中学同窓生・有志主催の酒蔵コンサートがあった。
チェロ奏者のプロとして活躍する、同級生Mさんと、Mさんの先輩ピアニストの協演。
もう一人、同級生にプロ・ピアニストがいるのだが、今回は不参加。
古くから酒造業のさかんな地にある、同級生Y君が所有する酒蔵で、
優雅なひとときを楽しんだ。
作られたばかりの、秋の新酒をいただいたが、これがまたオイシイ。
コンサートもさることながら、フルーティな冷酒は格別だ。
酔いしれるのは、美しき音色に加えて、美味なるお酒??
一般消費者の手には入らないそうなので、さっそく購入した。
我々同窓会メンバー以外に、
地元のご近所の方々、Mさんのお弟子さんたち、
今回、尽力してくれた世話役・同級生のNさんと、
音楽療法士であるNさんの音楽療法関係の皆さま、
ピアノを貸し出してくれた病院長さま、酒造会社の皆さま、Y君のご家族・・・
思いのほか、人数が集まっていた。
他の同級生たちも、個々にも趣味も含めて音楽など、幅広く活動しているようで、
受付には、自分たちが関係しているコンサートやイベントの案内が
所狭しと、たくさん並べられていた。
昔のクラスメートが集まると、「今、話題の同級生」の近況を報告しあう。○○君、○○(日曜・夜・フジテレビ)に出てるの知ってる?
××君、××事件の解説で、××省の責任者として、テレビに出てたよね。
▽▽君は、テレビで、▽▽病の医療事故の説明してたわ。
△△君(1級下だけど、テレビネタついでに)、△△(平日・朝・TBS)で、
準レギュラー的に前からずっと出てるね~。(→彼は当時、すごく可愛かった)□□さん、木曜日に、前とは別の番組にコメンティターでまた出てるね。見た?
◎◎さんは、製薬会社から起業して、アメリカで国際特許の会社を作ったらしいよ。
今回、メールしたら、連絡がつかなかったと思ったら、アメリカにいたからなんやわ。
などなど・・・etc
活躍ぶりは、テレビが一番手っ取り早い。
顔が見えるだけに、わかりやすい。
それに、今、出演している間に見ておかないと、出演期間が済んでしまうし・・・。
その中で、特に初耳は、○○君と、××君。
へえーっと驚く。(前から、○○君はメデイアにはよく登場していたが、
業界が違うので、テレビのコメンティターとしては、お初)
このお二人、同じ高校、同じ大学、同じ学部卒。人並はずれて頭脳明晰。
(他にも同じ大学の人はあと3人いるが)
昔にしては、1学年たった3クラス、140名だが、
たまたま私たちの学年は、優秀な人がゴロゴロしていて、幅広く活躍されている。
私は、凡人チーム(劣等生)の一員として、陰ながら応援している一人だ。
世界の出来事、ニュースの出来事、私たちには遠い話しやわ、
と思っているような事柄を、動かす側に立ち、日常の一部としてさらりと話す彼ら。
え?と驚くようなハナシには、事欠かない。
今日も、前の同窓会でお世話になった○○君をグーグルで検索して、
たくさんの記事を読んだが、とても素晴らしい業績を残しているようだ。
こんなに立派になっているとは、(薄々知ってはいたが)とても喜ばしいことだ。
○○君とは小学校も一緒だったが、もう、ほとんど、母心に近い心境である。
コンサートの帰りに、数人で近況を話しながら駅まで歩いて帰った。
中学時代、ほんの少しの時期、袖擦りあうご縁で、一緒に時間をともにしたが、
いろんな人生を皆さん、歩まれている。
そんなこんなで、楽しい秋の一日を終えた。
今朝は涼しすぎて、長袖を探し回った。
秋は気候もいいし、お出かけには最高。
やはり、いろんなお友達を持つということは、いい。
私は男女共学校に長く通ったのに、なぜか同級生との個人的交流はない。
最終校の同級生(女性)とは、最近、会ったりしているが。
10月に、中学の同学年有志主催の酒蔵コンサートがある。
ヴィオラ奏者(中学時代の同級生)と、ゲスト出演のピアニストの協演。
会場は、これまた中学時代の同級生の酒蔵で、ということだ。
酒蔵なので、そこで作られる秋の新酒が、振舞われる。
最初は参加しようかと意気込んでいたが、ちょっと遠いので、
パスしようと思っている。
開催地「江井ヶ島」は、酒造会社がたくさん集まり、
昔ながらの酒蔵も点在する、懐かしい風景の残る地域だ。
今回の酒蔵所有者のY君は、
中学時代、私を言葉の暴力で傷つけた極悪人だが、
前回の同窓会で
「ごめんな。僕はあの頃、子供やったから、
相手の気持ちも考えずに、ずばずば本音を言ってたんや」
と面と向かって謝られた。
なにぃ~、本音だとぉ~
これって、よけいショックだ。
まあ、わざわざ謝ってくれているわけだし、
昔のことは、水に流してあげましょう・・・
芸術の秋、スポーツの秋、食欲の秋・・・
あの暑い夏のあとには、こんなにいい季節が訪れる。
存分に楽しみたいものだ。
参加申し込み締切日は、過ぎているが、
気が向いたら足を向けようかな。
秋は気候もいいし、お出かけには最高。
やはり、いろんなお友達を持つということは、いい。
私は男女共学校に長く通ったのに、なぜか同級生との個人的交流はない。
