプではあるが、自責の念を持たなければならないのか、と、わたしの問題意識として脳内に引っかかっていた。

と、長々書いた。
そんなこんなで、そろそろYK兄弟が来る時間になっても来ないと、先日の旅行が頭に浮かんだ。
そういう事情があり、トランプ事件の翌日に本人Kに直接「ごめんねー」と謝ったものの、Kは深くこころを痛めて、ばあちゃんなんか嫌いになっていたらどうしよう、と懸念した。

しかし、孫の言うことばっかり聞かないばあちゃんである。
自分のことも優先することもある。
折り合いをつける。
気に入られるために、なんでもハイハイと要望を飲んでいたらロクなことがない。
フロアは傷だらけ、椅子やソファはクタクタ、べたべたぼろぼろ、仕方ないといってももう10年が経ち、まだ下は2歳(さらに次女のところには、1歳児もいる)、ばあちゃんの生活を脅かす。
なので、そこは、お互い調整が大事なのだ。

あんなに尽くした孫なのに、、、と将来、寄り付かなくなって嘆くよりは、
あまり無理に頑張って尽くさない。
自分が出来る範囲でする。
やがて寄り付かなくなる日は必ず来るから、後悔しないように今の孫たちとの日常を楽しむ。
今、将来、さじ加減が必要だ。
自分や周りに、あまり期待しないこと。
評価を求めてはいけない。
楽しみながら、出来る範囲で奉仕すること。

自分が、自分の祖母を見て、
子供たちから、子供たちの祖母を見て、
孫たちからわたしを見て、
孫育ても順送りかなと。




おしめ

2022-08-28 | 子育て
小学生男児孫チーム。
保育所女児孫チーム。
今月、2歳になったばかりの1番下孫は、口はよく回る、口語、文法バッチリ。
だが、下から2番目の(過去の)お姉ちゃん同様、おしめ。
あれだけ流暢に日本語が喋れるのに、なぜかトイレアウトプットは無言のまま、おしめの中に。
液体はどうってことなく紙おしめに吸収されるが、大きな個体はかなりの異物感を抱えたまま。
まあ2歳になったばかりだから、そんなものか。うーーん、、、

わたしの子供たちは全員冬生まれだったため、2歳前の夏にトレーニングパンツ着用で短期集中、1ヵ月で無事トレーニング終了した。
言語をしゃべっていたかどうか、忘れたが、室内は柵を外した動物園状態になっていた。

今の紙おしめは、一段と質が向上し、快適なため、おしめに溜まるということはないようだ。
あまり不快な自覚がないままに過ごせてしまう。
その点、トレーニングパンツは、吸収機能がないので、ジャジャ漏れ。
本人はその場で両足を開いたまま、棒立ち。
うわぁ〜んと泣いたかどうかは、覚えてない。
何か自分の身に異変が起こったことは自覚したはず。
そのまま何ごともなかったかのように前の動作を継続することはなく、自分に起きたことを身体で覚える。
じゃー。ジャー。あちこちで洪水。

これは、潔癖症の母、あるいは一流ナニーや保育士さんなら出来ないのでは?
わたしのような、チマチマいちいち丁寧に対応するのが限りなく面倒な、一気に一度にまとめてやってしまおう!という、超ものぐさにしか出来ないかも。
新築の家だとか、こだわりあるインテリアだとか、そういうのだと絶対に無理。
子育て専用の家、家具、全て。
優雅な大人の生活は子育て後、と決めていた。
というわけで、わりと3人とも、すんなり短時間で、その時期になるとおしめが取れた。
そもそも紙おしめは、赤ちゃんの時は使わなかった。
布おしめをせっせせっせと洗っては乾かし、洗っては乾かし、手はアカギレだらけだった。
それに、ややこしい手のかかる時期は動物園(自宅)からあまり出なかった。
近所のスーパーに買い物に行くぐらいで、公共機関の交通手段を使うことはなかった。
しーーっ!車内はお利口にしなさい、静かにしなさい、と叱るのが嫌だった。
子供はバタバタじっとしてないのが普通なのに、「じっとしていろ」などと拷問のようなことは出来ない。
その割に、子供たちも孫たちも大人しかった。
DNAか?

