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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

パワフルな人からエネルギーを浴びる

2024-06-14 | お付き合い
今日は楽しかった。
わたしより3歳も若い、元気溌剌な人からエネルギーをたっぷりもらった。(30歳若いのではないけれど)
都会で、パエリアランチ、パンケーキ&コーヒー、、、。
おしゃべりに花が咲いた。
話題も多岐にわたって、しかも、彼女はわたしより若い現役なので知識も豊富。
刺激を受けた。
なかなかそういう人はいない。
やっぱり、同世代はイイなあ、、、。

ちなみにこの人は、元、仕事仲間。
とてもパワフルだ。
海外一人旅、語学研修滞在、などなど旅はオリジナルで、団体パックではない。
(この度の彼女は別として)しかしまあ、それにしても、わたしが日頃、行動を共にする人々は、高齢者ばかり。
自分も高齢者なので、なんの不自然さもないが。
のではあるものの、、、天然系のわたしより、自覚なく、すっとぼけたことを言われたり、言ったことをすっかり忘れられていたりすると、なぜかイラっとする。
お互い様なのかなあ、、、?
やはり、自分より少し元気な人と行動を共にするほうが、シャキッとする。
気が引き締まる。
安らぎか、刺激か、どちらを選ぶ?と選択すると、今はまだ刺激を選ぶ。
しょっちゅうなら体が持たないが、タマになら、アクセント、メリハリになる。
安らぎは家の中で十分得ているが、安らいでばかりいると躍動感は生まれない。

この元仕事仲間Aさんは、わたしが興味あることを次から次へと、ジュークボックス※のように提供してくれる。(※例えが古い、、、1960年以降、急激に衰退したらしい)

やはり、同じ職場で同じ仕事をしていた時期があっただけに、関心事項や興味に、共通するものがある。
文芸、アート、映画、ショー、国際、語学、旅、、、
プライベートでは、家庭、家族のこと。
ついでに、時代遅れの夫への共通の不満など、話題は尽きない。

それにお酒より、スイーツ。
たった2人でも、女子会は賑やかで、延々と喋っている。
わたしたちは、カフェ店内、まわりのお客さんの2倍ぐらいの年齢。
また向学のために、映画やイベントに行こうね!と口約束して都会を後にした。


人付き合いがヘタ

2024-04-22 | お付き合い
わたしは、人付き合いするにあたって、理想がある。
それは、わたしより知的な面が上で、経済感覚が同じであること。
年齢はいくら歳を取っていても可。
見た目は、全く問わない。
年齢不問、見た目不問、、、かなり範囲が広い。
であるものの、最初の2項目が結構、難関となり、一致しそうでしない。
変にこだわりがあるため、微妙な違いが気になる。
わたしは、人をおおらかに包み込めるほどの包容力がない。

最初は門戸が広く誰でもオッケーなのだが、徐々に、考え方や感性の違いが癇に障ってきたら、アウト。
修正のしようがない。
だが、その時は距離感を修正するとよい。
考え方や感性は、今まで生きてきたことの集大成なので、そう、ちょっとやそっとでは変わらない。
柔軟性を持つか、何も期待しないか、である。
拒絶せずに、双方には違いがあることを認めた上で、別々に進む。
あっさり、外側だけで接するとよい。
摩擦部分は、常識を働かせて冷静に対処して補う。
あまり深く突っ込まないことがお互い、一番、害がない。
うわべだけのお付き合いという、軽いものになってしまうが、致し方ない。
広く浅く、さらっと付き合うのが良い。

特にわたしのように、付き合い下手な、良好な人間関係を結ぶのが苦手な人間には、当たり障りがないほうが気楽。
得るものも少ないが、失うものも少ない。
ローリスク、ローリターン。
今更、この年齢になって、考え方を変えて、行動を変えるのは、かなりハードである。


その代わり、といってはなんだが、実社会でリアル友人はなかなか成立しないが、実際にちょっとだけ何度か会った人で、その後、インターネットやLINEで長くお付き合いするケースは少なくない。
わたしは、トップとボトムの差が激しいため、リアル生活での接点はなかなか見つけにくい。
トップに共通点があっても、他の面がまるで釣り合いが取れない。
ボトムに共通があっても、同じく他の面が違い過ぎて調整できない。
うまく、バランスを取るか、接点だけで繋がり、その他は目をつぶるか。