最終校の同級生(女性)とは、最近、会ったりしているが。
10月に、中学の同学年有志主催の酒蔵コンサートがある。
ヴィオラ奏者(中学時代の同級生)と、ゲスト出演のピアニストの協演。
会場は、これまた中学時代の同級生の酒蔵で、ということだ。
酒蔵なので、そこで作られる秋の新酒が、振舞われる。
最初は参加しようかと意気込んでいたが、ちょっと遠いので、
パスしようと思っている。
開催地「江井ヶ島」は、酒造会社がたくさん集まり、
昔ながらの酒蔵も点在する、懐かしい風景の残る地域だ。
今回の酒蔵所有者のY君は、
中学時代、私を言葉の暴力で傷つけた極悪人だが、
前回の同窓会で
「ごめんな。僕はあの頃、子供やったから、
相手の気持ちも考えずに、ずばずば本音を言ってたんや」
と面と向かって謝られた。
なにぃ~、本音だとぉ~
これって、よけいショックだ。
まあ、わざわざ謝ってくれているわけだし、
昔のことは、水に流してあげましょう・・・
芸術の秋、スポーツの秋、食欲の秋・・・
あの暑い夏のあとには、こんなにいい季節が訪れる。
存分に楽しみたいものだ。
参加申し込み締切日は、過ぎているが、
気が向いたら足を向けようかな。
2日間、とっても、とっても、リラックスして連休をのんびり過ごせた。
が、突然のリーマンブラザーズ倒産で、心を痛めている。
株価のダウンに、めまい、頭痛がしそうだ。
今後の世界経済が不安。
関係ない人は、関係ないのだろうが、なんらかのかたちで、
皆、影響を受けると思う。
「これからは、アメリカの終わりの始まり」という、
田原総一郎氏の言葉を実感する次第だ。
さて、昨日、学生時代の友人Mさんが会場を初レンタル、
初レッスンを受けた。
会場は梅田のど真ん中、アクセス抜群、某国立大学0Bのサロン。
生徒は2人だけという、贅沢レッスンとなった。
彼女の取っている資格は、アメリカのものらしく、
まだまだ歴史の浅いアートのようだ。
今は、先生に習っている身でありながら、
人にも教えたい、というところかと察する。
もう、教えられる側だけでは、あきたらないようだ。
インプットのあとは、やはり、アウトプット、
それが、自然な流れだろう。

とても重いのに、ペイント用具をどっさり持ってきてくれたMさん。
丁寧に、額のペイントを教えてもらい、
不器用な私としては、お気に入りの作品が完成した。
姫路からわざわざ出てきたIさんも、満足のご様子。
彼女は、ポップなモチーフを使って、私とは全く違うデサインティスト。
「また、ぜひ創作しようね!」と、笑顔で別れた。
自分が好きなように創る、まさに「オリジナル アート」
全然下手だけど、自分だけの味って、面白いと感じた。
が、突然のリーマンブラザーズ倒産で、心を痛めている。
株価のダウンに、めまい、頭痛がしそうだ。
今後の世界経済が不安。
関係ない人は、関係ないのだろうが、なんらかのかたちで、
皆、影響を受けると思う。
「これからは、アメリカの終わりの始まり」という、
田原総一郎氏の言葉を実感する次第だ。
さて、昨日、学生時代の友人Mさんが会場を初レンタル、
初レッスンを受けた。
会場は梅田のど真ん中、アクセス抜群、某国立大学0Bのサロン。
生徒は2人だけという、贅沢レッスンとなった。
彼女の取っている資格は、アメリカのものらしく、
まだまだ歴史の浅いアートのようだ。
今は、先生に習っている身でありながら、
人にも教えたい、というところかと察する。
もう、教えられる側だけでは、あきたらないようだ。
インプットのあとは、やはり、アウトプット、
それが、自然な流れだろう。

とても重いのに、ペイント用具をどっさり持ってきてくれたMさん。
丁寧に、額のペイントを教えてもらい、
不器用な私としては、お気に入りの作品が完成した。
姫路からわざわざ出てきたIさんも、満足のご様子。
彼女は、ポップなモチーフを使って、私とは全く違うデサインティスト。
「また、ぜひ創作しようね!」と、笑顔で別れた。
自分が好きなように創る、まさに「オリジナル アート」
全然下手だけど、自分だけの味って、面白いと感じた。
最近、朝が、どんより気分の重いスタートになっている。
その理由は、株価。
見たくない状況だ。
それはそうと
学生時代の友人、M さんから、先日、メールをもらった。
6月に、私の実家にお呼びしたうちの、一人である。
会場を借りて、手作りアート講習会を開くから、本番の前に会場の使い勝手などを試したいので、
サクラで集まってくれないか、というお誘い。
実際に、模擬レッスンとして、「手作りアート実習」をやってもらいたい、とのこと。
彼女は、手作りアクセサリーの資格を取得したり、結構、頑張っている。
我々の出身校の全卒業生が対象の会にも、積極的に運営サイドで参加し、
バザーに出品したり、奉仕活動も盛んだ。
メンバーは、私を入れて4人。
一人は、ご高齢のお舅さんに目が離せないのと、自営業のお手伝いがあり、
よっぽどのことでもないと、外出は困難のため、不参加。
あとの人は大丈夫ということだったので、