何しろ、幼稚園に行くまでの辛抱と、わたしはじっと耐え、ひたすら時を待った。
ワンオペで結構しんどかった。
そういう時代。
時代の中でも最後方を行っていた。
最先端の逆。
夫はさらにその後ろを行っていた。
大きな頑丈なギフトボックスの中に、何重にも敷かれたクッションに包まれ、さらに箱の上からはこれまた幾重にも過剰包装。
逆エコ。
転ぶ前に障害物は取り除き、さらに転んでも痛くないように敷物が敷かれていた。
夫はそういう育てられ方をしていた。
滅菌純正栽培なんだろう。

(※続く)

お嬢様

2022-05-06 | 子育て
今、ブログ村エッセイで、とんがったママがキラ星のごとく登場した。
このブログ、すごく面白い。
「VERY」(富裕層女子向けファッション雑誌)が仮想敵国だという表現、ウケまくった。
このブロガーさんと長女Mは、ほぼ同世代(長子の年齢が同じなため)だと思われる。
長女Mに仮想敵国表現の感想を伝えた。

長女Mは言った。
「わたしには、そもそもVERY的嗜好そのものがない。
だから、羨ましくもなく敵でもない」
なるほど。
納得。

子供の服について。
お下がりに対する認識。
長女Mには、高級なおかつセンスの良いお下がりをくれ続ける、中学時代からの友人たちがいる。
女児服。彩りいろいろ。
彼女たちのお下がりはとても趣味が良いと、わたしは思う。
さらに、長女Mは、子供(長男)の保育所時代のクラスメイトのママと仲良くなった。
いわゆるママ友。
彼女の子供は男児一人っ子で、服装の趣味がすこぶる良い。
これまたハイセンス、高品質。
長女Mの一番上の男児と同級生で同じ年齢のため、お下がりは、下の男児が着ることになる。
上の男児は、パパ方いとこからのお下がりが来て、服装特徴は本格スポーツ派。
中でもシューズにはこだわりがあり、0.5センチずつ違う、全く同じ型で色違いのものを取り揃えてある。
パパ方いとこは男児は1人で、オシャレ用?(お出かけ用?)の靴のため、傷みは少なく、孫たちが色違いを兄弟で履くと、カッコいい。

靴は色違いでも、スポーツ派お下がりの上の男児と、シティ派お下がりの下の男児、2人並ぶとテイストは違うが、それもまた良い味。
こう書くと親は何も買わないのか、と長女に怒られそうだが、必要必需品は買っているようだ。
(そう悪くないセンスだとわたしは思っている)

何しろ、長女Mの学生時代の友人グループからは高級品、保育所グループからは可愛いトレンド品が、次から次へと回ってくる。
同じ人がくれ続けると同じテイストになる。
2歳ぐらい上の同性の子供を持つ親たちと仲良しだと、ほとんど服には不自由しない。
それを次女Rがそのまま、どさっとお下がりのお下がりをもらっているが、ほぼ新品、あるいは新品のお下がりもある。

抱っこ紐、おんぶ紐も随分回ってきたのではないだろうか。
自分が買ったものも早々に人に回してしまい、妹Rに回す時は、別の人から回ってきた別の品になっていたりする。

孫たちの可愛い服を見るたびに、持つべきものは、趣味の良い友達だと、わたしはいつも思う。
それなりに、長女もネットワークを駆使するには、行事の役割遂行や到来物のお裾分けなど、日頃、動いていると思われる。
口を開けて待っているだけではないと想像する。
子供の成長も止まることがない。
人の動きも、絶えず動き続けていることだろう。

それにしても。
子供は着るもので変わる。
全く中味とかけ離れていても、お嬢様服を着ると、お嬢様に見えるから不思議なものだ。
しかも、友人から回ってきた服で。
そこのところが、とても面白い。
長女自身は、(大人)VERY派でもなく、ファミ○ア派でもなく、ミ○ハウス派でもない。
だが、今のところ、末子一歳女児は、上から下までミ○ハウス。(お下がり)
(4歳女児は、女の子らしい別ブランド「○曲?」)
流行っているの?
わたしの時代は、ミ○ハウスというと、あまりよいイメージはなかったけれど。
正統派ファミ○アが、姑世代にはウケが良かった。
時代は変わるものだ。



泣きたいのは、こっち

2021-09-19 | 子育て
昨日のブログに書いた、ギャン泣きベビーと少し遊んで、家をあとにした。
ギャン泣きちゃんは、今日はちょっとはマシ。
泣かない時は、いっときも止まることなく、手足をばたつかせていた。
のほほんとする瞬間がない。
たった生後2ヶ月でも個性があるようだ。
夜は寝ると全く起きない。
なんとオン、オフ、わかりやすいメリハリ。

それにしても、子育ては大変だ。
自分ながらよく3人も育てたものだ。
若いから出来たのだろう。
今なら、ギブアップ、中途リタイア。
子供を育てるより、自分を育ててやらないと、へなへなになっている。