そういう実社会の、人とあまり接しない事情があるからか、ドキュメンタリー番組や、動物物語で、涙を流したり、映画のワンシーンで泣けてきたり。
あちこちで感動する。
とは言え、実社会でも人間関係が上手く行かず、涙がポロポロ溢れることも、いまだに何度もある。

自分を取り巻く世界は、所詮そんなもの。
架空であれ、実際の出来事であれ、琴線に触れることもしばしばある。
ブログ散歩では、皆さんの日々の様子を遠くから知ることが出来て楽しい。

傾聴ボランティアにはなれない

2024-04-21 | お付き合い
テレビが大好きな人がいる。
テレビは、楽だから。
自分から積極的に暇つぶし先を探さなくてもよい。

インターネット、YouTubeやその他、配信されているものは自分で情報を掴みに行かなければならない。
チャンネル登録していると、自動的に見ることは出来るが、好みや内容が偏る。

同じテレビ好きでも、ニュースや特集が好きな場合はまた違う。
日々、内容が変わるからだ。
だとしても、受け身。受ける一方。
解説を聞いたとしても、自分で考える力が衰えるのではないかと危惧する。

年齢が上がると、深い友達は出来にくいと思う。
相手のことを理解しようという努力よりも、深く関わらない、という距離感を操作して、楽をする。
深く知っても、共鳴、共感する部分と同じぐらい、拒絶、嫌悪する部分が出てくる。
当たり前だ。
偶像を追い求めるファンクラブではないのだから。

わたしは、深く付き合い過ぎると失敗を何度も重ねている。
そのせいで、深く傷つく。
いったい、いつになったら学習するのだろう。
自分を理解してもらえないと、さささーっと後退する。
わたし自身は、相手を理解しようと努力しているのに、相手はわたしを理解しようと努力しようとしても理解キャパがない。
相手の能力オーバーになってしまうため、一方的にわたしばかりが理解する役になる。
自分は理解されないのに。
わたしは、マザーテレサではない。
傾聴ボランティアのようになってしまい、疲れるし、アホらしい。
相手は五分五分だと思っているからだ。
わたしが一方的に譲歩していることがわからない。

相手が何か言うと、「そうですか、よかったですね」と、肯定の相槌を打つ。
老人ホームの介護士さんのようになっている。
かと言って、わたしと同じような人は、非常にやりにくい。
「自分」が有りすぎる。
なので、まだ自分がボランティアになるほうが、少しだけマシである。

ではあるものの、同じことを何度も言うので、その度に、「よかったですね」と相槌を打つのは度重なると、ほとほと嫌になる。
本当に同じ(自慢)話を何度もされると、アタマ、大丈夫?と思う。
友達、いないのではないかと思えてくる。
まともに相手しているのは、わたしぐらいなのではないかと。
なんで、そこまでわたしが引き受けなければならない?
姑や母が老化して脳が上手く機能しなくなった時は、それはそれで脳の状態がわかったが。

しかし、身内ではない他人である相手はわたしのことを理解していない。
理解してもらおうとすると、自慢ったらしくなるので、しない。
すると、聴く一方になる。

やはり、高齢の人と話すのは、お天気のことぐらいが良さげ。
だが、ごく稀に、面白い話に発展することもあるため、短気を起こさない。
共通のところだけを共にシェアするのが良い。
深く理解し合おうというのは、望まないほうが良い。

五分五分にならないのは、わたしが受け身一方だからだ。
自分から発したことが受け入れられない時は、さっと引く。
粘り強く強調しない。
後退して、元の場所に戻る。
で、また相手のペースになる。
それを繰り返しているうちに、すっかり嫌になる。
わたしのリアクションがマズイからだ。
自分よりキャパシティが大きい人に包み込まれると楽だが、今度はそのキャパが大きい方の人が疲れて嫌になってくる。
シーソーのように、お互い行ったり来たりでないと、一方だけが負担があるのは上手く行かない。

すると、相手を許容し深く関わるのは、親子や、きょうだい、家族ぐらいになってしまう。
それでいいとは思うが。
家族がいない一人の人は、それはそれで長い間に、人との距離の取り方をマスターし、自分と向き合って納得できる方法を身につけておられることだろう。
信頼できる友人たちとの関係性を上手に維持しておられると想像する。