スケジュールをあけることにしていたら、
早速、次の日に、B さんが、ダメになった。
B さんは、仕事をしている関係上、やはり、難しいようだ。
残りの一人、I さんは、姫路在住ではあるが、行けると聞いていた。
「B さんがダメらしいし、イベントはキャンセルして
代わりにランチか、お茶でもいいしね」
という、M さんからのメール。
模擬レッスンの時は、「その日ならオッケー」、と私は即答していたのだが、
模擬レッスンがないなら,わざわざ時間を取るのがきつくなり
「◯曜日はだめで、◯曜日も避けたくて、◯曜日なら、ありがたいな~」
とM さんにメールすると、それ以来、返事がない。
M さんも、あれこれ日程を調整するのに難儀しているのだろう。
(残るI さんも、姫路在住というだけでなく、家業のお手伝いもあるし)
時間は作るもの。
特別のことであれば、日程を調整するが、
皆さん、単に普通に飲食とおしゃべりだけなら、無理をしてまで、
参加するのは大変なのだろう。
やはり、身軽ではない人たちが集まるには、
それなりの非日常性でもないと、なかなか集まってくれない。
今回も、おつきあい、という気持ちで協力してあげようと思ったのだが
人数も減り、イベントもなくなり、お手伝いの意味もないとなると、
わざわざ時間を合わせる気になれない。
(私の都合のいい日に合わせてくれるなら、OKだが)
ヒマだから出てくる、いつでもOKという人はいないようだ。
みんな、有閑マダムにはなれないんだと感じ、ある意味、ほっとしている。
多くの雑事や、仕事から解放され、
自由な時間をたっぷり享受できるようになると、
また、喜々として集まる時期が来るだろう。
しかし、こんなどうでもいいことを延々と綴っている私は、
かなりヒマ人である。
その理由は、株価。
見たくない状況だ。
それはそうと
学生時代の友人、M さんから、先日、メールをもらった。
6月に、私の実家にお呼びしたうちの、一人である。
会場を借りて、手作りアート講習会を開くから、本番の前に会場の使い勝手などを試したいので、
サクラで集まってくれないか、というお誘い。
実際に、模擬レッスンとして、「手作りアート実習」をやってもらいたい、とのこと。
彼女は、手作りアクセサリーの資格を取得したり、結構、頑張っている。
我々の出身校の全卒業生が対象の会にも、積極的に運営サイドで参加し、
バザーに出品したり、奉仕活動も盛んだ。
メンバーは、私を入れて4人。
一人は、ご高齢のお舅さんに目が離せないのと、自営業のお手伝いがあり、
よっぽどのことでもないと、外出は困難のため、不参加。
あとの人は大丈夫ということだったので、
スケジュールをあけることにしていたら、
早速、次の日に、B さんが、ダメになった。
B さんは、仕事をしている関係上、やはり、難しいようだ。
残りの一人、I さんは、姫路在住ではあるが、行けると聞いていた。
「B さんがダメらしいし、イベントはキャンセルして
代わりにランチか、お茶でもいいしね」
という、M さんからのメール。
模擬レッスンの時は、「その日ならオッケー」、と私は即答していたのだが、
模擬レッスンがないなら,わざわざ時間を取るのがきつくなり
「◯曜日はだめで、◯曜日も避けたくて、◯曜日なら、ありがたいな~」
とM さんにメールすると、それ以来、返事がない。
M さんも、あれこれ日程を調整するのに難儀しているのだろう。
(残るI さんも、姫路在住というだけでなく、家業のお手伝いもあるし)
時間は作るもの。
特別のことであれば、日程を調整するが、
皆さん、単に普通に飲食とおしゃべりだけなら、無理をしてまで、
参加するのは大変なのだろう。
やはり、身軽ではない人たちが集まるには、
それなりの非日常性でもないと、なかなか集まってくれない。
今回も、おつきあい、という気持ちで協力してあげようと思ったのだが
人数も減り、イベントもなくなり、お手伝いの意味もないとなると、
わざわざ時間を合わせる気になれない。
(私の都合のいい日に合わせてくれるなら、OKだが)
ヒマだから出てくる、いつでもOKという人はいないようだ。
みんな、有閑マダムにはなれないんだと感じ、ある意味、ほっとしている。
多くの雑事や、仕事から解放され、
自由な時間をたっぷり享受できるようになると、
また、喜々として集まる時期が来るだろう。
しかし、こんなどうでもいいことを延々と綴っている私は、
かなりヒマ人である。
ある、塾関係のお知り合いHさん。
すらっと背が高く、宝塚スターのような華やかな雰囲気を持つ
スタイリッシュなファッションがお似合いのHさんは、
シャキっと切れ味のいい美人だが、物怖じしない物言いが面白い。
我が家にも一度だけお越しいただいたが、
なにげなく放置していた絵画に、
「これって、柳谷さんの絵でしょう?」
と、目ざとく反応された。
柳谷さんは、弁護士であるご主人を突然亡くされ、
傷心の身から心機一転、50才を過ぎてカナダに渡り、
現在は、バンクーバーでB&Bを経営されている。
永住権を取得するのには、苦労されたようだ。