赤ちゃんから子供に、子供から大人になる時期は、成長期。(思春期、含む)
大人から老いるまでは充実期。(子育て期、含む)
老いてからは、自分を終わらせる終末期。

子供を育てた後も、自分もまだ成長し、さらに充実しながらも、先は終末を視野に入れる。
視野には入れるものの、わたしは今は終末期ではないようだ。
ではあるが、子供を育てるエネルギーよりも、自分を持ち越す、維持するエネルギーのほうが大きくなってきそうだ。

自分が成長する時期は完全に終わったと感じる。
これ以上、伸びないので、負荷もかけられない。
負荷を乗り越えるどころか、負担となる。
なので、ギャン泣きベビーは、必ずしも世話しなくてもよい、というわたしの勝手な論理。
役に立たなくて悪いなあという、後ろめたい気持ちになる必要はない。
頑張れる人、頑張るのが好きな人、頑張るのが生き甲斐の人は頑張ればよい。
わたしのように、頑張るのが苦手な人は、自分を押し殺し、ねじ伏せてまで、頑張らなくてもよい。

次女が育児ノイローゼにでもなったなら、あるいは、なりそうなら、頑張って世話する。
が、今のところ、大丈夫そうなので、見守るだけにさせてほしい、、、。
頑張れないばあちゃんからの、お願いです。


ギャン泣き孫の子守、無理

2021-09-18 | 子育て
次女。一日中、子守。
よく鬱病にならないなあと思うぐらい、根を詰めている。
ずっとずっと世話をしている。
赤ん坊が眠る時も身体の上に載せていたり、抱っこしたままだったり。
(夜はしっかり朝まで寝るようだが)
この赤ん坊、悪魔の落とし子で、ギャン泣き、ギャンギャンギャン。
シグナル発信として普通に泣けば周りはわかるのに、すごい声で泣く。
一体、何事が起きたのだろう?大事件?大事故?大惨事?断末魔の叫び?というような声。
ギャアーーッ!

しかし、こんな迫力ある声を出せるのも能力の一つだろう。
充分、武器になる。
人を意のままに動かせるマインドコントロールだって出来る。
強力なツール。
ちょっと知らん顔、スルーするだけでギャンギャンギャンと力の限り泣かれるため、ご近所から虐待を疑われる可能性もある。

このギャンギャンギャンは、抱っこするとおさまる。
おさまらない時は、眠い時。こればかりはどうしようもない。
打つ手なし。
ひたすら泣き続ける。

眠い時と空腹時以外は、一応、抱っこさえすれば泣き止むという、非常にわかりやすい欲求をギャン泣きで表現する。
わかりやすいのではあるが、四六時中、抱っこしろ!という要望は無謀である。
ちなみに、わたしの子供たちは、大変大人しく、2歳になるまでは何の問題もなかったので、まだ首も座らない赤ん坊に手がかかる状態が想像できない。
次女が大変な目に遭っているのに気持ちをシェアできない、感情移入できないのは次女がかわいそうなので、理解しようと頑張ってみるのだが、、、。
赤ん坊は十人十色で、自分の子供がやたら大人しかったからといって、他の赤ん坊も大人しいものであると決めつけるのは良くない。
なので、孫はわたしの子供たちとはまた別のようで、何しろ手がかかる。
一日中、抱っこしている次女がかわいそうになる。
替われるものなら替わってあげたいのだが、あのギャーギャーギャン泣きは、わたしの脳波をMAX乱す。
た、す、け、てーーー!
こっちが、ギャーー!!となる。

なので、わたしの精神的被害が大きすぎて、替わってあげられない。
役に立たない、頼りにならない、ばあちゃんである。

もし、何か特別な事態にでもなればお手伝いや協力は惜しまないが、平時では避けた気持ちだ。

ということで、子守サポートはちゃんと出来ていない。
わたしはあまり無理をしない主義なので、出来ることしかしない。
自分が鬱病になってまで、人助けをしない。
期待されてないと思うが、落胆しないでね。
自分が潰れたら元も子もない。

眠いので、もう寝ます。


暑い暑い夏休みスタート

2021-07-21 | 子育て
「18:30お迎え行ける?」
長女からのLINE。
孫、下2人、保育所組のお迎え要請が突然あった。
行ける状況だったので、長女宅経由でベビーカーを持ち出し、あたふた保育所に向かった。
この(長女宅に置いている)ベビーカーは、携帯重視の小ぶりタイプで、前には3番目孫のお迎えの時に使っていた。
3番目孫は、このベビーカーを見ると自分が乗っていたその時の様子が瞬間的にフラッシュバックし、自分が乗ると主張する。
駄々をこねる。