アホとカシコ

2024-03-05 | お付き合い
いつも同じことを書いている。
進歩がない、進展もない。
このままずっと行くのだろう。
それはそれで、結構なこと。

ある人、Aさんと、焼肉ランチに行った。
会話の最中に、話の流れで不意にAさんの実年齢がわかった。
え??うそ??そんな年齢でした?
わたしの中では17年前から時が止まっていた。
逆算して、当時のAさんの年齢を割り出した。
今のわたしの年齢だ。
それぐらいの年齢の開きがあったのかと、今頃になってやっと気づいた。

そういえば、前に偶然、バッタリ道で出会した時、なんだか老けてみえるなあ、、、と思った。
浦島太郎的。
だが、Aさんは元々あまり若々しいタイプではないので違和感はなかった。
(これって、ひょっとして失礼な感想?)

何しろ、自分と同世代だと思っていた人が17歳も年上だったことに、浦島太郎はわたし?と我が身を案じた。

出会った時にはすでに17歳年上だったAさんと、年齢ギャップもなく冗談を言って笑いあったり、普通に接していた。
年齢を超えた、何かなんだろう。

あ、わかった。
ポイントは、Aさんの頭の良さ。
これが実に気持ちよかった。
どんな話題に及んでも、行ったり来たりラリーの応酬になっても、話題に必ず付いてきてくれた。
私の知っていることぐらいは全て知っておられた。
Aさん>わたし
知識と経験。
教養があり、柔軟性に富み、そして、リタイア後は楽器演奏をしておられた。
書くことも。
専門は物理専攻の技術者ではあるものの、鉄板みたいにカチンコチンではない柔らかさが内在しているのだろう。
やはり、ユーモアや芸術はまろやかな薬味になる。
絶妙な味を際立たせる。

ただし、低俗なことや流行にはあまり通じておられないものの、それはそれで良い。
その分、わたしが俗世間にまみれている人間だから、低俗部分は自分で補える。
アホとカシコは正反対なので、衝突しない。



成り行きまかせ

2023-10-27 | お付き合い
ケチだと思われたくなくて、趣味仲間との飲食の際に相手が支払わない時は自分が払う。
だが、こんな根拠、理由ではいずれ破綻する。

相手によっては、支払っても、嫌ではないこともある。
いや、喜んで支払う。
それは娘一家との飲食。
(ご馳走してくれたら、かえって窮屈)
ではあるものの、娘婿が親が支払うことに気を遣うので、それに対して気を遣う。
いずれもっと歳を取り弱りに弱り、立場が逆になれば支払ってもらう。(たぶん、そんな日は、娘に後見人になってもらっている)
今の日本は、少し前の世代のほうが経済的に恵まれている。
年金の額も違う。
少子高齢化で、若い人は多くの高齢者を支えて大変だ。
そういう意味もあって、出過ぎず甘やかし過ぎず自立心を失わせず、手助けしたい。
援助とまではいかない。
あくまでも、手助け程度。
自分のことは自分でする、若い人に世話にならないように努力するのも、手助けのようなもの。
親子間では、足を引っ張らず、迷惑をかけず、良い距離感を保ちたい。
が、そんな理想的なことばかり、うまく行かない展開も大いにあり得る。
その時は互助会の精神で。

お金を稼ぐのは、大変である。
危ない橋を渡る場合も、お金のため。
それで身を持ち崩すこともある。
お金は人を狂わせる。
なんでだろう?
生活できるだけのお金があっても、もっと欲しがる、麻薬的、媚薬的、万能薬的効力がある。

一昔前は、男性が支払うのが普通だった。
今は違う。
だが、意識が古い人もいる。
女性も支払うべきであるが、何も相手の分まで支払う必要はない。
まして、自分のほうが年下なら、先輩を差し置いてというシチュエーションは避けたい。
やはり、ワリカンが1番平和だと思う。
そう強く自分の考えを認識した。

それはそうと。
今日は急に雨が降り、帰りに寄り道、飲食はしなかった。
そんなかんじで、誰が払う?ではなく、自然な成り行きに任せるのが良いかも知れない。

おしゃべり遊び

2023-09-29 | お付き合い
楽しいこと、感動したこと、素敵なことはいっぱいあるのに、ブログに書くのは、それとは違う、思っても言えないこと。
感情のはけ口?
いえ、人間関係をスムーズにするための必要悪。