さすがに「未亡人」というだけの肩書きでは取得できない。
しかし柳谷さんはへこたれず、
作家であり、画家、とういう芸術家のキャリアと、並々ならぬ熱意をもって
見事、永住権を手に入れられた。
さらに、持ち前のバイタリティーで、カナダにおける三種の神器
B.C.州のDriver Licence, ID Card, Care Cardも取られた。
ブログはもちろんのこと、ホームページがまだ珍しい頃から、
膨大な容量のホームページを開設されていた。
パソコンにも滅法強い。
B&Bでも、ご自分でお食事を作り、ゲストをもてなされる。
活きのいい素材をダイナミックに扱う、
女傑にふさわしいようなお料理がお得意のようだ。
手作りランチ付き絵画教室も開かれ、
現地の方々とも積極的に交流されている。
絵画の額縁も手作り、家具までも作ってしまう。
本格派ガーデニングには、愛情をたっぷり注ぐ。
あのエネルギーはいったいどこから来るのだろう・・・・
彼女の小説を読んだことがあるが、
パッションがほとばしっていた。
柳谷さんのホームページをあれこれ見ていたら、
予期せぬところでHさんの写真をお見かけした。
なんらかのかたちで、どこかで誰かが、つながっている。
年に一度ほど、日本に帰国し、
日本のご自宅で個展を開かれ、販売もされている。
(最近は、されていないようだが)
その時に、私が購入した絵が、Hさんの目にとまったものである。
絵画としてはマニアックなチョイスではあったが、
その絵を購入して、一人で楽しんでいたところ、
意外な人から突然発見され、嬉いよりも、びっくりしたほうが大きかった。
その絵は、インナーテラスに無造作に置いていたが、
「知る人ぞ知る絵」ということがわかり
それ以来、応接間へと場所を変えた。
インナーテラスで日光があたると絵に悪いと思ったからなのだが、
いつも目にできるインナーテラスのほうが、
私は好きだった。
が、絵にとって良いほうを選んだ。
過激なまでの柳谷さんのエネルギーには、
さほど元気の抗体がない私は、
実のところ、元気を消化しきれないでいる。
私は、あまっちょろい人間なので、柳谷さんを知れば知るほど
熱過ぎてちょっとバテている。
いろんな思いがつまった、その絵は
「もうちょっと元気だせば?」
と言っているように見えるときもある。
※
「で、・・・おいくらでした?」
Hさんに、ズバリ聞かれた。
芸術を査定しようというスピリットは、さすが大阪人。
購入価格より、ぐっと高めの金額が、思わず私の口から滑り出た。
私も、決して人のことは言えない。。。
すらっと背が高く、宝塚スターのような華やかな雰囲気を持つ
スタイリッシュなファッションがお似合いのHさんは、
シャキっと切れ味のいい美人だが、物怖じしない物言いが面白い。
我が家にも一度だけお越しいただいたが、
なにげなく放置していた絵画に、
「これって、柳谷さんの絵でしょう?」
と、目ざとく反応された。
柳谷さんは、弁護士であるご主人を突然亡くされ、
傷心の身から心機一転、50才を過ぎてカナダに渡り、
現在は、バンクーバーでB&Bを経営されている。
永住権を取得するのには、苦労されたようだ。
さすがに「未亡人」というだけの肩書きでは取得できない。
しかし柳谷さんはへこたれず、
作家であり、画家、とういう芸術家のキャリアと、並々ならぬ熱意をもって
見事、永住権を手に入れられた。
さらに、持ち前のバイタリティーで、カナダにおける三種の神器
B.C.州のDriver Licence, ID Card, Care Cardも取られた。
ブログはもちろんのこと、ホームページがまだ珍しい頃から、
膨大な容量のホームページを開設されていた。
パソコンにも滅法強い。
B&Bでも、ご自分でお食事を作り、ゲストをもてなされる。
活きのいい素材をダイナミックに扱う、
女傑にふさわしいようなお料理がお得意のようだ。
手作りランチ付き絵画教室も開かれ、
現地の方々とも積極的に交流されている。
絵画の額縁も手作り、家具までも作ってしまう。
本格派ガーデニングには、愛情をたっぷり注ぐ。
あのエネルギーはいったいどこから来るのだろう・・・・
彼女の小説を読んだことがあるが、
パッションがほとばしっていた。
柳谷さんのホームページをあれこれ見ていたら、
予期せぬところでHさんの写真をお見かけした。
なんらかのかたちで、どこかで誰かが、つながっている。
年に一度ほど、日本に帰国し、
日本のご自宅で個展を開かれ、販売もされている。
(最近は、されていないようだが)
その時に、私が購入した絵が、Hさんの目にとまったものである。
絵画としてはマニアックなチョイスではあったが、
その絵を購入して、一人で楽しんでいたところ、
意外な人から突然発見され、嬉いよりも、びっくりしたほうが大きかった。
その絵は、インナーテラスに無造作に置いていたが、
「知る人ぞ知る絵」ということがわかり
それ以来、応接間へと場所を変えた。
インナーテラスで日光があたると絵に悪いと思ったからなのだが、