前回の雨の降る日、「これは下の妹(1歳)用だからね」となだめてもギャン泣きして、家に帰らないと言い出された。
またその展開かとひやひやしたものの、今回はベビーカーを押したいと言う。
保育所からの帰り道は、坂道なので、彼女(3番目孫、4歳)の運転に任せるわけにはいかず、またまた一悶着。

どうにかこうにか長女宅にたどり着き、鍵を開けてみると、上2人の兄ちゃんたち(小学生チーム、小1と小3)は爆睡中。
なかなか起きない。
そうこうしていると、1番下(1歳)がお腹が空いて泣き出す。

食べさせるものはあるのかな?と、キョロキョロしたらバナナがあったので、やれやれ、、、ではあるが、他の子も、もう夕食の時間。
兄ちゃんたちは、起き出し、お腹が減ったという。
長女からは何の連絡もなし。
ピピピと炊飯器の音がした。
ご飯はタイマー予約されていたようだ。
ご飯だけは確保されたものの、オカズがない。連絡もない。
それより、わたしが突然、激しい空腹に見舞われた。(腹痛でないところが喜劇だが)
どこを探してもわたしが食べるものがない。
ぎゃーぎゃーわめく子どももさることながら、わたしも、ぺこぺこへろへろ。
それ以前に、家、めちゃくちゃ暑い。
よくこんな暑いところで居るなあ、と。
後から汗は引いたものの、汗がだくだく、ぽたぽた。
食材はないのかと、長女にLINEすると、冷凍庫から適当に出して使って、とのこと。

ハンバーグを出そうとすると、下から2番目の複雑なお年頃孫が、ハンバーグは嫌、チーズ入りフライがいい、と、うるさい。
それより、1歳児、ギャン泣き、本泣き。
バナナを食べさせながら、ハンバーグを用意し、野菜を電子レンジでチンして、、、
下から2番目には、「ママが良かった」と泣かれ、
上2人からはお腹減ったと急かされ、
1番下はバナナごときではおさまらず、ギャン泣きはさらに本格的に。

下から2番に、「ハンバーグ嫌、ばあちゃん嫌い、帰って」と言われ、
わたしは「ばあちゃんは1番下を連れて帰る!」とキレかかると、上2人に、「お腹減った、ばあちゃん帰らないで」とせがまれ、、、
ミルクを用意した1歳児は、すごい勢いでミルクを飲み干し、とても足りない、とギャン泣き更に続行継続。 

もう、何がなんだかわからなくなってくる。
お皿はどこ?
サランラップはどこ?
お箸はどこ?
1歳児、首ツッコミ体勢で、勢い余ってミルクこぼしたけど、タオルはどこ?
どこどこどこ?

人の家は、よくわからない。
電子レンジの使い方ひとつ取っても、やり方が違う。
同時、四人の四重奏がガンガン鳴り響く中、汗だく。
自分のお腹が減ったどころではなくなった。
娘からは相変わらず連絡はなし。
指示待ちは、許されないようで、自分で考えて自発的に動かなければならない。
うちも、じいちゃん、仕事から帰って来るんですけどーー。
じいちゃんにご飯の用意しないといけないんですけどーー。

なんやらかんやら、食後のオヤツタイムまで無事終了して、パパが、やっとこさ帰ってきて、20:30には、やれやれ、解放された。
ああ、しんど。
娘は、お迎え要請がばあちゃんオッケーだった時点で、少し遅くなるのではなく、思いっきり遅くに帰るつもりにしたようだ。
子どもたちはどうにか切り抜けたようなので、もう急ぐ必要もないと踏んだと見た。
確信犯。
パパ、ママ両方、お互いに相手がやってくれそうなので、自分はゆっくり帰宅。
両親のどちらか一人の相手ではなく、対応は、ばあちゃん!!だ。
まあいい。
そういう日もある。

いや、たまたまではない。
昨日は小学校は終業式。
今日から夏休み。
そう言えば、夏休みは週に2日間は、ばあちゃんちで預かるんだった。
考えただけで、暑苦しくなってきた。


