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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

スリリング!!シルク・ド・ソレイユ「KOOZA」

2011-09-04 | お出かけ

台風が危ぶまれていた中、中ノ島ビッグトップ(大阪市)へ。
どうにか、大阪は台風はおとなしかったようで、ほっとした。

シルク・ド・ソレイユのKOOZAを見た。

 

今年5月にも、マカオで宿泊した、ベネチアン・ホテルで、シルクドソレイユのショーが行われていたが、
演目は、前に見たものより新作だったが、KOOZAではなかった。
(でも、マカオでは見なかった)

2年前、同じ中ノ島ビッグトップで見たのは、「コルテオ」。
(あの時のブログを今、読み返してみると、赤面・・・)
常に、センセーショナルで、進化しなくてはいけない宿命を持つのは、大変だが、
演出や技術、芸に、幅の広さを感じさせる。
スタッフや劇団員の、一致団結・協力なくしては成立しない。
休憩時間をはさみ、長時間にもかかわらず、構成も、曲やダンス、コントをまじえ、飽きさせない。

息をのむシーンもあり、思わず手に汗を握った。
客席からは、「おおおおっ」っと、
一人一人の大きな歓声が、まとまった声になり、テントに熱気、緊張感が充満する。
一番のクライママックス(今回、はじめて見た芸)で、バランスを崩しそうになって、ツルリ、
ドキリ。冷や汗。
アブナイっっ。
団員さんたちは、保険に入れるのだろうか・・・危険率が高すぎる・・・
なんて、はらはら、アタマのなかでは、保険の計算、ぱちぱち。
手が痛くなるほど、拍手してしまった。

お客さんを舞台に特別出演させるものが、いくつもあって、サプライズ、
シナリオが読めず、意外性が楽しめた。

客席は、満員。
この1回のショーで、売り上げはいくらだろう・・・と、大入り満員の席を見て、またまた暗算。
ざっとおおまかに計算して、4千万円ぐらいだろうか??
1日2回で、8千万円。今期、通算70回で、ざっと25億円前後???(てきとー)
ダイハツさん、引き続き、強力なスポンサーとして、がぜん張り切っているが、おおきな資本が動くんだろう。

小さな子供が、うしろの席で
「あの人、なにしてるの?」と言っていたが、わたしはコケそうになった。
子供には、意味がわからないってこともあるだろう。
(大人だって意味わからない人もいるし。
意味なんか、いいの、いいの。こころで感じたらいいの)
客席の7分の5が、S席で、あんなチビすけでも、
土日祝日料金は9000円だから、たいしたものだ。(親御さん、ごくろうさま)
ちなみに大人は、13000円。(平日は、12000円)

この公演料は、高いか、安いか? この金額を出す価値があるか?
わたしは、見合っていると感じたが。

生バンドと、生シンガーの演奏が、臨場感をさらに盛り上げてくれた。
ビートの利いたリズムを体感すると、踊りだしそうになる。
ああ、わたしはダンスをしていてよかったな~って、思った。
カラダで楽しめるから。
(わたし、ラテン系ダンス、大好きなんです。ヘタですけど)

帰りは、難波に寄り、
小龍包が美味しいと評判の、鼎泰豊(テイタイフォン )で、台湾点心を味わった。


↓このギョーザ、パリパリ部分が、お皿からはみ出て、ほんと、ぱりぱり。


有名店のようで、広い店内は満員だった。(空席待ちの人たちもいた)


ということで・・・
昨夜は、スリリングで、ガンガンくる、迫力ある舞台が体感できた。
エンターテイメントって、いいなあ。
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舞台を観ながら、
パリでは、せっかくオベラ・ガルニエの近くで滞在するんなら、
そこで現地の生オペラを観るのもいいかも、
と、鑑賞中に空想の世界がまたまた膨らんだ。

 

 


OSAKAで、人生を語る。

2011-08-27 | お出かけ

大阪市・御堂筋を歩いていたら、本町駅手前の北御堂で、
遠くから音が聞こえていて、近くになるほどボリュームは大きくなる。
はじめは、左翼イベントか、街頭デモか、演説か、と、想像していた。
だんだん、音が、ひとつの流れに統合され、
やがて、耳に馴れ親しんだ
「ええ、え、えっ、え~、え~え、みなぁさまぁぁ、おなぁじぃみぃのおぉぉー」
と河内音頭が威勢よく聞こえてきた。

すると、おなじみの見覚えのある顔、菊水丸さんが、
やぐらの上で、歌い、まわりで踊る人あり、見学する人あり。
いわゆる、盆踊りですね。

大阪市内では、ごくフツーに盆踊りをしている光景に出くわすと、
いきなり、本家本元の菊水丸さんが歌ってたりするんだ~
と、イナカモンのわたしは、うれしくなった。
たまたま通りすがりだったのだが、昨日と、今日の2日間のイベントたっだようだ。

(パリでは、イナカモンのわたしは、なにを見ても、
猫を見ても、信号を見ても、
わあ~、パリ!! パリは、どこか違う!! これが、日常!! 日常なのねっ
なんて、興奮してそう。行ってもいないのに空想。)