ある人。
いつもわたしの、ペラペラおしゃべりに付き合ってくれているので、こちらも聞かなければ、相手も楽しくないだろうと思い、その人がポツリポツリと口を開くと耳を傾ける。
が、、、ある話はいつも同じ語り口。
話題は同じでもいいから、表現方法を変えるとか、詳しく話すとか、なんらかの変化があれば良いのだけれど。
録音したものを再生するかの如く。
話したい内容はあるようだが、具体的なことは言いたくないと感じる。
いつ、どこで、誰と、どうした、は、ない。
例えば、家を購入した話。
何回も買ったらしい。
何度も聞いた。何度も何度も何度も聞いた。
だが、どこの地域なのか、遠いところなのか、近隣なのか、他府県なのか、さっぱりわからない。
話が具体的に見えない。
突っ込んで質問していいものかどうかわからないし、こんなに何度も話されているのに、具体的なことを話さないには、理由があるのかも知れない、と推測して、あえて聞かない。
が、何度も話すということは、話したいのだろう。
わたしも自慢話やくだらない話ばかりしているので、たまには相手の話を聞かなければと、気を回す。
ではあるものの、プライベートな案件は、本人の口から出る情報だけに留めておく。
興味本位に聞き出すのも品がないと思い、受け身に徹する。
が、手を変え品を変え、登場人物を変え、ではなく、いつもワンパターン。
わたしも結構、我慢強く、辛抱強く聞いている。
「ひょっとして、この人、認知症かも?」と、わたしに、あらぬ疑いをかけられるぐらいなら、ハッキリ質問して話を進めたらよいのだろうけれど。
どうも切り出す勇気がない。

人は自分が話したい話題でも、全てを話したいわけではなく、ハイライトだけ話したい人もいる。
そんなかんじで、わたしは気を遣って、進展のない面白みのない話を聞いている。
本当は踏み込んで聞きたいのだが、その欲求を抑え、あえて踏み込まずに、宙ぶらりんの話に甘んじている。
なので、話が一通り終わるのを待たねばならず、退屈である。

とかなんとか、他にも話題はたくさん。
日々、どんどん生まれているので大丈夫。
言葉遊びには事欠かない。
話題の新陳代謝は次々、行われる。


思ったことを考えずに口に出す

2023-05-19 | お付き合い
世の中には、口から先に生まれたような人がゴマンといる。
わたしの周りにも、そんな人は多い。
思わず口から出てしまうホンネが一番こたえる。

ごめん、スミマセン、と言われても、それはホンネであって、口に出すか出さないかだけの違い。
思っている、感じていることには違いない。
そのホンネをずばっと言われたら傷つくことがある。

ある趣味仲間の人、Aさんは、いつも考えずに感じたままを口にするので、わたしはどれだけ何度も深く傷ついたか。
わたしの他にも傷ついた人がいて、言われたことが原因でその人は趣味サークルを辞めた。
それもあって、Aさんとは距離を置くことにした。
腹黒くはない、思ったことをそのままま言うだけで、悪い人ではないのだが、わたしも自分が傷つくのは避けたい。
どんなことを言えば相手が傷つくのか、想像力が欠如していた。
わたしはその度に悲しんだ。
わたしが傷ついたことだけはAさんはわかるようだが、どうして傷ついたのか、何に傷ついたのか、どの言葉に傷ついたのか皆目見当もつかないようだった。
いずれお天気の話ぐらいしか話さず、その他は何も話さなくなった。
Aさんは社会の話題やその他の話題もまるで興味がなかった。
どこに傷つくポイントが隠されているのかわからないまま、会話を続けるのはお互いリスキーなので中身のある話はしなかった。
つまり、表面上はトラブルが発生しないが、内面的には関係性が破綻している。
そんな期間をある程度過ごして、離れるタイミングをずっと待っていたが、やっと顔を合わせることを回避した。
いやはや、大変だった。
人と付き合うには、距離感が大事だとつくづく思った。
これはうまくいかない経験をした後、いつも思うことなのだが。
人間関係は本当に難しい。
まして、他人なら尚更。