仕事と子育ての両立

2021-07-18 | 子育て
娘たちの仕事関係のことを聞いているとアタマが痛くなった。
わたしには到底出来そうもない。
だからとらいって、子育てサポートは引き受けるから、仕事に全力投球してちょうだい、とは、言い切れないわたし。
LINEでのやり取りも、無難なものに落ち着く。
受け皿を用意しないで、どんどん飛躍させるのはいいが、跳び上がった後のフォローを誰がするのか。
昔の大黒柱システムならどうにかなっても、幼い子供をたくさん抱えての全力以上の仕事への取り組みには、応援したくても手が緩む。
娘婿も共働き、イクメンを全力でやってもフォローしきれないだろうから、結果的には親元にしわ寄せが行くとすると、、、。
どちらか一方が仕事を辞めて専業主婦(夫)にならざるをえないか、あるいは、子育てを諦めるか。
もう子供は既に存在するわけだから、産む前に計画すべきなのだろうけれど。
厳密に念入りに緻密に計画しても、その読み通りに行かないこともある。
ある程度、場当たり的な流れや勝負も必要になってきそうだ。

子育てか、仕事か。
身を裂かれる思いで仕事をしている人、子育てをしている人も大勢いるだろう。
そんな思いはしたくない、手枷足枷が嫌だ、と、子供を作らないとしたら、、、。
少子化は自己実現の成れの果てか。
何かを達成するために、何かを犠牲にする。
子育ての代わりに、介護というのもある。
が、介護はお金でどうにかなる。(例外もあるとしても)
しかし、子育てはお金の力を借りたとしても、お金だけだと、あきらかにマンパワーが不足。
次世代を担うまでのプロセスはかなり重要だ。

と、アタマではわかっていても、理想と現実はシーソーゲーム。
個人差もあるし、さじ加減も難しい。

と、死にものぐるいで必死になって子育てに専念したことが成功するとは限らない。
親が仕事と子育ての間で苦悩するぐらいのバランスが案外良いのかも。
とは言え、自由時間、プライベートタイムも確保したいし。
仕事オンリーの人は、寝ずに仕事するのか。
わたしの両親は高度成長期を支えるモーレツ(死語)世代だったので、ほぼ休みなく仕事だったが、その背中を見て育ったわたしが、こんなサボりなんだから、なんとも言えない。

仕事も家庭も子育ても、混じりに混じって人生、味が出るのではなかろうか。
応援はするが、わたしは自分の身体を削ってまで無理はしない主義。
無理をして自分の器を大きくする成長期は遠に過ぎた。
それで身体を壊したりすると、サポートする側からサポートされる側に転じ、娘たちに逆に迷惑をかける。
というか、(一緒に旅行したりすると)、余計なことはしないで自分のことは自分でしてね、と娘に釘を刺されている。
自分の能力を考え、出来る範囲内で協力する。
そこそこ、望みの第二志望ぐらいが叶えば御の字だ。


ちなみに、一番上孫。
家で電子ゲームをさせてもらえない。
小学校の同級生たちは、ゲームで遊んでいるが、話題に付いていけないようだ。
母親(長女)はTVに対しても厳しい。
うち(ばあちゃんち)に来たら、微動だに身動きもせず全身全霊でTV子ども番組を見ている。
あの集中力を勉強に活かせたら、それはそれは優秀な子供になるのだろうが、わたしの孫なので期待するほうがマヌケである。
が、退屈しのぎにダラダラ見ないところは、わたしは悪くないと思っている。

話は元に戻る。
娘の仕事も応援したいが、まあそこそこで手を打つのは、なにも負けたことではない。
多大な犠牲を払って手に入れたいことかどうかは、娘の胸に聞くしかない。



元教育ママゴン

2021-02-24 | 子育て
楽しいのは、どんな時?
わたしは、自分が楽しめる文章を書いて、何度も読み返してニヤニヤしている時が、愉快。
外から見ると、最高に不気味だろう。
究極の1人遊び。
自分で作って、自分で遊ぶ。
友達がいなくても平気。なんともない。
とか言いながら、寂しがりなんだけど。

姉は小学生の時、友達がいなくて、休み時間は図書館に籠っていた。
図書館中の本、全部を何周も何回も読んで、読む本がなくなっていたそうだ。

わたしは、、、と言えば、小学4年の頃に友達と家に集まり、GS(ザ・タイガースのファン)のレコードを聞いたりして、担任の先生に呼び出されて注意を受けた。
そういうのは、ダメなんだそうだ。
変なのー、先生、なに言ってんだあ?と思いつつ、まじめに素直に先生の指導に従った。
不良になるかも知れない芽は、早くから摘むのだろうか?
レコードで不良になったら、えらいことだけど。
ミュージシャンは不良の成れの果てなのか?