で、ケータイで写真を撮ったが、暗いので(ケータイだけのせいでもないけれど)
こんなに、ブレブレになった。

よく考えれば、昨夜は、ハナ金だった。
そんなコトバも忘れるぐらい、最近は、世の中、沈滞ムード。

ハナ金モードで、ミナミのウォーター・フロントに行った。
四つ橋線なんば駅(JR難波駅)を上がって、ちょい。
屋上庭園みたいな、グリーンのプロムナードを歩き、
(恋人たちが、いっぱい。いいなぁ~)
向こうに見える、ライトがゆらゆらのカフェか、レストランは、
香港のビル群を借景にした海上レストランか?(→違うっ)

こてこてミナミ、ディープ・ミナミとはまた異なる、
趣のある、別の顔のミナミだった。

湊町船着場から、船が発着していて、
落語家と行く「なにわ探検クルーズ」とやらも行われているようだ。

都会の中で、ほんの一瞬でワープできる、安らぎスポット。
(いまさら紹介するまでもなく、きっと、ずいぶん前からあるんだろうけれど)
夜の静かな川を見ながら、人生を語るのもいいかも。

たまには、大人の息抜きに、ちょっと、街に出てみると、
いまさら、OSAKAなんて、と思いきや、意外な発見もあるようだ。

 

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田舎もん、きょろきょろ。右往左往。

2011-06-12 | お出かけ

大阪駅周辺は、ごろりと変わった。

「JR大阪三越伊勢丹」のお目見え。
さらに、「ルクア」。 
映画館も備わった、大阪ステーションシティ。
注がれた資本も大きいだろうなあ・・・

大丸梅田店は、体裁よく大阪ステーションシティに入れてもらっているようだが、
競合して困るんじゃあ・・・?

大阪駅は、いつもわたしは足早に通り過ぎるので、グランド・オープンしても、なかなか行けない。
先日は、ルクアにも行ってみたが、深追いして探し回る時間も体力も余裕がなかったので、
よく知る旧友のような、大丸梅田店でちゃっちゃと買ってしまった。
いくら立派な新しい施設がグランド・オープンしても、わたしみたいな客もいるので、利用の仕方もいろいろ。

既存の阪急阪神百貨店、どうする?

阪急三番街、17番街・・・ああ懐かしい響き。
とりあえず、あることはある? 
ターミナルに立地していて、電鉄会社が運営しているんだから、
大きく手を入れることはなくても、つぶれはしないだろう。

古いところでは、地下街 「ホワイティうめだ」は?

東梅田あたりにある、このホワイティうめだ、以前は、仕事の関係で週に何度も通っていた。
訪問先(クライアント)が引越して、ここ数年はご無沙汰。
先週、所要で行ってみると、まあ、お店がころころ変わっている。
ハーゲンダッツや、有名チェーン店なども、なくなっていた。
(喫茶店ミツヤは、健在。立地が命?)

洋服に関しては、店舗は、ごろっと入れ替わっているものの、おばちゃん専科のお店がたくさんある。
なかでも、おばちゃんが、どっと集まっていたのが、1枚500円~のお店。
わたしも、甘いものに群がるアリのごとく、吸い寄せられていった。

そこで、ホームウエア、エプロンがわりに最適と、デニムのストライプ、カジュアル・ジャンパースカートを見つけ
500円を握りしめ、人をかき分け、かき分け、レジに突進。
レジのおねえさんが商品を見て、「これ5Lですけど、いいんですか?」
と、念を押されたが、そんなこと、気づかなかった、わたし。

「5Lって大きいんですか?」と、たずねた。
「はい、Lが5つですから。普通のLとは違って、5つというと、かなり大きいです。
お客様には、ガサガサ・ブカブカでしょう」
そうアドバイスを受け、泣く泣くあきらめた。

500円をそっとしまい、また、吊らされているハンガーの出し物を探しまくる。
なかば、ヤケになって頑張って、店のなかを何周も回ったが、これというものはなかった。

最近、わたしは「断捨離」というキーワード・サインが、アタマの隅っこにチラチラ点滅するようになった。
そのサインが、へんにジャマして、ショッピング熱にブレーキをかける。
「ひとつ買えば、ひとつ、家にあるモノを捨てないといけない!!!」
そう考えると、掘り出しモノを探す手も鈍る。

その店にいた、あるおばさんは、買った商品の入った袋を一緒に来ていたお友達らしき人に見せ、
「ほら、これ!! 300円!!買っちゃった!!」
と、ビッグスマイル。

おばちゃんは、みなさん、元気です。


打倒、断捨離!!
少しぐらい、いいですよね?!
コーヒー・1杯分のストレス解消。
(わたしは、それさえも出来なかったけれど・・・)


わたしの家の近所の大型商業施設のショッピングゾーンは、
この春、おばちゃん対象の店が軒並み、5~6店、ごっそりと閉店した。
残っているのは、1店舗のみ。
しかも、その店は、おばちゃん店の中では、高級路線。