いつも目にできるインナーテラスのほうが、
私は好きだった。
が、絵にとって良いほうを選んだ。
過激なまでの柳谷さんのエネルギーには、
さほど元気の抗体がない私は、
実のところ、元気を消化しきれないでいる。
私は、あまっちょろい人間なので、柳谷さんを知れば知るほど
熱過ぎてちょっとバテている。
いろんな思いがつまった、その絵は
「もうちょっと元気だせば?」
と言っているように見えるときもある。
※
「で、・・・おいくらでした?」
Hさんに、ズバリ聞かれた。
芸術を査定しようというスピリットは、さすが大阪人。
購入価格より、ぐっと高めの金額が、思わず私の口から滑り出た。
私も、決して人のことは言えない。。。
一昨日、学生時代の友人たちを実家にお招きした。
姫路、大阪、奈良と、遠くからわざわざお出でいただいた
初めてのご招待イベントも無事終了し、ほっとしている。
実家では、去る日曜日には、「お香の会」が催され、
西日本各地から、総勢30名、お着物の麗人の方々が一堂に会した。
その前日は、数人の方がホテルに泊まられたとか。
男性も4人、羽織袴。
各部屋内のテレビは撤去、茶箪笥、お道具類は大移動、棚や箪笥は、目隠し。
準備にテンテコマイの様子がうかがえた。
玄関を入ると、大壷に大胆に投げ入れられた、青々したもみじが目に飛び込んだ。
当日、庭の木々から感性でチョイスされ、活けられたそうだ。
部屋には真っ赤な毛せんが敷き詰められ、お香の道具が置かれていた。
お香の道具、初めて見た。
漆塗りに金箔の美しい工芸加工が施され、繊細な美しさを放っていた。
ちなみに、「お香」って、昔のお公家さんのお遊びなんだろうか・・・?
お香を「聞く」んだそうだ。(「嗅ぐ」「匂う」のではなく・・・)
私は、全くその方面は疎くて、ちんぷんかんぷんだが・・・
私の会の前日には、母主催のお寺関連の会が催され、9名が集まった。
その翌日が私の会(5名)。
お昼は、「菊水寿司」。とても美味。
5日間の間に3つ、イベント目白押し週間だ。
母は、準備など、かなり前々から、大変だったと思う。
この度の庭師は、あるご縁で知り合った庭師の方々だそうだ。
千早赤阪村から、朝6時半には出発して、実家に到着の日々だったとか。
ご苦労様。
前々からの庭師の方ではない、ということを昨日、初めて知った。
道理で、なんだか少しニュアンスが違うなあ・・・と感じていた。
いずれにしても、縁の下の力持ちが、あってこそ。
感謝、感謝だ。
友人のひとりが、庭に咲いていた花のところに立ち止まって、
あやめ、かきつばた、菖蒲の違いについて説明してくれた。
「これが、あやめ。これは、かきつばた・・・。その特徴は・・・」など等、よく知っている。
私は、庭のその花群は、全部同じ種類の花だと思っていた。
いずれがあやめか、かきつばた・・・とは、よく言ったものだ。
青紫の色が美しい、まさに6月の花。
応接間のソファーの古典柄の生地模様「金華山織り」について説明してくれる人も。
ついでにゴブラン織りやら、あれこれ、結構、ここでも話の花が咲いた。
(そのほか学生時代の話や、他愛無い話に、お腹を抱えて笑い合った。)
女性はファブリックや調度品、食器をはじめとするテーブルウエアーなど、
そういうことに、とても興味がある。
文化的、歴史的背景を知っていると、見た目の上っ面だけでなく、奥行きまで楽しめる。
確かな目をもって愛でたい。
ギンギンにブランド品で身を飾り固めたような人については、皆、同じような感想を持っていた。
西洋・東洋・中世・近代・モダン。 美も多岐にわたる。好みも人それぞれ。
空間との調和も大事な要素。
女性は、美しいもの・美味なものが大好き。美の追求には貪欲だ。
美の追求者として、学者や高名なコレクターは男性が一般的に知られているが、生活レベルでの実践者は、ほとんどが女性の方々。
美の感性や方向性は、人によって多少違うものの、美を愛する思い、真髄は同じだろう。
うっとり、自分の世界に浸る至福の時間・・・。
あれこれ感慨に耽っていたら
雨の香りが漂ってきた。
もうじき、一雨くるのだろうか。
涼しくて、しっとりした6月の日曜日も悪くない。
姫路、大阪、奈良と、遠くからわざわざお出でいただいた
初めてのご招待イベントも無事終了し、ほっとしている。
実家では、去る日曜日には、「お香の会」が催され、
西日本各地から、総勢30名、お着物の麗人の方々が一堂に会した。
その前日は、数人の方がホテルに泊まられたとか。
男性も4人、羽織袴。
各部屋内のテレビは撤去、茶箪笥、お道具類は大移動、棚や箪笥は、目隠し。
準備にテンテコマイの様子がうかがえた。
玄関を入ると、大壷に大胆に投げ入れられた、青々したもみじが目に飛び込んだ。
当日、庭の木々から感性でチョイスされ、活けられたそうだ。
部屋には真っ赤な毛せんが敷き詰められ、お香の道具が置かれていた。
お香の道具、初めて見た。
漆塗りに金箔の美しい工芸加工が施され、繊細な美しさを放っていた。
ちなみに、「お香」って、昔のお公家さんのお遊びなんだろうか・・・?