最近、髪の毛の色が茶色なのは、教育指導上、良くないから染めろ、と学校に言われ裁判を起こした女子生徒がいる。
髪の毛の色が天然か否か?が裁判の争点?
半世紀も前、わたしが高校の頃は公立校でも私服、私立でも私服の学校があった。制服でもオッケー。
経済的ゆとりのない家庭の生徒は、制服を着ていたそうだ。
それと、ダサい子。服を選ぶセンスが欠如しているため、制服。
あと、「ダサい」など価値観の範疇に存在しない、ダサいセンスの子も私服。
こっちは、貧富の差は関係なかった。
高校の時から私服だった子は、大学で一斉に皆んなが私服になると、すでにセンスが洗練されていて、ひとつアタマ、抜きん出ていた。
制服校出身の子は、初めての私服通学なので、最初は服選びに戸惑ったようだ。
だが、その後の歩みでまた変化する。

わたしは制服校で良かった。
私服は、なにかとめんどくさい。
学校に行くまでの時間を服装選びで煩わされるのが目に見えている。
こんな年齢になっても、行き先はスポーツ系でも、UNIQLOヘビーユーザーでも、悩むのだから。
(ただし、UNIQLOはアウターには着ない主義)

半世紀前の当時、私服の学校は問題があったか?
私服オッケーなのだから、髪が肩にかかると束ねろ、なんて校則も当然存在しない。
ガチガチに縛り付けるのが教育指導だとすると、自由な学園に転校させたい。
と言っても、今のわたしにはそんな年齢の子供はもういないが。
孫たちは公立校。その後はどうするのか知らない、関与しない。
わたしは教育ママゴンだったが、今の教育はまた違うようだ。
子供3人を全員、東大理3に入れた母親の本がベストセラーとして書店に平積みにされたものを目にした。
その類は昔からあり、現在、精神科医?として活躍されている人のお母さんも過去に書いていたような、、、。
今回、(表紙だけ)目にした本は子供3人とも同じ大学、同じ学部ではツマラナイかも?
偏ってないか?
と、捕らぬ狸の皮算用。
そんなこと言ってる暇があれば、週末に控える案件に向かって整理整頓、掃除でもすれば?と、自分に言われそう。

「自分のことだけしてね」と、身近な師(長女)に言われている。
これは、人の役に立とうとして失敗してかえって迷惑をかけるな、という意味。
器以上のことはするな、無理はするな、ということだろう。

「人のことはいいから、まず、自分のことは自分でしてね」
なかなか良い大人に成長してくれた。
乳幼児を含め4人も子供を抱える、猫の手も借りたい多重タスクの渦中の長女に諭されるなんて、、、ねえ、、、
期待されない身の軽さ。
でも、あちこち目移りして気が散って、自分のことぐらい、、、が、なかなか出来ないものである。

えこひいき

2020-07-15 | 子育て
「あなたは母親を大切にするのよ。
母親を愛しなさい」

わたしの長女は、彼女の幼い長男Aを抱っこしてそう語りかけていた。
彼はまだ乳児の時だったので、言葉の意味は通じていないと思う。
わたしは、おもしろいことを言って聞かせているなあと、興味深く見ていた。
わたしは、そんなことは子供には全く期待していなかった。
ただただ安全に事故のないよう、目の前の日課をこなしていくのに精一杯だったように思う。

その長男Aは今では小学2年生。
まあ母親にキツく怒られている。
みっちり管理されている。
わたしは、この孫Aが一番好きなのだが、長女に「おかあさんはAに甘すぎる」とお叱りを受ける。

いや、そうでもない。
母親がキツイからちょっとかわいそうになる部分もある。
それと、この孫A、「こんな大人、いるよなー」の典型のようで味がある。

トランプなどのゲームではズルをする。
(負けず嫌いの露見方法が悪い)
食べ物は1ミリでも大きい多い方をいち早く取る。
怖がり。
遊びの中で、誰がどう見ても弟Bに理不尽な要求を突きつける。
弟に口でダメなら手が出ることもある。

1歳7ヶ月年下の弟Bは、これまた不甲斐ない。
嫌なら意思を示せばいいのに、ビービー泣きわめくだけ。
目で訴えて大人に助けを求めてくる。

母親はこの弟Bが好きのようで、いつも庇っていたり、点数が甘い。
わたしの好みとは逆だ。
わたしは、この弟Bを見ているとイライラする。

反逆しろ!
叩き返せ!
踏み返せ!
頭突きしろ!