※写真は記事とは関係ありません。
GW旅行で歩きながら印象に残ったものを撮った写真。

可愛げない独り言

2023-01-19 | お付き合い
自分で思うことは、他者も思うのかどうかわからない。
なので、自分では面白いと思うことを話すのを躊躇われる。
逆に他者が話していることに対して、全然興味が湧かないことがある。
ふんふんと相手が話す時間が過ぎるのを待つ。
これは、明らかにダメなんじゃないか?わたし。
コミュニケーションの取り方を一から学びなおさなければならない。

自分も他者も共通の関心事をシェアすべき。
共通点が無いなら、、、、うーーん、、、
どちらが悪いというものでもなく、一人一人は別のものなので当たり前。
歩み寄るにしても関心事自体が重ならないなら、どうしようもない。

なので、関心あることはブログやインターネットや著書などで一方的に話を仕入れることになる。
だが、個人的に自分にだけしか興味がない自分の世界。
やはり、これは、わたしは重大なコミュニケーション能力の欠如なのではないだろうか。
反省するなら、改善すべき。
しかし、どうやって?

ねえねえ、わたしが興味あることをあなた(たち)も興味を持ってちょうだい!と、積極的に働きかけなければならないのか。
社会運動だとか、草の根活動だとかならわかるが。
別にそんな信念や思想や理想に基づくものでも何でもない、ごくごく普通の日常の事柄。
うーーん、、、やっぱりコミュニケーション能力に問題があるのか。
(だが、推しファンクラブだとかなら、会員メンバーとは興味も温度も同じだ)

しかし、問題は別のところにある。
わたし自身が別に嘆いているわけでも悲しんでいるわけでもなく、にこにこ静かな落ち着いた佇まい。
問題視していないことが問題なのか??

友達がいないようで、いるようで、いないようで、いるようで、、、
友達の定義を広くするか、狭くするかで違ってくる。
出会って5分で友人になることを特技としている人がいて、友達は増え続けているようだ。
人数には制限はなく、ものすごいキャパシティ、包容力なのだろうけれど、相互関係維持を追求すると、友達がそんなに多いのはどうやってコミュニケートするのか?
グループラインで一斉に?だとか、フォロワーたくさん、だとか?
一方通行っぽいと感じる。

幸福論を唱える、あるブロガーさんは、オススメ(他者の)著書の中で、群れる人の特徴を述べて、一長一短あることを説明していた。
メリットとデメリットがあり、どちらを採択するかは、個人の自由。

ということを色々考えると、、、
自分が迷っている案件を人には相談できないが、話題にしていたり、他人の話を聞いたりして、ヒントを得ることがある。
最終的に決めるのは自分。
わたしの場合、悩みの中身を他人に打ち明けるのは抵抗があるので、自分で悩んで自分で決める。
信頼できる友人に相談し、お互いの絆を深めていくのが、オススメの正しい進め方なんだろうけれど。
仮に友人がいたとして、その人がアドバイスしてくれたとして、あるいは専門家に相談したとして、その答えを原案に修正していくのが良いのだろう。

が、、、迷ったところで決めるのは自分。
誰がなんと言おうと、最終的に決めるのは自分。

「あなたのためを思って真剣に考えてアドバイスしているのに、ちっとも取り入れないじゃないの。
無駄な労力と時間で疲弊するのは不毛で虚無感を生じるから、あなたには何も言わない」
そういう流れもあると思う。

女性同士の観劇、映画、コンサート、おしゃべりやお茶、ランチ、スィーツは楽しいだろう。
興味や興奮を分かち合い感想を述べ合い、大好きなものを食べながら、ついでにプライベートもちょこっと漏らす。
とても素敵な充実した時間だろう。
だから友達は貴重だ、、、

と、書いたらその通りで何の反論もなく全力で賛同する。

今から見つけよう、そんな友達。
でも、それって還暦過ぎた独身の人が、今から結婚相手を見つけよう!と力んでいる感覚に近いように思う。
あるネットで見かけた方、、、結婚経験無しの還暦過ぎ、初めて家を出て、今から結婚相手(しかも30歳下の女性)を見つけて楽しい家庭を築くんだ!と意気込んでおられる。
しかし、これはほぼ妄想に近いのでは?
通常はリアルな現実を客観的に見て、自分の状況に合った相手とマッチングする。
でないと、「条件に合致する該当者なし!」と検索結果が出る。
それは結婚相手の場合だけど。