わたしのお気に入りのお店も、撤退組のひとつ。
がっかり。
ここ5年のわたしの洋服の70%近くは、そこで買ったものだったのに。
(ちなみに、実母には不評の、わたしの洋服選び。母とはセンスが合わないようです)

で、その代わりに、若い人向けのお店が入った。
すでに、もう、他にも若年層向け既存店がいっぱい入っているにもかかわらず。


そこへもってきて、大阪市・阿倍野にある、これまた歩き疲れそうな、
でっかい、でっかい複合商業集合体「あべのキューズモール」がオープンした。
このモール型ショッピングセンターは、大阪府下一のスケールだそうな。

前は、古い商店街だったのだが、地主との地権のからみなどがあり、なかなか開発できなかったところ。
以前に、そごうが入って開発の動きがあったが、断念したままとなっていた。
今回はイトーヨーカドーが核となり、ミドリデンキ、ABCクラフト、東急ハンズなどが入っている。
ユニクロは、あほみたいに、大きい。
(東急ハンズは、道一本隔てたところの近鉄系の集合商業施設「アンド」に、ロフトが入ってるのに、あえて?
東急VS近鉄のバトル構図)

10代~20代前半向けの女の子ファッションの店で、あふれかえっている。
あんなにたくさん、似たようなお店が、佃煮のようにたんまり重なって出店していて、やっていけるのかしらん?
と、姥心。

土曜日には、子連れの若いファミリー層が多かった。

おばさんにとっては、人がわんさかのゲームセンターもまったく魅力はなく、観察のみ。
最新プリクラには行列ができていた。
わたしも、加工して、目を2倍にしようか?? いや3倍に??

お年寄りは、ほとんど見かけなかったが、館内から外に出ると、※路面電車のある、昔の風情。(※阪堺電車)
何事もなかったように、おばちゃん、おっちゃんが、チャリンコに乗ったりして、日常生活を繰り広げている。
なんか、タイムマシーンで行ったり来たりしているみたいな気がした。


天王寺駅直結の立地に、近鉄百貨店を含む、西日本一の高層ビルが建設中。
天王寺は、梅田、なんば、とはまた別に、独自の個性で、元気なんだけど、活性化の動きは十分感じるんだけど、
大丈夫なんだろうかと、これまた老婆心。

店舗があんなに増えても、客の総数、絶対数は同じなので、引っ張り合いの、奪い合い。
オープン当初は、話題性もあり賑わっていても、その後は?
あんなに巨大化すると、小回りは利かないだろうし。

そんなことを考えてると、何事も、どんな事業も、スタートしない。
事業者の見切り発車? 英断? 勇気がいる、責任ある判断だ。
日本の経済的停滞に加え、予測や判断とはまったく別なところで、
自然災害や、大事故が起きたり、想定範囲外のことが突然起こる可能性がある。

そういう避けられないリスクはあるが、前に進んでいかないと、どうにもならない。

西日本。
プリンセス トヨトミ じゃないけれど、大阪国、独立?
都がふたつあっても、いいかな、なんて思った。

 

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下から支える、おばちゃんパワー。これも、なかなかのものです。

 

 


Kobeの夜

2010-11-20 | お出かけ
上の娘が、東京・本社から出張で大阪にやって来た。
ついでに、休みを取って、神戸(三宮と元町の中間ぐらい)にある、神戸市立博物館へ足を伸ばした。

この展覧会は、娘が仕事関連のからみで、招待券をいただき、
娘が、わたしにも声をかけてくれたので(→まあ、なんとめずらしい)、一緒に行くことにした。


川西祐三郎展~版の軌跡~

神戸出身の木版画家・川西 祐三郎氏は、
創作版画家の父・川西 英氏の手ほどきで、幼いころから版画に親しみ、
作品発表歴は70年にも及ぶ。

モダンな神戸の風景や、外国の印象的な光景が、色鮮やかに描かれている。
関西学院大学を卒業され、お勤めの傍ら、創作に励まれ、仕事との両立は大変だったようだ。
多くの作品を残され、今も現役で活躍されている。
いつものように、気に行った作品の中から3枚、ポストカードを選んで購入した。


招待券をくださったのは、川西 祐三郎氏のご子息らしい。
お父さんや、おじいさんが、芸術家って、すごいなぁ・・・
上村松園・松篁・淳之のように、三代続けて、という流れにはならなかったようだが、
経済・産業界でご活躍のご子息は、二足のわらじではなく、一足に専念されたのか、
詳しいことは、存じないが。



↑しかし、まあ、写真、ぶれてますね~。
(右は、会場入り口に設置された、パネルに引き延ばされた作品)
センター街を歩いていると、頭上に、「川西祐三郎展」の告知が大きく掛けられていたので、
ケータイで撮ったのだが、こういう船揺れのごとく、車酔いのごとく、ぶれぶれ写真に。
夜だったので、明かりも足りないこともあるけれど。
一番、いい写真が撮れるケータイを選んで買い替えたはずなんだけれど・・・不思議・・・
夜8時を過ぎると、閉まる店舗もあり、センター街を通る人は少なくなりかけていた。