そう思うが、泣きわめくだけ。
身体もだんだん兄弟間でそれほど大きさも違わなくなってきているのだから、一方的に負けることはないと思うので、反逆してもよさそうなもの。
弟Bは優しいのだが、弱い。
しかも、へんに気難しい面があり、こじれると超めんどくさくて、わたしの神経に障る。

好き嫌いは相性なのだろうか。
だが、兄Aはあんな風だと外で友達と仲良く遊べないのではないかと心配する。
しかし、頭隠して尻隠さずの兄の悪事の数々は、知恵がなくて単純で、じつにおもしろい。
大人になると、内面は悪いヤツでもカモフラージュしたり作戦を立てたり、なんらかの策を練る。
だが今はまだ、そのままストレートに姑息な面が丸出しなところが、わたしの目には可愛く映る。
ただ、あのまま大人になって、「子供の時からそうだったよね」なんて言われかねない。
兄A=ねじれ曲がっていない、純真なワル。
弟B=ねじ曲がった、純粋な善人。
どっちもどっちか。
ちなみにわたしは、ねじ曲がったワル。
オーマイゴッド、、、

弟Bは成長して戦略で兄に勝って欲しい。
兄Aも成長して、負けたらそれを克服してほしい。
年齢が近い同性の兄弟は何かと目の上のタンコブなんだろうなあ、、、

これに気のキツイ、アタマがよく回る妹Cがいる。
これにさらにもう一人加わるとどうなるのか、、、

「お孫さん、可愛いでしょうねえ」
と言われるが、可愛いことには違いないが、ややこしい。
巻き込まれると頭から湯気が出る。
長女も時々、鬼のようになっているが、みんな喉元過ぎれば熱さ忘れる。
自分もそうだったように。
衝撃的なことや自分に都合のいいことしか覚えていない。

と、ここで、蛇足。
全く話の次元はころっと変わる。

認知症ケアはその点、報われないと感じる。
認知症の当人は、悪い感情しか残らないそうだ。
脳は正常に働くとは限らず、意のままに制御出来ない。
が、正常人は無意識でコントロールされているのだろう。
自分の記憶や感情も、客観的事実と照らし合わせて整合性をチェックすると、正確な時もあるし、メチャクチャな時もあり、あてにならない。
あんまり突っ込んで追求しても、意味があるような、ないような。
おヒマならどうぞ、というかんじか。

理屈や理詰めでは解決できないことがいっぱいある。
科学の力に頼り過ぎても、良いとは限らない。
何が何でも、、、なんてことは、徒労に終わることがある。
が、そういうことが好きな人は、一生、徒労を享受するのだろう。
それはそれで、その人にとっては満ち足りた一生だ。

で、またまた話が元に戻る。
うんざりされた方はお見捨てください。

孫Aは中学からは私立学校向けかなあと、なんとなくぼんやり思う。
孫Cは、公立学校かな、と。
孫Bは経過観察というところか。
色々条件もあり、選択肢はあるようで、ないようで、あるようで、、、

子供の教育は難しい。

何がなんでもイヤ

2020-07-08 | 子育て
昨夜未明から早朝にかけて、バケツの水を窓に何度も思いっきり叩きつけられるような暴れ雨。
怖くて睡眠不足になった。
もっと激しい豪雨による災害に見舞われた地はさぞかし恐怖だった事だろう。

さて、いきなり、話はコロっと変わり、、、

一生懸命にガムシャラに頑張って得た成果。
それには飛び上がらんばかりに狂喜する。
だが、見合う評価が伴わないと不平不満が生まれる。
やる気をなくす。

大概は、頑張る→成果→評価→頑張る→成果→評価→∞
時には、伸び悩むこともあり成果に陰りが出る。
スランプ。
また頑張って乗り越える。
継続は力なり、なんてことが言われる。
そうやって人は成長する(ようだ)。

わたしは、全然だ。
残量99パーセントを残したまま、ぐーたらしている。
この状態が小学2年孫Aに、そっくり。
彼の宿題をしない姿勢とまるで同じ。
あり余る時間を持ちながら、刻一刻と残り僅かになった宿題タイム持ち時間を無駄に費やしてしまっている。
最後の最後まで時間を使いきり、あらん限りのエネルギーを宿題をしないことに使い果たす。
ついに宿題をしないままにタイムアウトとなり、母親にしこたま怒られている。
重い罰則も与えられているが、泣いて喚いてあがき抵抗する。
ちょちょいのちょいと、彼の力量の1パーセントにも足りるか足りない程度のエネルギーで、その宿題はこなせる。
あの嫌がり方、抵抗は何なんだろう?
嫌なものは嫌!!テコでもしたくない!!というものか。
厄介な時期である。

