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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

家庭の中の女性、家庭の外の女性 【2】

2009-03-30 | 仕事
ある日、テレビドラマを見ていたら
(実際のところは、見ていたわけではなく、テレビをつけたままパソコンに向かっていたら)
子供の世話を人に任せて、外で働くお母さんを激しく非難する男性上司が登場して、
言いたい放題。
「保育園の費用と同程度しか稼げないなら、家に居て、子供の世話をしろ!」
なんていうセリフも飛び出す。
(おそらく、脚本家は,女性だと感じる。)
働きたい「有能な」お母さん、
ハードな状況で孤軍奮闘しているお母さんが聞けば、頭から湯気が出るだろう。
それは、脚本家の狙いなので、挑発に乗ったら、番組制作者の思うツボだ。
わざと、狙っているに違いない。

仕事に取り組む姿勢は、男性と同じ女性もいるが、
逆に、女性であることを言い訳に、しっかり責任を持って仕事をしていない女性もいる。
(責任を持って仕事をしない、ダメ男性もいるが。)

大黒柱としてお金を稼ぐには、それだけのことをしている。
ほんのちょっと社会勉強程度に「お仕事」をして、お小遣いを稼いで、
「私は仕事をしているのよ! 家事を分担して!!!」
と堂々と家事の折半を詰め寄る人もいる。
夫に代わって、大黒柱として働ける妻は、いったいどれだけいるのだろうか?
(夫に働けない理由がある場合は別として)
「明日から、オレが家事するから、お前が働いてくれ」
と言われて、喜んで選手交代をする妻は、どれぐらいいるだろうか。

突然、働けと言われても、キャリアを積んでいない場合は、夫と同じだけの収入を得るのは困難。
例えキャリアを積んでいても、夫と同レベルの能力があるかどうかも、重要ポイント。
(これは、仕事を続けていようが、結婚していなかろうが、個人レベルで歴然とした違いがある。)
一旦、家庭に入って、また働き出したとしても、
家庭との両立を図り、仕事内容や、時間、収入面で、
あくまでも家庭に力点が置かれることが多い。
そのプロセスがあるのに、夫と急にバトンタッチしても、ハンディがある。
しかし、家庭に入ることを決めたのは、自分の意志なんだろうから、
自分の取った行動の結果は、自分で受け止めなければならない。

口いっぱい平等を掲げて権利を主張するのも
男女の区別なく働けるようになるまでの、道のりのひとつであるなら、応援もしよう。
そうなるには、厳しい仕事を男性同様、こなさなければいけない。
重圧にも耐えなければならない。
家庭での理解、協力、バックアップも必要だ。

男性と肩を並べて働くというところにまでたどり着く、能力、忍耐力、やる気がない理由を、
女性だから、家庭があるから、とういことに摩り替えている人を見ると、うんざりする。
確かにハンディを乗り越えて、頑張り抜くのは、並大抵のことではない。
ハンディのせいで、乗り越えられない壁もある。(ハンディは、家庭の事情を抱える男性にもある)
しかし、乗り越える前に、ハンディ以前のところで、自分自身を甘やかす女性もいる。

(つづく)

家庭の中の女性、家庭の外の女性 【1】

2009-03-29 | 仕事
家族のために・・・・
そう思って、一生懸命頑張っていることは、実は、自分のためだったりする。

家族のために、家を美しく整え、美味しいご飯を作り、衣服を整え、
完璧なハウスキーピング。

きちんと規律正しい生活。
子供の学校への提出物や忘れ物もない。
完璧、完璧、完璧。
家族は、気持ちよく、清々しく家庭生活を送ることができる。
まさに主婦の鑑。

これは、専業主婦でなくても、時間や体力のない人でも、
人の力、お金の力を借りればできるとも言える。
それどころでないギリギリの生活をしている家庭にとっては、
また別のところに問題が山積されているが。
それはそれで、子供は逞しく育っている例もある。

昨今のマスコミは、
専業主婦は、「外で仕事ができない人」という扱いが多くなってきている。
「無職主婦」。
「奥様」は、奥にいなくなり、「有閑マダム」は死語化し、
もはや憧れの対象ではなくなっている。
「自分の力で行動する女性」が、注目を浴びる。

もちろん家庭の事情で、働きたくても働けない人もいる。
働きたくなくても、働いている人もいる。
自分の事情で、働けない人、働きたくない人、反対されても働く人もいる。
働くのは、息をするのと同じで、なんの意識もせずに自然体で働いている人もいる。
かたや、働かないことに、なんの疑問も抱かない人もいる。
世の中、いろいろな家庭があり、いろんな人がいて、一様には、言い切れない。
だが、話が広がりすぎると、焦点が絞りきれなくなるので、論点がぼける。

仕事と家事との両立に疲弊した有職のお母さんを見て、
専業主婦に憧れる若い女性も増えたとか。(揺り戻し復古現象)
中には、専業主婦のお母さんに憧れて、専業主婦を希望する娘さんもいる。
経済能力のないお母さんを、働かない社会性のない人だと憐れみ蔑んで、
自分は自立の道を目指すケースもある。

(つづく)

寂しい人

2008-12-09 | 仕事
ビジネス街にある、オール300円の、こじんまりした居酒屋の常連客B氏。
いつも端っこの予約席が確保され、毎日欠かさず18時に、店に寄る。

B氏は、某中堅企業、企画室の室長。
最近、企画室の総人員数を半分に削減された。
室長と言えど、いつ自分が肩を叩かれる日が来るのかと、ひやひや。
脂の乗った若手が、あとに控えている。
もう結構なお年で、(契約室長でもあるので)帰宅は早い。