お香を「聞く」んだそうだ。(「嗅ぐ」「匂う」のではなく・・・)
私は、全くその方面は疎くて、ちんぷんかんぷんだが・・・
私の会の前日には、母主催のお寺関連の会が催され、9名が集まった。
その翌日が私の会(5名)。
お昼は、「菊水寿司」。とても美味。
5日間の間に3つ、イベント目白押し週間だ。
母は、準備など、かなり前々から、大変だったと思う。
この度の庭師は、あるご縁で知り合った庭師の方々だそうだ。
千早赤阪村から、朝6時半には出発して、実家に到着の日々だったとか。
ご苦労様。
前々からの庭師の方ではない、ということを昨日、初めて知った。
道理で、なんだか少しニュアンスが違うなあ・・・と感じていた。
いずれにしても、縁の下の力持ちが、あってこそ。
感謝、感謝だ。
友人のひとりが、庭に咲いていた花のところに立ち止まって、
あやめ、かきつばた、菖蒲の違いについて説明してくれた。
「これが、あやめ。これは、かきつばた・・・。その特徴は・・・」など等、よく知っている。
私は、庭のその花群は、全部同じ種類の花だと思っていた。
いずれがあやめか、かきつばた・・・とは、よく言ったものだ。
青紫の色が美しい、まさに6月の花。
応接間のソファーの古典柄の生地模様「金華山織り」について説明してくれる人も。
ついでにゴブラン織りやら、あれこれ、結構、ここでも話の花が咲いた。
(そのほか学生時代の話や、他愛無い話に、お腹を抱えて笑い合った。)
女性はファブリックや調度品、食器をはじめとするテーブルウエアーなど、
そういうことに、とても興味がある。
文化的、歴史的背景を知っていると、見た目の上っ面だけでなく、奥行きまで楽しめる。
確かな目をもって愛でたい。
ギンギンにブランド品で身を飾り固めたような人については、皆、同じような感想を持っていた。
西洋・東洋・中世・近代・モダン。 美も多岐にわたる。好みも人それぞれ。
空間との調和も大事な要素。
女性は、美しいもの・美味なものが大好き。美の追求には貪欲だ。
美の追求者として、学者や高名なコレクターは男性が一般的に知られているが、生活レベルでの実践者は、ほとんどが女性の方々。
美の感性や方向性は、人によって多少違うものの、美を愛する思い、真髄は同じだろう。
うっとり、自分の世界に浸る至福の時間・・・。
あれこれ感慨に耽っていたら
雨の香りが漂ってきた。
もうじき、一雨くるのだろうか。
涼しくて、しっとりした6月の日曜日も悪くない。
この日曜日、一年に一度の、ある集まりがあった。
去年は戸建てレストランの帰りに、私の家に寄っていただいたが、
今年のサプライズは、会場レストランの帰りに
「うちに寄る?」と突如申し出た、Sさん宅だった。
どんなお宅かな・・と、なんにも考えずにお邪魔してみて・・・
Sさん宅があまりにも素敵過ぎて、言葉を失ってしまった。
なにしろ、私の価値観に基づく理想にピタっと一致するお宅だった。
(当然ながら、私などは足元にも及ばないが。)
日ごろは心のなかで静かにぼんやり思っている、
まとまらない思いが、はっきりとはカタチになって、
まるで邸宅となって現れたような、そんなお屋敷だった。
そのSさんのお屋敷は・・・・
文化遺産的、時代の顔をもつ、超一流和風建築と庭園。
門構えはどっしり格調高く、白壁の蔵が土塀に続く。
門から玄関へとは石畳によって導かれるが、
辿り着くまでは何種類もの植物が植えられた庭にこころ和む。
庭も、外庭と、前栽(せんざい)があったが、中でも松は年月の重さを醸し出していた。
松の枝ぶりから、かなりの銘木とお見受けした。
紋入りの見事な瓦が光っていた。
おそらく明治か大正の建物だろう。
玄関土間は広々、そのむこうには10畳ほどの和室が6つ、つながっていた。
大おばあ様は、お茶の先生だったそうで、わびさびの世界を表現(茶室あり)
リフォームもされていて、和洋しっくり見事に融合していた。
お嫁さん(おばあ様)が建造物に造詣が深い方だそうで、凝った造りになっていた。
娘さんのご主人がイタリア人だったこともあり、水周りは色鮮やか、大胆でモダン。
ステンドグラスのトイレや、陽光が差し込む明るいバストイレ、
テラコッタを敷き詰めた土間が続く。
お客様が靴のままくつろぐ、第二、第三の談話室。
洋室もいったい、いくつあったか・・・???