その後、神戸で食事をした。
下の娘は、仕事が遅くなるので、合流できなかった。

入ったお店は、若い女性が多く、ボサノバのような甘い音楽が流れ、
異国のゆるやかな雰囲気に包まれていたが、窓の外には、鮮やかな朱の大きな鳥居。
なんだか、現実に引き戻されるけれど、周辺には店舗がひしめき、建っているのは鳥居だけだった。

窓に映る自分の顔を見て、この店には、客層として、ふさわしくないなあ・・・と、げんなり。
実は、わたしは、仕事でこのあたりには定期的に来たことがあり、
このお店でも、ランチを食べたことがある。
今回は、娘と。
もっと、素敵な、おかあさんなら、絵になって、いいのだけれど。


で、しつこく、上の娘にも聞いてみた。

「ねえ、なんで、おかあさんは、フランス人と結婚できなかったと思う?」

上娘は、こう言った。
「おかあさんは、自由に選択できたよ。
その中で、一番楽な道を選んだだけ。
それと、ただ単にフランス人っていっても、いろんな人がいるからね」

ふーーーーむ・・・・
深い・・・

下の娘には、「選択肢が少ないから、変更は無理」と、突っぱねられ、
上の娘からは、冷静&的確なお言葉を頂戴し・・・

わたしが、次の言葉を探しているあいだに、あっという間に、この話題は終り、
次に控える予定に向け、淡々と食事を済ませた。

上娘は、
「今日は、私が、ご馳走するわ」と、さっさとお勘定を払いに席を立った。


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日本人にも分からない、歌舞伎

2010-09-12 | お出かけ
昨日は、歌舞伎に行った。
新歌舞伎座 新開場記念 杮落し興行 「二十一世紀歌舞伎組 公演」
難波から、上六に新しく会場が移った記念公演のようだ。
新しい商業施設もオープンし、賑わっていた。


ダンスの先輩でもある、経験豊かな人生の先輩M女史に、
歌舞伎を見に行く時の服装の体験談、アドバイスを伺うと、
「皆さん、オシャレして行ってるわよ」とのこと。
おめかしどころか、上質の服もない私だが、暑い時に、まとわりつく服は大嫌い。

ストッキングは、葬式・法要の時のみ着用。
汗ばむ皮膚に、あのチクチク感、引っ張り・ひっ付き・密着感が耐えられない。
(私は、今のところは、女性特有の冷え性とは全く縁がなく、
夏に靴下をはいている人の感覚が、わからない、たまたまラッキーな体質)

着物は、着る気、さらさら、なし。
(和顔なので、着物は似合うタイプだと思うけれど→ど厚かましい? 多分)

目的は、服の披露ではなく、歌舞伎なんだから、
疲れない適当な服で、と思いつつ、あれやこれやと悩む。

今年初頭、尾上菊五郎氏、富司純子氏、プラスご子息 五代目 尾上菊之助氏のパーティに、
場違いな格式のない服装で参加し、
ちぐはぐ感たっぷり、窮屈な違和感を感じた悪夢が甦ってくる。




出発、1時間前に、計画していた服とは別の服にし、バッグもアクセサリーも、ショールも、
一式、それに合わせて揃える。

アルル(フランス)にある、小さなご自分のアトリエで制作された自信作のショールは、
お花が立体的についている独創的なテイストだが、
2枚も買ったのに、1ユーロも値引きしてくれなかったもの。
わあ、やっぱり、これ、あのオーナー・マダムが一歩も譲らなかっただけあって、
素敵、かわいい、ファンタスティック!!と、うっとり。

それとも、ハノイで泊ったソフティル・ホテルのブティックで買った、
どこまでも深い光沢が美しいショールにしようか・・・
どっちも、捨てがたい・・・

そんな甘く切ない、ノスタルジーを感じている場合ではない。


しかし、出発30分前に、季節感を考え、当初、計画していた服にチェンジ。
最初に着ていた服は、汗、びっしょり。
外出もしていないのに、洗濯機行きとなった。
チェンジした服に合わせて、バッグやアクセサリーも、交換。
それらを取りに行ったり、用意するだけで、滝のような汗。

にもかかわらず、出発5分前に、急きょ、やっぱり、前の服がいい、と心変わり。
いやしかし、もう、時間はない。
いったい、どこがおかしい? うーーん・・・
ショート丈のチャコール・グレーのパンツ、これがシワシワなのがダメな理由なんだわ、
と、これだけでも替えよう、と、パール・グレーのパンツに履き替える。
いや、やっぱり、おかしい。またチャコール・グレーに。
ああ、もう、時間いっぱい。

バッグだけ、また替えて、あたふたと、荷物を詰め込んで、走って家を出た。
あ、あの小窓、閉め忘れた・・・!! 
もう、いい。なんでも、いい。

やんや、やんやと汗をかきかき、ばたばた出てきたが
さて、会場。



お知り合いの顔、顔、顔。
まあ、皆さん、業界でご一緒の方ばかり。
そうだ、今日は、ご招待歌舞伎だったのだ。(半額援助、半額自腹)