誰にもそんな時期はあるのだろう。
息子にも、頭が痛い時があった。
孫Aと似たような年頃。
当時、息子はマヨネーズが大嫌いで大の苦手。
何が何でも食べない、食べられない。
実母は、好き嫌いの芽は幼いうちから摘まなければならないという信念、使命感を持ち、否応なく力づくで羽交い締め状態で、床に幼稚園児を引きずり回してまでも、嫌いなものを食べさせようとした。
あの母、毒親だ。
自分の子供たち(わたしたち)にだけ毒親ぶりを発揮すればよいものを孫にまで強制措置は及んだ。
わたしは、あっけにとられてポカンと見ていたのではなかろうか。
(洗脳DVの結果の無抵抗ではない)
よくまあ人の子供(=孫。しかも他人の血が混じっている)に、日頃育てているわけでもないのに、手を出し足を出し、何の権利があって、、、と。
動物園で檻の中の動物がケンカしているような光景か。
別に母を止めるわけでもなく、ただただ茫然としていた。
ああ、この母、、、オーマイゴッド。
こういう動物に育てられた狼少女のわたしは、理性のカケラもない反面教師を目の前に、自分の道を歩いたんだろう。
(多少、自虐脚色、入ってます)

嫌いなものでも食べなければいけない。
NHKテレビアニメ「忍たま乱太郎」に出てくる「食堂のオバチャン」の決め台詞「お残しは許しまへんでぇ〜」
あれそのものであるが、悪いことは言ってないと思う。
この方針。

ちなみに、話が途中で逸れるが孫Aは、何でもかんでも嫌いなものでも全て食べる。
かなり親の教育が行き届いているように思う。
食べない時は病気の時だけなので、体調管理のバロメーターになる。

と、それはさておき、、、
息子は(彼の祖母からの)虐待にも近い体罰を受けながらも、マヨネーズは断じて口にしない。
たぶん、マヨネーズを食べないことが許されないのではなく、マヨネーズがかかっていた食べ物を食べなかったから母は根性を叩き直そうとしたのではないかと想像する。
母は、言って聞かす理詰め説得タイプではなく、口より先に手が出るタイプ。
主張は悪くないが、方法が悪い。
母は考える葦ではない、直情型野蛮人そのものである。
(機会さえあれば噴き出す、いまだ癒されぬ傷を持ち続ける怨み節、、、)

息子はマヨネーズが大嫌いだったが、地域の子供会でイベントがあった時に、マヨネーズが入ったハンバーガーを食べる機会があった。
それを食べられなくて、さらに、店員さんに「マヨネーズ抜きにして下さい」と要望を言えず、にっちもさっちも行かなくなっていた。
わたしが関与しない事なのにピンチに陥るといつも「お母さんのせい!」と言ってありったけの不満をぶつけてくる。
ぼかぼか足で蹴ってくる。
家庭内暴力の小さな芽?
小学1年から2年ぐらい、ずっとややこしい時期だった。
反抗期なんだろう。
とても鬱陶しい時期で困っていた。
子育てでもっと苦労されているお母さんから見ると、取るに足らないようなレベルだと思うが。

その当時の息子の姿と孫Aが重なる。
心身の成長過程で自分ではコントロールできない何かに反抗しているのだろう。

パイプにモノが詰まったような状態で、水がジャーっと流れず、四苦八苦。
流れないのに更に続く圧力。
詰まったモノが溶けるか分解されるか、はたまたパイプが太くなるか、しばらくは水を流さないか、なんらかの変化が生じたら、また元のように流れるようになるのだろう。
そうでなければ、壊れてしまう。

誰にでも成長期には色々ある。
孫Aも宿題をまともにするには、1年ぐらいはかかるかと思う。
コロナ自粛で3ヶ月も学校が休みだったから、子供たちもストレスが溜まっていることだろう。

逆に息子は、勉強は何の抵抗も摩擦もなく素直にすんなりスラスラ行った。
人には人の、子供には子供の特性があるようだ。
脳の中身が少しイビツなのは当たり前。
ましてや、子供。
1年に10センチ以上背は伸び、目に見えて体は大きくなり、成長しているプロセスには、いろんなラグみたいなものがあるだろう。
無いほうが恐ろしい。

娘も娘婿も根気よく感情に左右されず子育てしているのを見ると、頭が下がる。
サジを投げて甘やかすほうが、ずっと楽だ。
いやはや、負うた子に教えられ、である。