ある部屋の床には、ホンモノの切り株(バームクーヘンみたい?)を
10センチ角ぐらいの木枠にはめ込んだものをびっしり敷き詰めてあった。
切り株といっても、骨太タイプのログハウス風ではなく、
よく見てみないとわからないぐらいの、あくまでも繊細な風情。
さりげない上質感。
和室には見事な欄間。その下の鴨居は低く、頭上すれすれだが、
昔の人は身長が低かったので、それは時代の特徴だ。
リビングルームには、太い梁、高い天井。
ほんのり暗めの部屋から見る庭の緑が、鮮やか。
一流の素材を品良く設え、調和されていた。
決して派手さはないが、格調高い佇まい。
うわべだけでない、確かな光を放っていた。
お手入れやメンテナンス、毎日の庭の水やり、大変だろう。
しかも、このお屋敷は、ご親戚の方から2年前に譲っていただいたそうだ。(購入)
Sさんは、すぐ近くにある、同じように時代を重ねた重厚な純和風のご自宅があり、この度お邪魔したお屋敷には住まわれていない。
なので、家を良好に保持するため、
部屋の扉をあけて、風を通さなければいけないようだ。
お仕事をされる忙しい身で、ご自宅だけでなく、このお屋敷を管理されるSさんは、実に上手に時間をやりくりされている。
Sさん邸・・・
私の目には、今もしっかり鮮明に焼きついている。
その光景。
光、風、空気、緑。におい、湿度、薄明かり。
私は建物フェチだ、きっと。
洋の東西を問わず、邸宅やお庭を拝見するのは大好き。
空間も大好き。
美しい調度品や美術品も大好きだ。
最も感激したのは、
お屋敷の維持を願う前住人の意思を尊重して、親戚であるSさんが、
日々、邸宅を管理していること。その美しさを維持してること。
お金持ちが道楽で、キンピカの屋敷を手に入れ、
使用人に手入れを丸投げして任せるのではなく、
ご自身で文化遺産を守ろうとしている姿勢に頭が下がる。
お金では買えない価値観をそこに見出した。
地方の素封家は、静かに、逞しく、脈々と続いている。
(とは言え、文化遺産を守るにも、実のところ、お金がモノを言うのだが・・・。)
去年は戸建てレストランの帰りに、私の家に寄っていただいたが、
今年のサプライズは、会場レストランの帰りに
「うちに寄る?」と突如申し出た、Sさん宅だった。
どんなお宅かな・・と、なんにも考えずにお邪魔してみて・・・
Sさん宅があまりにも素敵過ぎて、言葉を失ってしまった。
なにしろ、私の価値観に基づく理想にピタっと一致するお宅だった。
(当然ながら、私などは足元にも及ばないが。)
日ごろは心のなかで静かにぼんやり思っている、
まとまらない思いが、はっきりとはカタチになって、
まるで邸宅となって現れたような、そんなお屋敷だった。
そのSさんのお屋敷は・・・・
文化遺産的、時代の顔をもつ、超一流和風建築と庭園。
門構えはどっしり格調高く、白壁の蔵が土塀に続く。
門から玄関へとは石畳によって導かれるが、
辿り着くまでは何種類もの植物が植えられた庭にこころ和む。
庭も、外庭と、前栽(せんざい)があったが、中でも松は年月の重さを醸し出していた。
松の枝ぶりから、かなりの銘木とお見受けした。
紋入りの見事な瓦が光っていた。
おそらく明治か大正の建物だろう。
玄関土間は広々、そのむこうには10畳ほどの和室が6つ、つながっていた。
大おばあ様は、お茶の先生だったそうで、わびさびの世界を表現(茶室あり)
リフォームもされていて、和洋しっくり見事に融合していた。
お嫁さん(おばあ様)が建造物に造詣が深い方だそうで、凝った造りになっていた。
娘さんのご主人がイタリア人だったこともあり、水周りは色鮮やか、大胆でモダン。
ステンドグラスのトイレや、陽光が差し込む明るいバストイレ、
テラコッタを敷き詰めた土間が続く。
お客様が靴のままくつろぐ、第二、第三の談話室。
洋室もいったい、いくつあったか・・・???
ある部屋の床には、ホンモノの切り株(バームクーヘンみたい?)を
10センチ角ぐらいの木枠にはめ込んだものをびっしり敷き詰めてあった。
切り株といっても、骨太タイプのログハウス風ではなく、
よく見てみないとわからないぐらいの、あくまでも繊細な風情。
さりげない上質感。
和室には見事な欄間。その下の鴨居は低く、頭上すれすれだが、
昔の人は身長が低かったので、それは時代の特徴だ。
リビングルームには、太い梁、高い天井。
ほんのり暗めの部屋から見る庭の緑が、鮮やか。
一流の素材を品良く設え、調和されていた。
決して派手さはないが、格調高い佇まい。
うわべだけでない、確かな光を放っていた。
お手入れやメンテナンス、毎日の庭の水やり、大変だろう。
しかも、このお屋敷は、ご親戚の方から2年前に譲っていただいたそうだ。(購入)
Sさんは、すぐ近くにある、同じように時代を重ねた重厚な純和風のご自宅があり、この度お邪魔したお屋敷には住まわれていない。
なので、家を良好に保持するため、
部屋の扉をあけて、風を通さなければいけないようだ。
お仕事をされる忙しい身で、ご自宅だけでなく、このお屋敷を管理されるSさんは、実に上手に時間をやりくりされている。
Sさん邸・・・
私の目には、今もしっかり鮮明に焼きついている。
その光景。
光、風、空気、緑。におい、湿度、薄明かり。
私は建物フェチだ、きっと。
洋の東西を問わず、邸宅やお庭を拝見するのは大好き。
空間も大好き。
美しい調度品や美術品も大好きだ。
最も感激したのは、
お屋敷の維持を願う前住人の意思を尊重して、親戚であるSさんが、
日々、邸宅を管理していること。その美しさを維持してること。
お金持ちが道楽で、キンピカの屋敷を手に入れ、
使用人に手入れを丸投げして任せるのではなく、
ご自身で文化遺産を守ろうとしている姿勢に頭が下がる。
お金では買えない価値観をそこに見出した。
地方の素封家は、静かに、逞しく、脈々と続いている。
(とは言え、文化遺産を守るにも、実のところ、お金がモノを言うのだが・・・。)
近所の友人からメール。久々ぶり。
「仕事辞めたい病にかかっています」
ふむふむ。
彼女は数年前に突然、ご主人を亡くされているので、
色々経済事情もあるだろうと思い、彼女にどう返事をしていいか分からず、
一日置いて、返信した。
「仕事の必然性と、経済的状況を踏まえつつ、
自分と向き合って考えてみられては?」と。
結構、親身になって、アドバイスしたつもり。
まだ彼女からの返信はない。
彼女は、メールをくれるタイミングが、パターン化している。
自分の休日で、なんの予定もない日の朝。
「今日は、いいお天気ですね。元気でやってる?」
みたいな、誰にでもあてはまるような内容で、特別に人選したうえでアポ取りはしない。
返信があった人にだけ、「時間あいてたらお茶しない?」
そういうなかんじで、その日、お茶する人を見つける。
私は、彼女とは仕事の休みの日が違うので、
いっしょにお茶することは滅多にないのだけれど、
ごくごくたまに、仕事の都合をつけて、美術鑑賞や、日帰り旅行に出かける。
そもそも彼女と私は友人なのか・・・?