第一演目を観た後、さっそく、イヤホンガイドを借りた。

入場口手前に、イヤホンガイドが貸し出されていたのがチラリと見えたが、
美術館じゃあるまいし、日本人なのに、イヤホンガイドなんて恥ずかしすぎる・・・と
思い、借りなかったのだが。
女形が美しく舞い踊る場面は、それでよかった。
女性より美しい、舞い、しぐさ。
が、・・・
まるで外国語のようなセリフ、唄?を聞いて、さっぱり、わからん・・・と、
急きょ、ガイドを借りたが、それは大正解だった。

居眠りタイムは、イヤホンガイドを借りに行く直前の数分間?のみで、食い止められた。
(目が覚めたら、知らない場面になっていた)


他の観客の方々をちょいと見ると、イヤホンガイドは借りている人は見かけなかったものの
あっちで、船こぎ、こっちで、船こぎ。
見栄張らずに、こりゃ無理、と判断したら、さっさと借りたらいいのに。
やはり、ある程度のお年にもなると、よけいに抵抗がおありなんだろう。
(若い人も、船をこいでいたが)
ずっと、パンフレット(2000円也)を読みながら、舞台を観ている人もいた。

聞きづらい、分かりにくく難解なセリフを、和訳はしてくれるは、見どころを解説してくれるは、
演出のあれこれを説明してくれ、気付かないことをリアルタイムに手取り足とり?教えてくれるガイドは、
歌舞伎を立体的に、深く、楽しむのに、たいへん良い手助けになった。
歌舞伎初心者の方には、ぜひ、おススメ。

何度も足を運び、セリフまで暗記されているような方は、別だが。
ごひいきの役者がいて、通っておられるような・・・そんな通の方にとっては、
バカみたいと思われるかも知れないが、
通の方でも、歌舞伎関係者や伝統芸能関係者、古典の先生でもない限り、
あんな、何言ってんだかわからないような劇、最初からすんなり理解できるはずがない。

もし、初めて観て、好きだと感じても、内容について大変よくわかった、という人はいないと思う。
なんかわからないけれど、着物がキレイ、とか、節回しや、日本古来の打楽器が好き、とか、
感性、感覚的なことから入ったのだろうと想像する。



幕間に、わらびの里のお弁当を、ばばばと急いでいただいて、最期の演目「黒塚」を観た。
場内を真っ暗にし、光を効果的に使った舞台演出は満点。
ほとんど動きのない動作で、心の内面を表現している、と、イヤホンガイドでは解説されていたが、
あの解説がないと、私は、あくび、100連発だったに違いない。


いやーー、古典は難解です。
日本古来の伝統芸能、衰退することなく維持、発展してほしいと願うが
あれでは、ちょっと厳しいかなあ・・・と。
ビギナーに2回目、3回目と劇場に足を運ばせる、裾野を広げるための工夫・仕掛けが必要だ。


舞台両サイドに、外国劇のように、字幕スーパーのスクリーンを縦長に設置するとか
何か工夫が必要かも。
イヤホンガイドは、最小限度の出費で抑えられる、手っとり早い、優秀なサポートシステムだと感じる。


さて、さて、気になっていた、皆さまの服装。
ぜんぜん、どうってことなかった。
着物の人も2人見かけたが、洋服派も、ごく普通。オーソドックス。
目立つような方には、さほど御目にかからなかった。

人生の先輩、M女史の御言葉は、まるで役に立たなかったが、
気が張る服ではない楽な服装で出かけて、大、大、大正解だった。



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わぁ!平原綾香コンサート

2010-06-21 | お出かけ
2つ目の難関・国家試験と子育てに取り組む、元気ハツラツFさんと、
こころのオアシス、日頃の自分へのご褒美、明日からの頑張りの栄養補給を兼ねて
平原綾香のコンサートに行った。

大阪は、昨夜と、その前日、2回だけのコンサート。
コンサート会場は、大阪城が見下ろせる、NHKホール。



若年層は少なく、熟年男女が多いな~と、
思わず客層を無意識にチェックしてしまう、哀しい職業病?



平原綾香といえば、おなじみ「Jupiter」だが、
今回、初めて聞いた
「カルメン」と「オペラ座の怪人」が、とても感動した。じ~ん・・・
なんて、上手なの・・・!!(→私の表現、なんて安易なの・・・!!)