「宝くじで3億円当たったらどうします?」
たまたま居合わせた、元部下に聞かれ、
「こんな300円の店になんか行かずに、もっとマシな店に行く」
と答えるB氏。

マスターが目の前にいるのに、失礼な発言。
「仕事なんか、即、やめる」とも。

へえー、そうなんやー。
お金のために仕事をする、というのは、当たり前のことなので、
非難する気持ちなどサラサラない。
しかし、いつもニコリともせず、他人をこき下ろす。
寂しいことをおっしゃる人だ。

サラリーマンは、お小遣いを減らされ、大変な現実。
B氏は、バツイチで、子供さんとも絶縁状態なので、すべて自己管理。
私生活は、永年、好き放題。
若いとそれでも、他人の目には素敵に映るかも知れないが
もう、ある程度、年をとると、律した生活を送る人のほうが、好印象を受ける。

「仕事をやめて、どうされるんですか?」
「北海道で、馬を飼育する」
「そういうえば、Bさんは、北海道のご出身でしたよね」
B氏は、大の競馬好きで、そう言ってるだけなのだが。
まあ、宝くじが当たったら、とういハナシ。

私は、B氏とは、感覚や感性、価値観は、なんの接点も共通することもない。
興味も全く違う。関心事や楽しいことも、まるで違う。
ただ単に、仕事がらみで、知っているだけ。
ツライ立場はわかるが、皆、大なり小なり色々抱えている。
お酒の場で、嫌なものをその日のうちに、
きれいさっぱり落として帰りたいのだろうけれど。

この人には夢がない、活気がない。
いいお年なのだが、熟成された円熟味も感じられない。
あるのは、ガリガリにやせこけた、厚みのない、温かみのないハート。
仕事以外で一緒に居ても、なんのメリットも、楽しいこともない。
私だけがそう感じるのか、他の人もそう感じるのかは、知らないが

B氏は、安い居酒屋の定位置で、いつも独り、時を過ごす。


お高き、社長令夫人

2008-07-20 | 仕事
以前、営業で地域を回っていた時のこと。
大阪府下の、町はずれの小さな会社に、飛び込み営業。
社長と奥さん、営業、兼、作業者が2名ほどの小さな会社だ。


飛び込み営業は、勇気がいる。
嫌われ撃沈するのがわかって、飛び込む。
神風特攻隊みたいなものだ。
相撲取り組み前の高見盛みたいに、入る前に、、バシッ、バシッと気合が必要。
叩かれても痛くないように、身体中の筋肉をぎゅっと固く締めて、いざ出陣!!


その小さな会社へは、シャッター横の暗い通りを入って行く。
決して立派とはお世辞にもいえないような、超零細企業。
一通り、我々の仕事のPRをして
「一度お試しに起用してみてください」とお願いした。
社長と営業マンは、まあ、好意的に話に耳を傾けてくれたのだが、
問題は、社長令夫人。

あからさまに、うんと上の方から人を見下ろす態度が、ありあり。
「おたくたち、うちとこみたいな小さいところまで、
そうやって、一軒一軒、訪ねてきてるわけ?」
と言われた。

その表情や言い方、態度から、
「へぇ~、一軒、一軒、頭下げて、こんな人里離れたところにまで、ドサまわり、
ほぉ~んと、ご苦労なことね。」とうい意味合いを感じた。

さらに、こういうニュアンスも読み取れた。
「こんなウダツの上がらない亭主の会社で、
毎日毎日大した利益にもならないのに振り回され、うんざりしてたけど、
こんな惨めな人々もいるのね。
世の中、下には下があるんだ。
私なんか、うんとマシだわぁ。ああ、よかった」

場末の(→失礼でしょうか)、
パサパサに乾ききってしまった潤いのない(→失礼かも、でしょうか)、
品性のかけらもないオバチャン(→失礼、ですね、きっと)から、
哀れみならまだしも、見下(みくだ)され、蔑(さげす)まれた私だった。

女性特有の勝ち誇ったような態度。
鼻につく、なんてナマやさしいもんじゃない。

何を言う?!オババ!
あんたみたいなオバハンに、そんな態度を取られる筋合いは、
ぬあぁ~い!!
と思ったが、やはり、仕事でお伺いしているので、
そういう筋合いは、あるわけだ。

「ご挨拶です」と、お米や、商品券のひとつでも持参していれば、
もう少し対応が変わっていたかも知れない。
(オシャレなお菓子ではなく、ここは、あえて、お米!!)
「あら、悪いわね。」と、
ねずみ男のような、笑顔を見せてくれたかも知れない。


私は好きで仕事をしているのだ。
いちいち細かいことを気に病んでいたら、やっていられない。
しかし、人の足元を見て、
ここぞとばかりに日ごろの鬱憤をぶつけてこられると、きついものがある。
だが、そういう人は、所詮、そういう人なのだ。

残された人生を社会貢献に軸足をシフトさせる、ビル・ゲイツのようになれ、
と言っても無理がある。
気の毒な人生を送ってきた結果が、ああいう態度なわけだ。
本人は何も気付いてないところに、
質(たち)の悪さ、救いようのなさを感じる。

仕事での、その場限りのお付き合いで、よかった。
もし、ああいった人が同じ職場にいたら・・・ぞっとする。
(別の職場に、そういうオバサンがいたが、
見事、首を切られた。あっぱれ、社長に、一票!!)

世の中、
お金をいただくか、払うか、で、人間の立場はこんなにも違う。
仕事とは、厳しいものだ。