ちなみに、
わたしの友人探しに関しては、今は別に渇望しているわけではないので、今は今しか出来ないことに情熱を傾けて没頭している。
そして、、、人を寄せ付けないのは、自分自身のせいである。
ではあるものの、自然体、自然に任せている。



考え、まとまらず

2021-12-25 | お付き合い
長々だらだらの蝶ブログ、お読みいただき、恐縮の至りです。
かと言って改めるかといえば、そうでもなく、サービス精神が欠如、また、だらだら行きます。

さて。
先ほど、バス停で入手したばかりのホットなネタ。
いつもの苦手な方、Aさん、最近はバス停で近寄って来なくなってやれやれと安心していたが、今朝は違った。
半分、にこやか、半分、しかめ面で、お話。

「おかあさん、いい人でしたね」から始まり、ひととおり、関係者の直近動向リサーチ。
そのなかで、彼女が興味があるのは、「娘さんがいる人」。
最も興味がないのは、「毎日、朝早くから近所の山歩き、ウォーキングしている人」

今日のホットニュースは、バス停から見える至近距離の家の奥さん(Bさん)の話。
レモンと蜂蜜の素晴らしい手作りジャムを持ってきてくださったそうだ。
それも、そんじょそこらへんにはない素敵なオリジナル・ラッピング。
さらに特筆すべきは、自作の俳句が、それぞれのジャム瓶に添えられ、さらに加えて特記すべきは、毛筆で書かれたその達筆ぶり、力量たるや、またまた、そんじょそこらの、年賀状に添えられている一言コメント毛筆などとは雲泥の違い、目を見はり唸るほど、素人ばなれしているとか。
はあぁ〜〜。(ため息)

「素晴らしいですね!」とわたしが感嘆の声をあげると、意外にも彼女は顔を歪めた。
あれ?なんで?
わたしはそう思いつつも、
「爪の垢でも飲みたいほどですね」と言わなくてもいいのに追加した。
ちょうどバスも到着して乗り込んだので、その後の反応は確認していない。


彼女の心境は想像できる。
勝手に推測、心理分析すると、、、
今、置かれている自分の状況は、決して良くなく、将来的にもあまり希望が持てない。
特に、健康面では不安がある。(Aさんは80歳ぐらい)
だが、健康的に運動を取り入れて前向きに日々実践しているシニアの話には興味がない。
前の、彼女がまだ健康面で支障をきたしていない頃の関心事は、共通の知り合いが病気かどうかだった。
話題の人物の病気が深刻だと、彼女は明るいトーンになり、元気だと落胆の色が見えた。

また、彼女の家族はこれ以上は増えず、右肩下がり。
賑やかにはならない。
介護(される側)が待っているだけ。
さらに、こころを満たす趣味がない。
今更、何かを始めようなどと、そんな気もない。
毎日、あちこち体の不具合を騙し騙し緩和しているだけ。
完治は不可能。
目指すは緩和。
大きなトラブルがなければ、そっと使っていけたらいいとわたしは思う。
しかしまあ、あんなに華やかな女性だったのに、なんだか明るくない未来を感じてしまう。
せめて、趣味があるとか、未来や希望につながる何かがあるとか、もし無いなら、
現状に感謝するこころを少しでも持てば、幸せを得る第一歩だと思う。
(上から目線で感じ悪い感想)

彼女は、わたしに
「良いご主人でほんとに幸せで良かったですね」
と仰るが、外から見ただけの薄っぺらい感想は、薄ら寒さを感じる。
わたしは一言も夫や家族のことなど話したことはない。
ほら、これがこう、こんなに幸せなんです!!と具体的に内情を明かして説明する必要はないものの、人の幸せを外部がジャッジすることなかれ。
評価していただきたくない。
あまり、軽々しくそういう浮わついたことを口にするのは、わたしは好きではない。
面と向かって悪口を言われたり非難されたり否定されたりするよりはマシだが。
人のことはほっといて、と言いたい。
(言わない、言えない、、、が)

毛筆俳句&素晴らしい手作りジャムのマダム、わたしには輝いて見える。
が、真似はしない。(出来ない)
同じことをしても、わたしは輝かない。苦しいだけ。
人には人の自分の活かし方がある。
「こんな人がこんなことをしています」と活動を紹介するにも、自分がどう思っているか、どう接するかによって、話す時の表情や声の調子が変わってくるように思う。
あのマイナス顔は、羨ましいのか、悔しいのか、負けず嫌いなのか?
人は人。
歳を取ると自分を確立出来ないのかなあ、、、
あんなに自立していた人なのに、、、
美しかった姿も、手入れが行き届かない名庭のように、なんだかやつれて見える。
元が良いだけに、残念だ。