日本レコード大賞優秀アルバム賞に輝いた、クラシック楽曲を集めた「平原綾香 my Classics!」
それに続く弟2弾「平原綾香 my Classics2」(6月9日リリース)に収められているようなので、
このアルバム、ぜひ買おう!!と意気込んでいる。
どケチの私としては珍しい。

ちなみに、夫に今回のコンサートのことを報告すると
平原綾香を知らないという。
仕方ないので、一番有名な曲を歌ってみせ、
「どう? この曲なら知ってるでしょ?!」
と自信満々、当然わかっただろうと、聞いてみると
「わからん。知らん」と。
夫のアンテナがサビて折れているのか、私の歌が悪いのか、はたまた・・・???
面倒になって、「あっ、そっ」で、話は終わった。



コンサート中で、お客さんが総立ちになる曲があった。
ガンガンぶっ飛ばすカッコイイ曲で、彼女が歌手になりたいと強く思った、原点の曲だそうだ。
ノリノリの人がいて、手すりのところに乗っかって立っている人もいた。

前列の席は、熱狂ファンが占めているようで、お揃いのペンライトもさることながら、
ある50過ぎの男性は、体を前後左右に揺さぶって曲に酔っていた。
(彼は特に、動きが目立っていたから、ついチェックしてしまう・・・)
ペンライト、一人だけ逆方向に振っている人がいたけれど、あれは、ワザと??
と、しょうもないことも、もう一人の私がつぶやく。



いったい、何十曲熱唱したのだろう。
技量や音楽センス、才能、DNAの持つ影響も甚大だとは思うが、
すごい声量、肺活量、持続力、集中力、パワー。
まさに歌手は、歌唱力、こころの唄を表現する。
アイドルがキャーキャーはじけてるのとは違う、エネルギーを感じた。

彼女の強いメッセージをじんと胸に受けとめ、Fさんと
「これで、またしばらくは頑張れるね」と、会場をあとにした。


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お膝元・なにわニッポン・桜さくら

2010-04-08 | お出かけ
うららかな、お天気に恵まれた日曜日。
仕事場から至近距離。
長い年月、毎日のように道路サイドから眺めていた、なにわの川。
堂島川、土佐堀川、東横堀川、大川、道頓堀川・・・・

大阪城公園・大阪城港からアクアミニ(屋根のないオープンエア船)をチャーターし、
おなじみの景色を楽しんだ。
予約は、なんと半年も前から詰まっている。
人気があるようだ。

川にも暴走族がいるんだ・・・びっくり。
びゅんびゅん、ぶっとばしていた。
おそらく目立ちたがりだろうから、結構人目を惹いていたので、ご本人たちの気分も爽快だろう。



大阪城公園は、お花見客でいっぱい。
クルージング客に向かって、陸から手を振ってくれ、こちらからも振り返す。
議員さんの水上選挙活動みたい。


 
 
   
大阪城が見える、ベストショット。
 
 
 
 
右岸・北側に見える、大阪市中央公会堂(旧中之島公会堂)は、
1911年(明治44年)に建築計画スタート、
1913年(大正2年)に着工、1918年(大正7年)11月にオープンした。
建設主は、完成を待たずして、相場の失敗で自殺したという悲劇の館。

  

向こうから、天神祭の時のような船がやってきた。
この船は、観光目的ではないようだ。
もうすぐ船着場。
川が混んでいるとのことで、Uターンはなく、ここで下船することになった。
明るい日差しを浴び、水の都のミニクルーズは、ここでオシマイ。
左手側ビルに面したグリーンの場所から、とんとんと上がると、淀屋橋駅。
地下鉄に乗り、人でごった返す大阪市内へと向かった。




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古典美の舞い

2010-01-31 | お出かけ
昨日、叔母の日本舞踊の会が、国立文楽劇場で催された。
宗家である尾上菊五郎氏、そのご子息の五代目 尾上菊之助氏も演じられた。
富司純子さんも、応援にかけつけていた。
純子さん、それはそれは美しかった。
紫のお着物を召されていて、美のオーラ。華奢なカラダから放つ迫力。
どの角度から見ても完璧。女優さんはスゴイ。
息子さんも当然整った美形。そして、軽やかで美しい舞。
菊五郎氏は、家元と競演されていたが、家元の女形の舞に目を奪われて、踊りがよく把握できなかった。
私の、日本舞踊、ど素人の浅はかさ、ゆえ。




で、肝心の叔母の踊りも、この発表会が人生最後というだけあって、気迫があった。
何度も衣装の早変わりをしたり、
三味線や小鼓、笛、長唄など、何人もの演者が奏でる、邦楽の調べが生で流れる
本格的な舞台に、日本の伝統美を感じることができた。
ポーズ、しぐさ、出で立ちの一つ一つを見ていると、日本画(美人画)を鑑賞している錯覚に陥った。

踊りの後、打ち上げ会が開かれるのにあたり、人数の制限もあり、私は事前に辞退していた。
しかし、強く請われて、参加した。
その席でも、美しく輝く純子さんと、そのファミリーが出席されていたが、またまた美形に見とれた。