それすら最近は、ハテナ?になっている。
しかし、そんなことを言っていたら、この世の中の誰とも友人でなくなる。
彼女の自分探し、その後は?
やっと手に入れた仕事も、年齢とともに疲れてくるようだ。
私の目から見ると、魅力ある職場ではない。
(まあ、仕事なんて、そんなものだが)
状況も変われば、気持ちも変わる。
ご主人はいない、子供は独立、姑は見送った、
となれば、縛られるものは何もない。
だが、経済事情を知らないので、的確なアドバイスはできない。
経済事情を把握することは、友人であることの必須条件ではない。
しかしこれから先、経済的に同じような感覚を共有できないと、
いっしょに何かをしましょう、と声をかけるにも、躊躇してしまう。
お茶しても、職場のことをただただ喋る彼女。
私にとっては全く興味が持てない職場。
聞けば聞くほど、うんざりしてしまう。
かと言って、私の職場のことも、きっと彼女にとってはつまらないはず。
お互いの家庭のことも、あまり共通点はないし。
共鳴する部分は、あまりない。
やっぱり友人でもないのかもしれない。
ご近所の仲良しさん、という位置づけか。
(それで、十分だけれど。)
どっちにしても、彼女のこれからの人生、
節目節目で舵を切っていけばいいのだと思う。
なので、私は、彼女のその後の人生の行き先は知らない。
「仕事辞めたい病にかかっています」
ふむふむ。
彼女は数年前に突然、ご主人を亡くされているので、
色々経済事情もあるだろうと思い、彼女にどう返事をしていいか分からず、
一日置いて、返信した。
「仕事の必然性と、経済的状況を踏まえつつ、
自分と向き合って考えてみられては?」と。
結構、親身になって、アドバイスしたつもり。
まだ彼女からの返信はない。
彼女は、メールをくれるタイミングが、パターン化している。
自分の休日で、なんの予定もない日の朝。
「今日は、いいお天気ですね。元気でやってる?」
みたいな、誰にでもあてはまるような内容で、特別に人選したうえでアポ取りはしない。
返信があった人にだけ、「時間あいてたらお茶しない?」
そういうなかんじで、その日、お茶する人を見つける。
私は、彼女とは仕事の休みの日が違うので、
いっしょにお茶することは滅多にないのだけれど、
ごくごくたまに、仕事の都合をつけて、美術鑑賞や、日帰り旅行に出かける。
そもそも彼女と私は友人なのか・・・?
それすら最近は、ハテナ?になっている。
しかし、そんなことを言っていたら、この世の中の誰とも友人でなくなる。
彼女の自分探し、その後は?
やっと手に入れた仕事も、年齢とともに疲れてくるようだ。
私の目から見ると、魅力ある職場ではない。
(まあ、仕事なんて、そんなものだが)
状況も変われば、気持ちも変わる。
ご主人はいない、子供は独立、姑は見送った、
となれば、縛られるものは何もない。
だが、経済事情を知らないので、的確なアドバイスはできない。
経済事情を把握することは、友人であることの必須条件ではない。
しかしこれから先、経済的に同じような感覚を共有できないと、
いっしょに何かをしましょう、と声をかけるにも、躊躇してしまう。
お茶しても、職場のことをただただ喋る彼女。
私にとっては全く興味が持てない職場。
聞けば聞くほど、うんざりしてしまう。
かと言って、私の職場のことも、きっと彼女にとってはつまらないはず。
お互いの家庭のことも、あまり共通点はないし。
共鳴する部分は、あまりない。
やっぱり友人でもないのかもしれない。
ご近所の仲良しさん、という位置づけか。
(それで、十分だけれど。)
どっちにしても、彼女のこれからの人生、
節目節目で舵を切っていけばいいのだと思う。
なので、私は、彼女のその後の人生の行き先は知らない。