しかしながら、わたしは、嫌いな人とは言え、少し落ちぶれてしまった彼女をもう少し暖かい目で見て受け入れ許容できないのか?
別に意地悪されたわけでもイジメられたわけでもなく、なんらかの被害を受けたわけでもないのに、、、
うーん、、、
やっぱり嫌い。
嫌いなものは、嫌いで、別に好きにならなくてもいいと思う。

あ、思いついた、なぜ嫌いなのか、、、
この人は30年間、ずっとわたしの周りにいる人(わたしの学生時代の美人の友人を含め)を褒め続けて、外側からばかり褒め、わたし自身をただの一回も一言も褒めたことがなかった。(褒めて欲しいとは思わないが)
褒められる要素はないにしても、わたし自身には関心がまるでない。
わたし自体を1ミリも知らない。興味もない。
だからわたし以外の外側の話ばかりをするのだろうけれど。
貶されるよりマシだが、30年間、毒がじわじわ回る感じである。
かわいそうな彼女、わたしにそんなに嫌われる筋合いはないのに。
褒めてばかりで嫌われるなんて、まったく割に合わない。
褒められる一方なのに、褒められても褒められても、褒められれば褒められるほど、寒い風がビューと吹くのは、わたしの性根が悪いのだろうか。
しかし、正解は何かを断定できない案件なのに、自分のせいにすると、こころの病気になりかねない。
べつに、彼女と喧嘩するわけじゃなし、誰かに悪口を言いふらすわけでもなし、だが、蝶ブログにはしょっちゅう登場する。
ごめんなさい、皆さん、ごめんなさい、Aさん。
誰も悪くない。
世の中、そういうものだ。

ただ、わたしは自分の個人的生活や人の人生をあれこれ言われるのは、大嫌い。(まだ言ってる、、、)
良かれと思って褒めていることでも、これだけ逆効果も珍しい。

この人は姑の長年にわたる知人なので、姑が彼女にあれこれ話していたのだろう。
ひょっとして、こころの奥底の無自覚な深層心理として、わたしは、姑が嫌いなのかも知れない。
そんなこと、嫌いだなんてことは絶対にない、とわたしは思い込んでいる。思いたい。
感謝こそすれ、嫌いだなんて。

またまた亡霊に悩まされることになる。
だが、姑がAさんに話していたのは自分の家族の悪口ではなく、無意識の自慢かも知れない。
それはそれで、結構なことではないか、、、。


それにしてもまあ長い記事になっている。
あり得ないほどの長さ。
書いても書いても書き足りない。
書けば書くほど、わたしが嫌な人間であるということを不特定多数の人にアピールしているようにも感じる。
嫌な自分をなぜわざわざ?

今回はなかなか着地できない。



傷ついた

2020-11-27 | お付き合い
口は災いの元。
ある人からの言葉でひどく傷ついた。
その人はいつも考えなしで、思ったまんま口から出る。
お腹の中に溜めない、隠さないという意味では腹黒ではないのだが、貯蔵場所がお腹ではなく口から真っ黒が出てくるのもいかがなるものか。
口から出る分には良いのか?
腹の中に隠し持っていなければいいのか。

いわゆるホンネをズバズバ言う。
気持ちいいかというと、そんなことはなく、限りなく傷つく。
言われた相手の気持ちを想像することが出来ないようだ。
想像力、欠如。
人間性の問題か。
言うべきか、言わない方がいいのか、口にする前に、検閲、自己チェック機能はないのか?
胸に収めることは出来ないのか?

出来ないようだ。
鋭利な刃物でグサグサ刺され何度も傷つけられると、自己防衛策として離れたほうがよいと判断する。
情があって離れられない??
そんなことはない。
もう嫌だ。
我慢の限界。

いつもいつも我慢の限界のところまできて、頑張って持ち堪える。
頑張る必要なんかないではないか。
なぜ、頑張る?
意味がない。
何を考えている?わたし。

なるようにしかならない。
頑張る必要はない。
自然に任せよう。