しかし、ですね、尾上菊五郎さん、ものすごく、短気なお方。
8時からと聞いていた打ち上げ会が、某ホテルで行われたのだが、
7時に、いの一番に駆け付けた菊五郎さん、誰もいないのを見て、怒って帰ってしまった。
それから徐々に人が集まり、7時20分頃には、シャンパングラスにシャンパンを注ぎ、乾杯の用意。
でも、彼はなかなか戻ってこず、我々はグラスを持ったまま、待機。
手に持ったままでは、疲れるな~と、いったんテーブルに置き直していたら、10分~15分後に姿を現した。
彼が退席した後に、一度、家元が挨拶は済ませていたが、彼がお出ましになって、もう一度、挨拶をしかけたら、
純子さんが、「もう、いいわよ」と、にっこり。
あの、短気ご主人のご機嫌をとりつつ、手綱を取るのは、結構大変そう。
その後も、料理が出てくるのが遅い、とか、またまた怒りを買われたようで、場はピリピリした。




しかし、このご一家は、梨園の重厚さ、たるや、ものすごいファミリーだ。
日本の伝統的歌舞伎の世界での大御所中の大御所。人間国宝。
富司純子さんも、ご存じのとおりの芸歴をお持ちの実力者。
そして、日本舞踊の世界は、伝統がある故に、格式が高い(敷居も高い)。
一般の人は、なかなか足を踏み入れることができない。
幼い頃に、日本舞踊を習ったことがある人が、再スタートしてお稽古していることが多い。
叔母もその一人で、幼少時に大阪から先生に来てもらって、日本舞踊を習っていたそうだ。
小さい頃から日本舞踊、となると、なかなか普通の家庭では、馴染みがない。
それなりの背景(芸術的嗜好と経済力)があることが多い。

踊りの発表会も、国立文楽劇場クラスになると、一人分の負担、1回分の費用は、
大阪市内で小ぶりのワンルーム中古マンションが、1戸買えるぐらいは、かかるだろう。
数年に一度、催される会に参加するとなると、
(叔母は、私が知っている限りでは、この文楽劇場だけで、4回)
家が1軒ぐらい、建つのではないだろうか。
趣味を極めるには、資質もさることながら、潤沢な資本が要りそうだ。


招待されて、お付き合いで、渋々ではあったが、日頃、触れることができない世界をちょっと垣間見た。
パーティでは、皆様、留袖でご出席だったのに、私の軽装は、とてもマヌケだったが、まあ、ご愛敬。
でも、いい歳して、ご愛敬は許されない雰囲気をヒシヒシと感じた次第だ。





夢がいっぱい!コルテオ!

2009-08-30 | お出かけ


仮設テントで、サーカス?!
あんまり気が乗らなかったが、流れで行った。
私は、いつもこのパターンが多い。
スロー・スターター。
予備知識ゼロ、思い込みや先入観のみ。
そして大概は、興奮のるつぼと化す。
今回のコルテオも、まさにそうだった。

大阪・中之島の、なんだかよくわからない場所に、突如現れる巨大テント。
一旦入場すると、再入場はできないという。
トイレは、あるのか?? テントって、蒸し返してない?
不安が募る。

席に着くと休憩までは移動できないらしいので、とりあえずトイレへ。
皆さん、考えることは同じ。
トイレは長蛇の、本当に長々と長蛇の列。
「コルテオ」とは、イタリア語で「行列」の意味らしいが、まさに、序盤からコルテオはスタートしてる。
こんな列では、始まるまでに、半分ぐらいの人しか、利用できないのではないかと、
諦めていたが、まあなんと、さっさ、さっさと、じゃんじゃん、はけていく。
女性用だけでも、20ぐらいあるのではないだろうか。
すべて洋式、水洗、清潔。
印象は、よい。とりあえずは、大事なことはクリアできて、よかった・・・

肝心の内容に行きつくまでに、こんなに文字数を費やしてしまった。
本当に言いたかったのは、ここからで、いままでは、ほんの前振り。
入り口にも達しない。(まさに文字通り)









なにしろ、感動、感激、素晴らしかった。
フィギアスケートや、シンクロナイズドスイミングに、
技術点以外に、芸術点をつける、という意味がよく理解できた。

最近、2度ばかり、上海で、上海雑技団のショーを見た。
主に観客は、外国人だった。
観光の目玉のひとつにもなっているのだろう。
それはそれで卓越していたが、高い技術もさることながら、テイスト&舞台スケールが全く違った。
お国柄だろうか。
舞台の大きさ、形状、演出の創意工夫も影響している。

コルテオは、カナダのシルク・ドゥ・ソレイユによるもの。
ミュージカル仕立てになっていて、ストーリー展開に、音楽に、身が踊る。
特にラテン系音楽は、脳を通り越して、BODY&SOULをじかに揺さぶるものがある。
出演者が欧州の古風な衣装を纏っていたこともあるだろうが、音響や視覚から、
私の記憶にまだ瑞々しさが残る、ロシアでのバレエ、ウィーンやパリでの演奏会、
ベトナムでの水上人形劇、日本上陸のウィーン制作ミュージカル、
あれこれ、現地で見聞きした、その地で培われた芸術ティストが、
頭の中で、次から次へと蘇ってきた。
近い将来、ボケたら頭の中でこんがらがって、整理が大変そう・・・
だが、今回は、導入時のイメージ・バリエーション・アップ効果をもたらしてくれた。

しかし、初めてのコルテオ。五感で感じた。
アクロバットをはじめとする高度な技には、溜息、惜しみない拍手、
最初から最後まで、身を乗り出したまま。
終盤あたりになると、自分が時の権力者(チンギス・ハーンか、クフ王か、アレキサンダー大王か、
はたまたナポレオンか、エカチェリーナ2世か、秀吉か)になった図が頭に浮かんだ。
「殿、いかがでしょう? 世界中から、ツワモノ美集団を集めましたが」
と家来に耳元でささやかれているような、しびれ。
「あう、おう、見事じゃ!」
脳内アドレナリンは、MAXに到達していた。

3000席、幅約17m、高さ12mの巨大な絵画のカーテン。
劇場を横断する32mのステージ、それを挟む対面式の客席は、
音響や、舞台美術の視覚効果と相まって、
今まで見たことのない、エキサイティングな究極の空間を生み出していた。
エンターテイメントというには、あまりにも高い芸術性。
人間業とは思えないような、テクニックを超えたスリリングな動きに、息つく暇もない。
バランスのとれた肉体美、機能美、躍動美、その鍛錬の蓄積、緊張の連続に、
本当に感動した。
掌が痛くなるほど拍手をした。

小難しい論評を書かれる批評家や、一般の目の肥えた方々からの酷評もあるようだが、
私は、少々の難点には目をつぶる。
楽しかったことをことさらクローズアップして、脳裏に焼き付ける。
単純で、なんでもかんでも感激する、脳に響くジャッジ点数が低いのかも知れないが、
それも、神様からのプレゼントだと思っている。
いくら、お偉い諸センセイ方のように、いろんなコトをよく知った上で論評したところで、
こういうのは、楽しんだモノの勝ち。
一期一会の瞬間を、プラス・モードで感じ取る。
一般大衆民の強み。

生きててよかった。
大阪のあんなところまで、ホイホイ足を運べる自分が嬉しかった。
元気で、いよう。
また、ワクワクする楽しいことに出会えますように・・・
天国へ行く時のために準備している荷物の中に、
グッズショップで購入したコルテオのクリア・ファイルをそっと忍ばせた。


やっほー、姥捨て山

2009-06-10 | お出かけ
山林関連の所要で、森林組合を経由し、地元の山番2名とともに
兵庫県の真ん中あたり、生野銀山近くの山に出向いた。
軍手、長靴、脚絆、雨ガッパ、キャディーさんか農家の人のような日よけ帽、と
本格的いでたち。
林業や農業従事者にしては、あまりにもへっぴり腰。
取ってつけたような、にわか仕事人姿。
沢はぬかるみ、長靴の下の感覚は、ジュルっ、にゅるっ・・うわっ

途中まで、急斜面、道なき道を、4足歩行になりながら、獣道を這いずり回るようにして登っていった。
ずるっ、ぐちゃっ、ぬかるんで滑るし、枯れ葉の下から木の枝が突き出ていたり、
キケンがいっぱい。
ころあいの木の枝を見つけ、杖代わりにして、
濡れた枯葉の上をグサッグサッと突き刺しながら進んだ。
母は御年81歳にもなるのに、身の軽いこと。
さささーーと、先へ、先へと、上っていく。
彼女は、猿トビ佐助の子孫か??? 
怖がりの私は、一番最後から、のろのろ。
「山は、キライだ」「山なんか、ダイッキライ」「危なすぎ。第一、降りるのが大変やん・・・」
しゃべる相手もいないのに、ブツブツと一人でぼやきながら、登っていく。
おーーいい、待ってぇ~



途中、少し平らなところで、母と義姉が止まっていた。
先発隊は、さっさと歩いて行ってしまい、姿が見えない。
我々は、置いてきぼり??
降りる際のエネルギーも確保しておかないといけないのに、もうバテバテ。

足を滑らせて、沢まで転がり落ちたらどうしよう。
自分のことだけでも精一杯なのに、母が、谷底に落っこちたら
どうやって引き上げればいいの?
姥捨て山って、こういうところだったりして・・・

そう不安に思っていたところ、母が
「こんなとこに、姥を捨てるんやろうなあ。」と言う。
あまりにも、的確な、しかも、自分が姥の年齢であることを全く自覚していない母。
捨てられるのは、母か、私か?

やっほーー
どこーー
返事してーーー
ーーーーー

一生懸命叫び、時を待った。

どれぐらい時間が経っただろう。
ザクッ、ザクッという足音。
姉、山番たち、それぞれが降りてきた。
「上に行ってもキリがないので、このへんでもう降りましょう」
と山番。
やれやれ。



帰りは、美人の湯、黒川温泉で、まったり。
牡丹鍋や、鹿肉フライなどに舌鼓。
  

露天風呂もあり、知る人ぞ知る、秘境の湯。
奥深い山間で、清々しい森林浴もできた。
雨に降られるかと心配したが、どうにかもった一日だった。
きっと何日もあとに遅れてやってくるであろう筋肉痛を予想しつつ、
高速道路の入り口に入った。